大木ユリさんという方が、昨年末に急逝されました。
大木ユリさん
フラメンコのカンテ(歌い手)の先生でした。
早稲田でも練習室を利用して、
カンテ教室の小さなクラスを二つ(月曜と木曜)
もっていただいてました。ギターさんも何人かいらしてくれてて、
学生から社会人まで色々な生徒さんで。楽しかったです。
踊りのクラスも持ってらっしゃって、精力的に指導活動も
ご自身の活動もしてらしたようです。
私はそんなに長い間生徒だった訳ではないけれど、
彼女のパワフルさがとても好きでした。
結局ずっと年齢不詳だったけど。
カンテクラスの年末はミニ発表会で、楽しかったのを思い出しました。
フラメンコを踊れる人は踊って、
それにあわせて今まで習った歌を歌う、と。
ギターさんの練習にもなって、みんな満足。
そしてその後の忘年会は早稲田のサイゼ。
マグナムワイン(でかい)と
ミラノ風ドリアと
フォカッチャをとりあえず沢山たのんで
学生には嬉しいガッツシ・お得な宴会だった~
先生のラブ話とか聞けたりして・・
社会人になったのをきっかけに、辞めてしまいました。
今思うと残念。復活したいという思いはあったので。
先生の所沢の教室の忘年会(?)にも一度参加したことがあったけど
そこで先生の踊りを見て感動したっけな
すごい感情が溢れていて格好よかった。歌も色々聞けたし。
そんでもって猿か何かの着ぐるみを着て登場されたような記憶が・・・。
エンターテイナー!!
先生と最後に連絡とったのは4年ほど前かな。
私がカンテ教室を辞めるとき。
それまで月謝集金係をしていたのでそのときの集金したものと生徒さんの滞納(言い過ぎか)状況をお知らせしたのだった。
新年早々に後輩から色々経由して連絡をもらったときは驚いた。
けど体は悪いとは知っていたので・・・
本人の性格だろうか、体が悪いことを感じさせないくらいのパワーがあった。
ペースメーカー昔からいれているのは知っていたけど
そのこともガハハーっとワイン飲みながら話していたし・・・。
先週、先生のお通夜に参列できました。
懐かしい先輩や、フラメンコアーチストの錚々たる面々が参列してらっしゃいました。
泣くのは我慢できました。
先生のお母様と思しき方が、参列者から挨拶されるたび非常ににこやかに応対されていて、これは涙みせないようにせねば、と思ったためです。
泣き虫ですが耐えられました。
お清め所で軽く食事いただいたときは先生の思い出話とかして笑ってたりもしました。
最後にお顔を見せていただいたときは
・・・もう我慢できませんでした。
私が知っている頃の先生とは様変わりしていてすごく痩せてらっしゃったのです。
痛々しくて。
もうどれだけ体が蝕まれていながら活動されていたんだろう、と思うと胸が痛くてたまりませんでした。
棺の前ではべそべそしながらひたすら
「ユリさん、ありがとうありがとうありがとう・・・」とつぶやきました。
ご冥福をお祈りします。
大木ユリさん
フラメンコのカンテ(歌い手)の先生でした。
早稲田でも練習室を利用して、
カンテ教室の小さなクラスを二つ(月曜と木曜)
もっていただいてました。ギターさんも何人かいらしてくれてて、
学生から社会人まで色々な生徒さんで。楽しかったです。
踊りのクラスも持ってらっしゃって、精力的に指導活動も
ご自身の活動もしてらしたようです。
私はそんなに長い間生徒だった訳ではないけれど、
彼女のパワフルさがとても好きでした。
結局ずっと年齢不詳だったけど。
カンテクラスの年末はミニ発表会で、楽しかったのを思い出しました。
フラメンコを踊れる人は踊って、
それにあわせて今まで習った歌を歌う、と。
ギターさんの練習にもなって、みんな満足。
そしてその後の忘年会は早稲田のサイゼ。
マグナムワイン(でかい)と
ミラノ風ドリアと
フォカッチャをとりあえず沢山たのんで
学生には嬉しいガッツシ・お得な宴会だった~
先生のラブ話とか聞けたりして・・
社会人になったのをきっかけに、辞めてしまいました。
今思うと残念。復活したいという思いはあったので。
先生の所沢の教室の忘年会(?)にも一度参加したことがあったけど
そこで先生の踊りを見て感動したっけな
すごい感情が溢れていて格好よかった。歌も色々聞けたし。
そんでもって猿か何かの着ぐるみを着て登場されたような記憶が・・・。
エンターテイナー!!
先生と最後に連絡とったのは4年ほど前かな。
私がカンテ教室を辞めるとき。
それまで月謝集金係をしていたのでそのときの集金したものと生徒さんの滞納(言い過ぎか)状況をお知らせしたのだった。
新年早々に後輩から色々経由して連絡をもらったときは驚いた。
けど体は悪いとは知っていたので・・・
本人の性格だろうか、体が悪いことを感じさせないくらいのパワーがあった。
ペースメーカー昔からいれているのは知っていたけど
そのこともガハハーっとワイン飲みながら話していたし・・・。
先週、先生のお通夜に参列できました。
懐かしい先輩や、フラメンコアーチストの錚々たる面々が参列してらっしゃいました。
泣くのは我慢できました。
先生のお母様と思しき方が、参列者から挨拶されるたび非常ににこやかに応対されていて、これは涙みせないようにせねば、と思ったためです。
泣き虫ですが耐えられました。
お清め所で軽く食事いただいたときは先生の思い出話とかして笑ってたりもしました。
最後にお顔を見せていただいたときは
・・・もう我慢できませんでした。
私が知っている頃の先生とは様変わりしていてすごく痩せてらっしゃったのです。
痛々しくて。
もうどれだけ体が蝕まれていながら活動されていたんだろう、と思うと胸が痛くてたまりませんでした。
棺の前ではべそべそしながらひたすら
「ユリさん、ありがとうありがとうありがとう・・・」とつぶやきました。
ご冥福をお祈りします。