最近、「健康、健康」っていろんな場面でうるさく言われる。やたらと健康食品のCMが流れる。健康そうな若い世代でも、フルーツ青汁というものを飲んだりしてる。
私が思うに、いい時代のときって健康のこととかみんなあまり気にしない。一人ひとりがやりたいようにやって、人の健康に口を出さない。
そもそも何をもって不健康とするのか、その基準ははなはだ曖昧だ。例えば、病気としての高血圧の数値は時代ごとに変わってきた。以前は上の血圧は「年齢+90」が目安だった。
平成に入り旧厚生省が示した基準は「180/100」だった。それに対して、日本高血圧学会が「140/90」に一気に基準を下げた。これにより投薬が必要な患者数が激増したみたいだ。
でも十分な医学的根拠は示されていない。「健康」の範囲をどんどん狭く限定してゆくことが「健康増進」だという思考が私にはよく理解できない。
それって逆じゃないですか?
数年前、某国立大学が「喫煙習慣のある人間は教職員に採用しない」と表明して、かなり物議になった。アメリカだと、喫煙者と肥満者「自己管理ができない人間」と査定されて企業では管理職にならないそうだ。
健康を数値的に表示し、健康の条件を狭く限定するというのは、「不健康な人間」の頭数を増やすことにしかならない。その結果、「お前の生き方は不健康であるから改善しろ」と口うるさく他人の生活に介入する人が増えてくる。なんか不愉快ですね。
フロイトによれば、われわれ全員が程度の差こそあれ精神を病んでいる。完全に正常な状態に戻すことはできない。医者にできるのは「扱いにくい病態」から「比較的扱いやすい病態」にシフトすることだけだ、と。
この考え方は、まさに正しいと思う。人間は程度の差はあれ、種類の違いはあれ、全部が何らかの病気である。当然ですよね。生まれてからあとはひたすら死に向かっているわけですから。
いずれどこかの器官が不全になって、終わりに向かう。これに例外はない。「死に至る病」としてどの道をたどることになるのかの違いしかないと思うようになった。