岩手の野づら

『みちのくの山野草』から引っ越し

Eテレ『100分de名著「法華経」』観逃す

2018-04-30 09:00:00 | 賢治と法華経
《『100分de名著『法華経』』(植木雅俊著、NHK出版)の表紙》

 去る4月23日、たまたまスイッチを入れたTV画面はNHK教育テレビの Eテレだった。そしてそれは法華経に関する番組だった。なかなか興味深い言葉が交わされていたがすぐ終わった。番組タイトルは『100分de名著『法華経』』だった。
 そこで、止むなくそのテキストを買いに出掛けた。その表紙がこのブログのトップに掲げた写真である。早速目を通してみると、宗教に疎い私のような者でも何とか読めそうなことを知った。

 そして、この表紙を捲ると見返しには、「思想として『法華経』を読む」という項目があって、
『法華経』が古来「諸経の王」と呼ばれるのはなぜか。それは「皆成仏道」(皆、仏道を成す)、すなわち出家と在家の区別なく、男性と女性の区別なく、人間は誰でも一人残らず成仏できると説いているのである。そこのは、「原始仏教の原点に還れ」という一貫した思想が読み取れる。
            〈『100分de名著『法華経』』(植木雅俊著、NHK出版)〉
と書かれていた。
 私は意表を突かれた。「諸経の王」と呼ばれるということは何かで見ていて知っていたが、
   ・男性と女性の区別なく……成仏できる
と説いているということで、男女差別がなかったということをまず知ったからだ。ちなみに、この3頁後には「女性の名誉回復」という項目があり、
 女性蔑視の著しい当時のインドにあって、「八歳」で「畜身」の「女性」が成仏できると主張する『法華経』の思想は、まさに革命的であった。
と解説されていた。ならば、たしかに画期的なものであったであろう。

 そして意表を突かれた二つ目は、『法華経』には「原始仏教の原点に還れ」というスタンスがあるということにだ。ということは逆に、『法華経』が生まれる前は、仏教界では混乱と矛盾等が横溢していて、それを乗り越えて、止揚しようということで生まれたのが『法華経』であったと言えそうだ。この「原点に還れ」ということは、今とても大事なことであると感じた。それはもちろん賢治研究においてもである。いや、なおさらにである。

 どうやらこのテキストでは、私にとっては新鮮なことが論じられているようで、目から鱗が落ちそうだと直感した。

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