岩手の野づら

『みちのくの山野草』から引っ越し

小乗と大乗の止揚が『法華経』

2018-05-07 12:00:00 | 賢治と法華経
《『100分de名著『法華経』』(植木雅俊著、NHK出版)の表紙》

 では今回は本文に入って、「全てのいのちは平等である」という章を学びたい。

 この章は最初「インド仏教史の概要」という項で始まっており、まずそもそも、『法華経は』釈尊(お釈迦さま)が亡くなってから五百年ほどだった頃(一世紀末~三世紀初頭)にインド北西部で編纂されたと考えられるのだそうだ。そしてテキストは、仏教史を次のように簡潔に紹介してゆく。
 最初は原始仏教の時代です。…(投稿者略)…釈尊在世の頃、および直弟子たちがまだ生きている頃の仏教を指します。
             〈『100分de名著『法華経』』10p~〉
なお、「原始仏教」は「初期仏教」ともいわれるという。また、パーリー語で原始仏教が幸いにも保存されて、釈尊の生の言葉に近いものが残ったということである。
 ところが、これが世の常なのだろうか、
 釈尊滅語百年ほどが経った頃、紀元前三世紀に第二回仏典結集が行われ、そこで仏教教団は保守的な上座部と進歩的な大衆部に分裂します(根本分裂)。それがさらに枝分かれし、二十の部派にまでにまで広がります(枝末分裂)。そのなかで最も有力だったのが、説一切有部(せついっさいうぶ)という部派です。権威主義的で資金も豊富であり、後に「小乗仏教」と批判されるのはこの部派のことを指します。
             〈『100分de名著『法華経』』11p~〉
 それにしても、意外というか、当たり前というべきか、宗教と雖も一つのままで在り続けることは難しく、このように四分五裂してゆくものなのか。なお、小乗仏教という言葉は一般的にはかなり曖昧な使い方がされているという。が、このテキストでは説一切有部のことを意味するという。さらに紹介は続く。
 そして前二世紀頃、「覚りが確定した人」を意味する「菩薩」の概念が現れます。これは覚りを得る前、ブッダになる前の釈尊を意味するものとして、小乗仏教が発明した言葉です。…(投稿者略)…まだ仏になっていない状態の釈尊を何と呼ぶかということで、覚り(bodhi)と人(sattva)をつなげてbodhi-sattva(菩提薩埵、略して菩薩)とし、「覚りが確定した人」という意味の言葉ができたのです。
             〈『100分de名著『法華経』』12p~〉
 こうして教わってみると、私はこのような言葉を今までしばしば聞いてきたのだが、そんな意味や経緯があるなどとは知らなかったことを恥じるばかりだ。
 また、次のことに驚く。それは、
 これに対して、紀元前後頃、菩薩という言葉の意味を塗り替える動きが興ります。すなわち、bodhi-sattvaを「覚り(bodhi)を求める人(sattva)」と読み替え、覚りを求める人はだれでも菩薩であるという大乗仏教が興ったのです。
             〈『100分de名著『法華経』』12p~〉
という説明から、同じ「菩薩」でも、小乗と大乗では意味が決定的に違うということを知ったからだ。
 さらに次の説明
 大小併存の時代の中で、まず、大乗仏教の側から小乗仏教の出家者たちを痛烈に批判する『般若心経』が成立します。そして、紀元一~二世紀頃には、保守的で権威主義的な部派仏教を糾弾する『維摩経』が成立しました。
 こうした流れに対し、紀元一~三世紀頃、小乗と大乗の対立を止揚する、対立を対立のままで終わらせず、両者を融合させてすべてを救うことをことを主張するお経が成立します。
             〈『100分de名著『法華経』』13p~〉
を私は知って、流石と感心しつつ、そのお経こそが『法華経』であったということを今度は教わって目から鱗、『法華経』の位置づけを知った。何か、目の前が少し開けてきたような気がしてきた。

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