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1億3000万分の、独言(ヒトリゴト)

日常の一コマをマイペースに切り取ります

霞みか埃か

2011年12月04日 | 紀行
やっとPC前に座れます!
長い一日でした・・・

日本もとても寒いようですが、こちら済南も寒いです。
今日は一日ずっと霞がかかったようになっていて、なかなか気温が上がりませんでした。

ただ、この靄(もや)は、霧のようなものなのか、街の埃なのかは判別が付きません(汗)
両方と思われます。

さてさて、人気コーナー(投票3票 笑)世界のごはんシリーズ!!
このホテルについて今日で3日目になりますが、
正直言うとお料理のレパートリーはこの3日間で出尽くしてしまった感、アリ(゜∀゜ )
残念ながら、到着当日の中国式回転テーブルや、バイキングに並ぶのは
ほぼ同じ品揃えなのであります。

こちら、到着当日の夕食。
レストランが選手村仕様になっていないため、こういった部屋に通されて
回転テーブルで食事しました。

こちらのスパイス、八角を使った豚角煮は、大人気商品。
昨日の日記のプレートにもありましたが、瞬く間になくなる。

ちなみにこれ、お皿の下に固形燃料があって、常に暖かいものが供されます。
(固形燃料の火力が強すぎて、かなりグツグツ状態になりますが(;^ω^))

昨日あたりからボチボチほかのチームも入ってきたので、
食事会場は「選手村仕様」のバイキングに。

↑左は中国でよく出てくる、大きな川魚と思しき魚を横にぶった斬って煮たやつ。

焼きそばの食感は、昔懐かしい給食を思わせます。

私、結構好き。

毎日北京ダックも供されるのですよ!大人気です。


鳥料理が多いです。

↓この左側はホクホクじゃがいも。
肉じゃがのジャガイモみたいでかなり美味しい。

温野菜ほか、生野菜もあります。生野菜とカットフルーツは、恒例の
大人による「毒味」(というと言葉がきついですが、要は洗っている水が
大丈夫かどうかのチェック)済。


この右は、こちらのお豆腐の煮物。
ある子供は「お豆腐じゃない~」と言っていたけど、
固くて噛みごたえがあって、味がしみているお豆腐。私かなり好きです。

主食はチャーハンと白飯と食パン。
初めは匂いを嗅ぎつつ、おそるおそる口にしていた選手も、
「慣れてきました!美味しいです」と比較的しっかり食べている。

でも彼女らの一番人気はやっぱり・・・

なぜレンゲ?↑

ある日の私のプレートです。

この固めのお豆腐料理は、たぶん、これだけあればここで生きていけます、と
言えるくらい好きな感じ。
しっかりした歯応えで、郷里の凍豆腐を思わせます。

食後のコーヒー。
まあまあ美味しいけど、近くにカップが置いていない。
「カップください」と店員さんに頼むと、ここにあるじゃないの、という顔をしつつ
コップに手づから注いでくださる。

あちあちあちあちあち。
熱くて持てませんって!!














到着!!

2011年12月02日 | 紀行
羽田空港から上海まで、約3時間。
朝9時台の便だったので朝5時出発でしたが、羽田はやっぱり近い。
空港としての機能は成田が上だと思うけど、移動は羽田が楽だなあ。
プラス今年はチリやらセルビアやらに行ったことを考えると、
飛行機3時間って、すごーく快適。

ということで、昨日夜に中国は山東省、済南市に到着しました!!
日本もこの冬一番の寒さらしいですが、
こちらも負けずに寒いです。
昨日は今年初めての雪が降ったとのこと。
あまり雪は振らないところらしいですが。

上海の虹橋空港で多少待ち時間があり、その後は1時間半のフライト。
乗り換え便の出発が多少遅れたものの、
荷物はきっちり全部出てくるわ、
上海の国際線から国内線空港までバスで20分くらいの距離があるのだが
荷物運びからバス移動、飛行機のチェックインまでスムーズに進むわ、
最終目的地のバスのピックアップからホテルのチェックインまで
予想をはるかに超えてすんなりと運ぶ。
↑大抵、誰かの荷物が届いていないとか、
迎えの人がトラブルで遅れている且つ連絡がつかないとか、
そんなアクシデントはつきものなんですけどね。
いつもの百戦錬磨の「センパイ」と
「なんだかうまくいきすぎて怖い」なんていうくらいでした。

中国は北京五輪視察以来だと思うんだけど
上海の国内線の空港が、とにかくデカくてびっくり。
ってか、道路などのインフラから、空港や駅やら、
とにかく、何もかもが、いちいちデカい。
中国の今の繁栄を象徴していますね。

それに、以前に比べて、驚くほどどこもかしこもキレイ。
(機内でセンパイの隣に座ったビジネスマンによると、大都市限定なのだそうですが)
人の対応もずいぶん柔らかくなった。
入国審査をする審査官なんて、こちらが日本人だと分かっていても
にこやかに「HI」なんて言って速やかに作業してくれるもの!
すごくいい印象を持ちました。
ちょっと前なら考えられないな。

上海の国内線の空港の女子トイレ、「女子マーク」が面白かったので
記念撮影。

右の女性、フラッシュで顔が光っちゃったけど。
トイレの写真で失礼します・・・が、お掃除おばさんがほとんど常駐していて
つねに掃除している。
綺麗ですよ、ほんと。
フラッシュ撮影したら怪訝な顔された

ただ、ここ済南市は、北京や上海ほど洗練されていません。
昔の中国と今の中国が混在している感じ。
まさにカオスです。

昔、北京あたりでもよく見た屋台や、自転車・バイクに大きな荷物を乗せて
移動する姿がまだ沢山見られます。

車はいっぱい!!

道路幅が広いんだけど、車線と思しきものが見られないので
(多分3~4車線くらいある)常にクラクションの音。
今日練習にいっただけで、2件事故を見ました。


ホテルは正直、とてもきれいかといえばそうではないです。
昨日チェックインしてから、選手の部屋のカードキーが何回も壊れたり、
トイレが詰まったり、有線LANが全く繋がらなかったり、
食堂がどえらく寒かったり。

ただ、私たちのこういう遠征基準は何といっても2年前のインド・プネ遠征なので
「あの時に比べれば天国みたいなもんだよね」が常に合い言葉。
あまり熱くないけどお湯はちゃんと出るし、ベッドリネンはきれいだし、
トイレの水は流れるし。
私的に言えば、部屋に湯沸かしポットもある=持ってきたコーヒーが飲める。

外が寒くて埃っぽく、また反日感情がどれくらいある地域かわからないので
ほいほい外へ気軽に散歩というわけにはいきませんが、
ま、今回はまたビデオと格闘になるだろうし、そのために本をたくさん持ってきた
んだしね。
山東省の冬を堪能したいと思います。

ホテルのフロント。

ミスマッチだなあ。

でも頑張ってます。


フロントにいるブーちゃん。
シンガポールのホテルのフロントにも、こんな感じの縁起物の
置物が鎮座していたなあ。


ロビーにいる案内係の女の子。

ドアが常に開閉されて、スースーするので
ボア風のケープを羽織っています。

ホテルの隣は工事中。
夜も掘削作業の音が。

こんな工事現場は市内中あっちこっちに見られます。


さて、次回はご好評いただいてます、ハギコ的「世界のご飯シリーズ」です!!

↑とりあえず、ついた日の夕飯。私のプレート。











当たり缶

2011年11月20日 | 紀行
昨日は練習が終わってから、夜、岡崎へ移動。
岡崎は愛知県です、Aさま。

名古屋駅から名鉄に乗り換えるのに、またまたしこたま迷う。
どれが私の乗る電車なのか、ちぃとも分からん
駅員さんに聞いたんだけど、ホームに降りてからがまたワカランのよ。
表示を見て色々考えて、これではないかと見当をつけ、
ジモティの方が整然と並ぶ列の後ろに並んでみた。かなり挙動不審げに。
超がつく方向音痴なので、私が「これではないか」と考えたものは
だいたい間違えていることが多いのだが(最近の確率。ほぼ80%間違い)
今回はどうやら20%に入ったみたい。
乗りたい電車が私の並んだ列に来た。ほっ


行きの新幹線で簡単に食事をしたが、まだちょっと食べ足りない感じ
ホテルの近くにコンビニがあるだろう、と思ったら、
これはものの見事に見当が外れました。
しょうがないので、まずはホテル近くの自販で飲み物を仕入れる。

缶コーヒーってあまり飲まないんだけど、思わず買ってもた。
「でらこくうま」らしいので。

・・・って、缶を取り出して行こうと思ったら、ピピピ・・・と音がして
またガコン!って何か出てきた気な音。

わあ!「当たり」だって!!

イマドキ当たり付きの自販、珍しいなあ!

当たり缶の中身は、携帯のカメラに付けられる広角レンズでした。
ちょっと要らない感じだけど(笑)当たったのは嬉しい。

飲み物では、勿論、腹に溜まらないので、ホテルの自販を覗いてみた。
お!おでん缶発見!!

テレビで見たことがある。結構美味しいってタレントさんが言ってた。
小腹ふさぎにはちょうどいいかなあと思って、購入。
1缶250円なり。
これは当たり付きじゃなかったですけどね(笑)

中身は、こんにゃく、大根、牛すじ、糸コン、うずらの卵が2つ。
あと練り物が幾つか。
もちろん温かい。

牛すじなんかはイマひとつだけど、
出汁は結構いい味だった。やるなあ、って感じ。


今日のお昼に一仕事して、練習に参加するためすぐトンボ帰りしました。
新幹線が2本先まで自由席も指定席もいっぱい。グリーン車しか空いてない。
えーんまた出費かいな・・・
しょうがないけど急ぐので、グリーンのゴージャスさを堪能するごっこをしよう。

・・・と東京に近づいて気づいたら、通路挟んだ隣で2席占領して
爆睡していた女性は、女優のMHさんでした。







日帰りアウェー

2011年11月14日 | 紀行
現在、大阪は「街」のド真ん中の辺りの学校に通っております。

過日は大阪城をふらふら見学して帰りましたが、
今日は学校に行くには微妙に10分くらい早いかな、というタイミングで到着。
(学校さんは、あまり早く行き過ぎても授業やっていたりお掃除していたりで
却ってご迷惑をかけてしまうのです)
違う出口から出てグルッと周辺歩いていこうか、ということに。

しかし、毎度そうだけど、名古屋や大阪の地下鉄や電車は
アウェー感ビシバシ。
同じような電車形態なのに、人の立つ位置や座る位置の、所謂「慣習」みたいなもんが
東京とは微妙に違うのですよね。
典型はエスカレーター。
大阪は見事に皆さん右側に収まる。
普段左側に乗る習慣なので、右側は何だかモゾモゾこそばゆい。

電車の中吊りでは、岸田劉生生誕120周年展の広告。
今日の相棒Gと、美術館と博物館の違いについて話す。

私「美術館ってさあ・・・行ってみたいんだけど何見ていいか分からないんだよね」

↑昔、ある場所で初めて美術館に行ったとき、800円も払ったのに
何を見ていいかわからなくて、ものの5分で出て来てしまったことがあった。
「美術館で何を見ていいか分からない人間なんだ」ということに気づいて
ものすごくショックだったトラウマがある。

G「私、でも、ある種の博物展示は見に行ったりしますよ。恐竜とか結構行きます。」

私「あ、恐竜はさあ、なんか楽しいよ。恐竜だったら私も見に行くかなあ。
 あとは、歴史博物館なら絶対行く。仏像とかも見に行く。
 でもさ、絵はさ、何をどう見ていいか分かんない・・・」

G「仏像は何が楽しくて行くんですか?」

私「なんか有難い感じがするじゃん。あのね、仏像で好きなのはね・・・
 (と延々オタクトーク。辛抱強く付き合う、年下のG。)」

G「・・・要するに、いろいろな背景や見るポイントが分かっていると、
 見に行くのは楽しくなるってことですよね」


他愛もない話をして、目的地周辺とちょっと違う出口から地上に
出てみたら。

じゃきん!
いきなり高床式住居(復元)が目の前に。
ちょうど話題にしていた歴史博物館そのものの近くの出口だった。わーい!!

・・・とはいえ今回は寄っていく暇はない。
人気のない復元の高床式住居をぐるりと回るに留める。

近くにあった芝生に、なぜか雀の大群!!

何をそんなに熱心につついているのか!?
Gが近くまでワーッと走っていって、雀を一斉に飛び立たせる。


さて、一仕事した帰りはちょうど夕飯時。
バカの一つ覚えと言われてもいい。
私たち、東の者は、大阪に来たら必ず買いたいのがコレ!

今日は、甘酢肉団子を買ってみた
お供はビールじゃなくて、スタバのコーヒー(笑)

グルメ写真風に、Gがお団子持ち上げてくれた。

キラキラ美しいですね・・・
もちろん、豚まんもお買い上げ!

新大阪発ののぞみはほぼ満席。
車内には551のシアワセの香りが充満してました。
551の袋を持ってる人は私たちだけじゃなくて、絶対一車両に
一人以上はいますよ。



















世界遺産

2011年10月30日 | 紀行
盛岡に前乗りした際、ちょっと足を伸ばして平泉まで行ってきた。
↑といっても、運転は今回の相棒Aがしてくれたので、
私はただ座って連れていってもらっただけなんだけど
なんといっても世界遺産だからね!!

私は東北人なので、小さい頃訪れた記憶があるのですが
ほとんど覚えていない。
ただ、「東北の殿様」として奥州平泉藤原氏は何となく近しいイメージを
勝手に持っているのでした。

盛岡から車で1時間半。
ツタ●でCDも借りて、BGMも準備万端。
80年代の歌のオムニバスも借りて、私は「一人イントロクイズ」状態

とはいえ、今回これが目的で来たわけではないので、
目的地に着いたときは閉園まであと1時間という時間帯。
慌てて車を降りて、表参道の急勾配の坂(月見坂)を上がっていく。
紅葉はもう一つ、かな。


中尊寺本堂です。
中尊寺は天台宗の東北大本山。

ご本尊は阿弥陀如来。
今回初めて知ったのですが、阿弥陀様は戌年生まれの守護本尊なのだそう。
ありがたやー

↑本堂の境内。

この後、薬師堂の「世界遺産記念限定」金色の目のお守りを購入。
近視&PC作業が多いもので、目は酷使している自覚がございまして。

この木が一番赤くなっていたかな?

あああ、「お手洗い」の看板はスルーしてください(゜∀゜)
参道や境内には沢山紅葉の木があった。
本格的に紅葉したらとっても綺麗だろうなあ。

さらに進んで、
宝物館である讃衡蔵をぱっと見たあと(閉館時間が迫っていたので)
いよいよ金色堂へ。
奥州平泉氏の栄華の象徴。
国宝建造物第一号なのだそう。
撮影不可なので、覆堂(おおいどう)を撮影。
中の、金色の輝く光が漏れています

ご本尊はやはり阿弥陀如来さま。
ここの須弥壇には、中央に奥州藤原氏初代清衡公、左に二代基衡公、
右に三代秀衡公のご遺体と四代泰衡公の首級が安置されているそう。
(中尊寺HPより)
泰衡公といえばアレですね。頼朝から逃げて潜伏していた源義経を
自害に追いやって、その後自身も頼朝に攻め殺されてしまう殿様。

ずいぶん暗くなってきて、閉山時間も迫ってきたので、ここでタイプアップ。
釈迦堂や能舞台などには立ち寄らずに出口へ向かいました。


このあとは盛岡名物じゃじゃ麺かなーとかツラツラ考えていましたが、
駐車場近くにあったお土産屋さんでコロッケを立ち食いしたり、
お土産物を試食したりしているうちにお腹が満たされてきてしまった。
↑だいたい私はこの流れで、その土地の美味しいものをmissするのだorz
わかっちゃいるけど止められん

結局相棒ズはわんこそばに挑戦に行ったのですが、
私は宿泊先に帰りました。
だってわんこそばはすでに2回経験済み。東北人の嗜みですわ←ウソ

盛岡で食べたものと言えば・・・

帰りに新幹線で食べた駅弁。鮭といくら飯。
そしていつもどおり(笑)最初の影形は跡形もない、とな。














宮古市

2011年10月29日 | 紀行
岩手から帰ってきました。
岩手では寒くて、あまりにも頼りない感じだったフード付きダウンベスト。
東京に着いてコレで外を歩いていると
「うう暑い、これ」。

盛岡からさらにバスで2時間。
三陸沿岸部の宮古市に向かいます。
106線というバスが1時間に1本出ていてとっても便利。
震災の後も、このバスが人や物資を運ぶのに大活躍したのだそうです。
懐かしい感じの切符。厚くて、硬い。

途中、道の駅で3~5分トイレ休憩をします。

さすがに少しずつ紅葉してきていますね。

車の縁石替わりに居た小人さん。

しかし、盛岡市内や宮古までの道中を見ている限り、
震災の影響はほとんど確認することができませんでした。
宮古市に入った辺りで仮設住宅と思しきおウチが建っていたくらいかなあ。
もちろん細かいところや、以前の姿に比べると変わったところは沢山
あるのでしょうけれど、ぱっと見には全くわからん。
こんな短期間でこんなにちゃんと生活を「戻す」なんて
東北の人は本当にすごい、と思いました。

宮古駅到着。

バスを降りると、今回お世話になるチームの保護者さんが車で迎えに
来てくださっていた。

今回私たちが訪れたのは、宮古市でも千徳地区といって、津波の直接被害が
ほとんどなかった地域のチームです。
ただ、津波の直接被害はなかったからといって、電気、水、食料のライフラインは
長い間復旧せず、大変な思いをされたそう。
「少し時間があるので、体育館に行くまで街を回ってみますか?
街の半分は完全に『なんにもない』状態だけど」と、サラリとおっしゃる。
「そうそう、信号も実は一昨日復旧したんですよ!
一昨日になるまで信号があるなんてこと、すっかり忘れてました!あはは」
サラッとカラッとおっしゃってる感じが、逆に体験した人の現実味を感じさせた。

駅から海の方へ近づくにつれて・・・私たちは絶句。
きれいに片付いているが、本当に何もない。
分譲中の団地みたいだ。
かろうじて家の礎部分が残っていても、ほとんど更地。
たまに大きな建物は残っていても、壊滅状態になっているか
営業していないお店か。

「ここはずいぶん高かったんですよ。電信柱の上に捕まって
助かったなんて人がいましたからね」
「ああ、ここには大きな船が引っ掛かってました」

海辺に魚市場(があったところ)があったが、
かろうじて市場だったのかなあ?という感じ。
ところどころある堤防の切れ目から覗く、青くてキラキラしたあの海が・・・

流されてしまった辺りのところは、高い堤防があった。5~6mもあるだろうか。
案内してくださったお母さんがおっしゃるように、高い堤防が続いている
辺りは、おかげでその向こうの海の様子がほぼ全く見えないのだ。
高台にいた人には、波が堤防を超える様子が見えただろうけど、
ここにいた人たちはいきなり波が堤防を超えてきたというふうにしか
見えなかったそう。

ここにも家がちゃんと沢山建っていたんですよ、とお母さんはおっしゃるが
あまりにも更地。
写真を撮るのもはばかられたのだが、お母さんが車をUターンさせるときに
(つまり建物がないので、道路もどこにあるのかが分からず、行き止まりまで
行ってしまったのだった。もちろん道路標識の類は皆無)
1枚だけ車内から写メさせてもらった。

こんな更地が街の半分、延々と続いているんです。


うーん・・・と言葉をなくしつつ、目的地の千徳小学校へ向かう私たち。
お母さんいわく、千徳地区は津波の直接的な被害を受けなかったため、
同じ被災地でありながら「被災している」と認めてもらえず、
被災した方々向けに行われているあらゆる催し事に
「呼んでもらえないんですよ」。
だから、今日は皆さんが来てくださるのを子供も大人もみんなで
とっても楽しみにしてたんです、とのこと。
今度は別の意味で、うーん。

大変失礼だけど、大人の方がそうおっしゃってくれていても
肝心の子どもたちが「そう」じゃないケースは往々にしてあるんだよな・・・
なんてチラッと思ったのだが、
これが嬉しいことに完全に杞憂だった。
学校についたとたん、今日受講してくれる小学1年生から6年生までの
54人が、寒いのに私たちの会社のTシャツ姿で、大拍手でお出迎え。
帰りも、バス停まで男の子が3人ついてきてくれて、
私たちが乗ったバスが見えなくなるまで、ずっと手を振ってくれた。
こんな大歓待はここ数年、ついぞなかったなあ。

そして驚いたのが、子供たちがとにかく明るくて元気で人懐っこいこと。
1年生の男の子は話しかけたそうに傍に来るのに、こちらが話しかけると
ニヤニヤ・モジモジ。
4年生の男の子は休憩開け1分前に私のところに来て
「(講習を再開する)時間ですよ。やりましょう」と私を見上げる。
私「まだ1分あるけど、いいの?」
「いいですよ。やりましょう。集合かけてください。みんな集まって
きますから」

事前に車の中でお母さまに相棒Gが
「どんな子達ですか?」と聞いたとき
「人の話なんかぜーんぜん聞いてないですよー。特に男の子は」なんて
おっしゃっていたが、いやあ、なかなか。
久しぶりに子供らしい子供たちを見たなあ!って感じ。
教えるのも俄然楽しかった。
こちらが言うことをあまりにも一生懸命やってくれるのが嬉しくて、
途中私が予定の時間配分を無視して暴走しかけ、相棒ズにたしなめられた。
ごめんなさい

しかし、怖い思いや辛い思いを沢山しただろうに、
元気に笑って走り回っている子供たちを見ていて、
この国の一成人として心底ホッとしたし、また嬉しかった。
きっと周りにいる大人の方々がしっかりと、この子らを守っているんだろうなと
思った。
屈託のない笑顔と「また来てね」に
私たちの方こそが勇気とエネルギーをもらえた、貴重な一日でした。















西の中心地

2011年10月03日 | 紀行
今日は大阪日帰りでした。

毎度、地下鉄なんかに乗っていても、アウェーだなあと感じる。
東京に似ているけど、確実に何かが違う。
電車内の立つ位置やシートの空き方など微妙なところで。
エスカレーターは見事に皆さん、右側に一直線。
(東京は左側に乗ります。でも、アレ止めた方がいいのにって
いつも思う。2人列で乗った方が絶対処理能力が上がる気がする。
急いでいる人は階段を使えばいいのだよ)

目的地が大阪城の近くだったので、仕事が終わった後
今日の相棒とブラッと歩いてみる。

暗くてなんだか分からん

でも、この一連の携帯写メの、空の濃紺色はとっても私好みだなあ。
空気が澄んでいると空の色が映えます。

近くまで行く。

ま、まぶしい・・・

大阪城公園は閑散としていた。時折地元のジョガーかカポー(カップル)が
通り過ぎるくらい。
この時間に観光していたのは私たちと中国から来たと思しき団体さんのみ。
真っ暗の中、フラッシュをたいてカメラのシャッターを押していらした。


お腹が空いたね~
粉モン食べたいね~と相棒と話しながら、
その割には寄り道せずに真っ直ぐ新大阪へ向かう。
粉モンもいいけど、私(たち)には大阪に来たらド定番の食べ物があるわけです。

「並んでるかなあ」
「確か改札の近くにあったよね」

・・・とここまで書いてピンと来て下さったアナタ。
「一億三千万分の独言」賞を贈呈させて下さい!
いつも遊びに来て下さって有難うございます。

大阪で必ず買うもの。
それは言わずと知れた、豚饅の「551」!!!いぇい!!!

匂いが気になるかなあと思いつつ、新幹線の中でいただくことを目論んで
ほくほくと551の豚饅を買い込んだ私たち。
うふふふー♪と席に落ち着いてから相棒が豚饅を取り出し、
私は季節限定品の「松茸ちまき」(¥380)を堪能しました。
551、最高!
東京にも出来ないかなあ。

新大阪駅には、とってもお久しぶりに彼↓がいた。







ステキな房総

2011年10月02日 | 紀行
学生もWリーグもいいが、お仕事もしなくちゃなのです。

土曜日午後、学生の練習を終えて、20時のバスで鴨川へ移動。

内房線や外房線を使うとちょっと時間が掛かる場所なのですが、
(ことこと走る各駅停車がすごく雰囲気があるが、
なんせ本数が少ないんですよね・・・)
アクアラインを通る高速バスがちょー便利。
乗って、寝て、食べて、寝て・・・ってやっていれば目的地に着いちゃうのだ。

今回はちょっと珍しい、公立の小中一貫校さんが対象。
中高一貫は割とありますけどね。
小学校と中学校が一貫しているから、「1年生」から「9年生」までいる。
今日は5年生から9年生までが参加してくれた。

昔、飛騨の「小中学校」にハマってずいぶん足を運んでいたことがあるが、
↑神岡から更に車で1時間ほど山に上がっていく、小規模校
今回の学校さんの生徒さんたちもそこに似た雰囲気があった。
「中学生」に当たる子が小さい子たちの面倒を非常によく見るのだ。
それから男の子と女の子が、なんていうか、普通に仲良し。
「普通に」っていうのは、自然な感じでってこと。
過剰に意識せず、排除しあったり茶化したりもせず。
小中一貫だとちょっとメリハリがないかな、なんて地元の方は
おっしゃっていたが、
こじんまりして地域の色が出る辺りは却っていい感じじゃないのかなあ、
なんていうのは、部外者の勝手な印象。


さて。
講習が終わったのは折りしもお昼時。
えっと、ここは鴨川よね。鴨川といえば、房総の海よね。
・・・泊まったホテルの近くに「地魚ネタ」って書いてあった
回転寿司があったわよね。

と、相棒達と盛り上がっていたら、地元の方が回ってないお鮨屋さんに
連れて行ってくださった!!!!

うっきゃー

握りのお鮨、いつぶりだろう・・・!!
・・・・マジメに考えるけど、思い出せない。前に食べたのいつだっけ。
今日は残念ながら海が「時化」で地魚が獲れず、
こちらのお店でも看板メニューで出してる「地魚の握り」が出来ないと
いうことでした。
房総の海って何が獲れるのか聞いてみたところ、
「実は何でも獲れる」という素敵なお答えが!
鯵、戻り鰹、鮑、「イカはやっぱり獲れたてが美味いね」とか。
く~っ!!
ステキすぎます、房総!!

さあ、帰りも一眠りしつつ帰りますよ!

今日の東京湾は曇り空でした。
羽田に発着する飛行機が、雲から現れたり雲に突入して行ったりするのが
面白かった。
















お昼寝、カムバック

2011年09月03日 | 紀行
今日は何月何日何曜日ですか・・・
すでに日本国内にいるようですが、時差ぼけが激しくて
燃えるゴミはいつ出せばいいのか、よく分からないハギコです。

ってのはアレでして(笑)
昨日の朝、帰国しました。もちろん今日本国内です。
帰りの飛行機はめっちゃくちゃ揺れました。
セルビアからミュンヘン(中継地)への中型の飛行機もちょっと揺れてビビッたの
ですが、
日本に接近して、ちょうど新潟上空から関東に接近するところと、
成田近くで高度を落としている時は、フリーフォールもかくや(註・乗ったこと無い)
というくらい上下にかなり揺さぶられました。

台風が近付いているからしょうがないし、
これだけ揺さぶられてても落ちることはない、と知りつつも
やっぱりコワイ。
酔いました・・・

気流の悪いところを通る時は、だいたい機長さんからアナウンスがありますよね。
海外の航空会社ってあんまり「これから揺れます」的アナウンスはしないのですが
(結構揺れていてもベルト着用サインすら点灯しないことがままある。
個人の判断に任せているのかなあと思う)
今回はさすがに「気流の悪いところ通ります」のアナウンスがあった。
ドイツの航空会社だったので、まずは機長さんのドイツ語のアナウンス、
次は英語のアナウンス。最後に日本語のアナウンスだったのだが
日本語の客室乗務員さんのアナウンスがあまりにもカミカミだったので
「おいおい、アンタがそんなに台詞噛んだら、
お客さんもちょっと動揺するでしょ」って
心の中で突っ込んでみた。

もちろん危なければ台風の中降りたりしないわけだから、
降りている以上大丈夫なんだろうけど、
客室乗務員さんはああいう時、とりあえず落ち着き払った機内放送を
お願いしたいモンです。うむ。


セルビアの写真がもう少しあるので、
もう数日お付き合い下さい。


「にくー!」な夕ご飯は何度かご紹介しましたので、
ホテルの朝ご飯をば。
基本はドリンク系ヨーグルトやシリアルに、パン、チーズ、ハムって
感じらしいです。

変わったところでは、パテが毎朝出ていたこと。
上の写真の中右のお皿が容器に入ったパテです。
さすが「にくー」な国。
パテは常食かぁ。
あとは毎日デニッシュが出ていました。
チーズが入っていたり、ジャムが入っていたり。
パイ系料理は得意みたいですね。なかなかおいしかった。

ジャムは桃が主流みたい。

右にあるのは熊ちゃんの絵が描いてある蜂蜜。

私たちが朝ご飯を食べるならこれだけで充分なのですが、
アスリートちゃんたちにはちょっと(特にたんぱく質系)が足りないので
もう少し量を出してくれ、とリクエストしたら、卵やソーセージまで
頑張ってくれました。

↑すみません、
ピラニア軍団(≒選手)の嵐が去った後の写真なので
少々寂しいことになっています。

パンをたくさん食べるように、と買出し部隊がピーナッツクリームや
チョコレートクリームなどを買ってきました。
大人チームもピーナッツクリームをおすそ分けしてもらった(こういうの
基本は選手のものなので、大人は余ったものをいただくのだ)。

熊ちゃんラベルがかわいい、と写真を撮ったら、
隣の先生(チームリーダー・男性)が
「くまですか」と。
私「そのようですね」
先生「死んでますか」
私「・・・・・・?????」

こっちの人も熊は「テディ」なんだなあ、とボーっと見ていたラベルですが、
その先生には「TED/DIE」に見えたのだそう。
爆笑!
「いや、だから熊が寝そべっているのかと思ったんですよね」だって。
幾らなんでも、死んだくまを売り物のラベルにはしないでしょー!

しかし、それ以来、このラベルは「TED/DIE」にしか見えなくなっちゃった・・・


なんて話は、もう過ぎ去った思い出なのですが。
今日から大学のリーグ戦が始まりましたです。
まずはこの時差ぼけ頭を何とかしなくちゃ。

カラッとして涼風が通る部屋で、お昼後少しうつらうつらしていたのが
もうすでに懐かしい。
カムバック、お昼寝。



ハギコ・イン・セルビアLAST

2011年09月01日 | 紀行
おはようございます。こちらは9月1日朝7時を回ったところです。
あと2時間後に出発して日本へ向かいます。
台風がどうなっているか、といったところがちょっと心配。
成田をそれるようですが、ゆ、揺れるだろうな・・・

さてセルビアの首都、ベオグラード観光編続きです。
こちらは国会議事堂。

ミロシェビッチ政権が崩壊した時に、市民が詰めかけたのが、この前の広場です。

それからはこれはかなりショッキング。
NATOの空爆を受けた旧国防省の建物。



バスの中でしか撮れないようです。
車から降りて撮影していると、軍関係の人が飛んでくるらしい。

爆撃はピンポイントで、国防省や内務省、軍関係・警察関係の施設にのみ
なされたようですが、やはり爆撃に巻き込まれる市民がいたり、
それを見ていた人がショック死したりと影響は少なからずあったそう。
セルビアの人たちの多くがアメリカ嫌いと言うのも分かる気がします。
爆撃が行われたのは1999年。まだまだ記憶に新しい。

他の施設は、何かのカバーで覆われたりしていますが、この旧国防省だけは
このままでした。
建てなおしたり壊したりしたいのだけれど、お金がないのだそうです。

大使館通りにはアメリカ大使館もありますが、アメリカ大使館だけ窓が
開かないように外側からがっちりつぶされています。
市民が投石するからだそう。

ではほんのちょっと気を取り直して・・・

要塞の中にあるレストランに、市のバスケット協会の方からご招待を受けました。



出てきた料理は・・・

肉!

にくー!!

に・・・にく・・・・(ばったり)

デザートも絶対に頼めというので(泣)
セルビアのクリームパイというものを。

中はチーズのクリームでしたが、あまり味がありませんでした。

サバ川の夜景。

夜景を撮るのはちょっと難しい。ぶれててごめんなさい。
多くの老若男女が川沿いにたむろして、おしゃべりしたり
大声で歌ったりしていました。


※以前ご紹介したセルビアのフルーツの蒸留酒は「ラキア」
フレッシュバターのようなものは「カイマック」だそうです。