映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

張込み (野村芳太郎 1956年 116分 松竹)

2019年09月25日 23時09分51秒 | 邦画その他
張込み 1956年 116分

監督  野村芳太郎
製作  小倉武志
原作  松本清張
脚本  橋本忍
撮影  井上晴二
美術  逆井清一郎
音楽  黛敏郎

出演  大木実
    高峰秀子
    田村高広
    宮口精二
    高千穂ひづる


若い刑事柚木は、犯人の元愛人の女の立場を気遣う優しい心の持ち主であったが、けれどもこの映画は、お巡りさんは良い人で犯人は悪い奴、と言う作品ではない.
尾行相手の女と同じバスに乗り、切符を売りに来た車掌に行き先を聞かれても答えられないような、しどろもどろな尾行が却って現実的な面白さを醸し出しているのだろうか.
宿屋の女中は彼らの職業を聞いて、農機具に使うエンジンを安く売って欲しいと言って困らせた.その場は嘘をついて何とかごまかしたけれど、警察官が嘘をついてはいけない、嘘つきは泥棒の始まり、数日後には怪しい人物として警察が呼ばれることになった.

犯人は肺病を病んでいて、人生に絶望した男だった.死にたいともらしていたらしいので、きっと昔の女に会いに行くに違いないと思ったのだが、女の所へ来てみると、他の男と結婚した女に何れほどの愛着を持っているか疑問に思えた.そして、会いに来たならば、女を道連れに死のうとするのではないかと危ぶまれてならなかった.
女を守らねば、と言う想いを強く抱きながら犯人を追ってきた柚木だった.女に危害を加えるのではないか、そうした危惧を抱きながら必死に二人を追った柚木だったが、けれども、二人の逢い引きの場面を盗み見て、彼の予想は全く外れたのだった.未だ二人は深い想いを抱きあっていた.それに留まらず、女は今の家庭を捨てて男と一緒に行くと言う.女は、全てを捨てて愛する男とやり直したいと言うのだった.
子供の前で、親に手錠をかけることほど辛いことはないと言う柚木だった.幸いにして、女の目の前で男に手錠をかけることは避けることは出来た.このことは、わずかな救いであったであろうか.
風呂上がりの女は、部屋にいる男が愛人ではないことに気がついて、一瞬部屋を間違えたのかと思ったのだが、間違いではなかった.なぜ部屋に他人が居るのか、と考えが及ぶに連れ、柚木の言葉を聞くまでもなく現実の出来事が悟られたのではなかろうか.まさに柚木が、女を幸せの頂点から絶望のどん底へ、突き落とした瞬間だった.全てを捨てて男とやり直したいと言う女から、愛する相手を奪い去ったのは彼だった.

張り込みという刑事の職務を全うする心は、強盗犯から元愛人の女を守る心であり、言い換えれば、強盗犯を憎む心であったのであったと思われる.けれども、愛し合う二人の姿を目の当たりにした時、人を憎む心は薄れ、単に一人の女の幸せを願う心に変わって行ったのであろう.そして同時に、刑事としての職務を完うする行為は、女の幸せを引き裂く行為に変わっていっていた.

こんな風に付け加えたら、更によい作品になったのでは.....
二人の刑事は、翌日の護送のため、もう一日同じ宿に泊まった.
翌朝、いつもと同じように、いつもと同じ時間に、ドケチの夫は会社へ出かけていった.
玄関まで送りに出た女.そこへ二人の刑事が宿から出てきて顔を合わせた.
「今夜の汽車で護送だから、もう会えないだろう.何か伝えることは」
女はしばらく無言の後、
「名刺を.....もし、東京へ行ったなら.....」
「その時は訪ねてください」

駅の待合室で、
「もう一度やり直すんだ.全てはそれからだ」
女が訪ねてくるかどうかは分らない.けれども、もし訪ねてきたなら、罪を償ってやり直せる人間になっていなければ.....

あえて書けば、『すぐに帰れば、夫が帰ってくる前に戻ることが出来る』と柚木は言ったけれど、これは余計な言葉.
『今は(今日は)ともかく帰りなさい』、これだけでよかったはず.落ち着いて考えて、その結果どうするかは、女の勝ってである.
『女を守る』と言うことと、『女の家庭を守る』と言うことは別なんだけど.....



宮之原線






熊本県、肥後小国














大分県、宝泉寺温泉


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