11頁 原 画
米価追々高直ニ相成市中難渋云斗なく折々米屋を
こほちなと致し候事も有之酒ハ三分一造被仰渡壱升
之価並酒ニ而三百文如斯諸色高直なれハ困窮の者ハ
ニ落ふれ路頭に餓死する者又数をしらす大凶之上大塩父子
之乱妨ニ而世上益困窮し米価俄ニ高く相成一石ニ付
(白米壱升二百七拾文)誠ニ貧乏人朝夕の煙立かるれニ至る事大塩奸賊の
所行故と慣らさる者ハなし
籏之図
東照大権現
天照皇太神宮
木造大筒の図
春日太明神
但シ火口ウシロニ アリ
南無妙法蓮華経
湯武両聖王
此所江棒火矢
天照皇太神宮
サシコム 八幡大菩薩
12頁 原 画
救民 先手の印幟
鉄大筒全図車ニ載用ユ
筒長サ四尺余台モ五尺余ニ見ユ
此外七十目筒銀象車輪ノ紋
小筒品々 長刀 刀 火貝等アリ
大筒玉薬入
木筒ノ図
火矢 胴 竹中 木蓋 木惣長サ壱尺余リ木綿ニ而五重巻ク
以下略します。
13頁 原 画
行列附之次第先手之分
桐紋籏(鎗人足同同)庄司儀左衛門 拾五匁筒 人足三人
救民幟 木大筒人足大塩格之助金助 拾目筒
文字籏 (鎗人足同同) 大井庄二良 拾目筒 人足三人
同中陣備之分
鎗 白井孝右衛門 同 深尾治平
同 茨田郡次 同 志村周次
同 杦山三平 同 上田孝次良 鎗 阿部長助
同 蘇我岩蔵
大塩平八郎 同 同 忠五郎
同 西村利三郎
鎗 橋本忠兵衛 同 高橋九右衛門 同 同 喜八
同 梶岡源右衛門 同 堀井儀右衛門 同 吉助
同 同伝七 同 安井図書
14頁 原 画
後備之列
鎗 渡辺良左右衛門
小筒拾挺
具足
瀬田済之助 大筒人足三人 長持 人足百三拾人斗
葛籠
小筒拾挺
右悪徒之者其日の出立ハ大塩初メ重立候ものハ甲冑を
帯し或ハ小道具或ハ面を包ミ加勢之ものハ陣笠後鉢巻
等ニて何れも抜身の鎗刀木刀竹槍を持もあり小筒を
かまへ大筒に引添陣立致し候
大筒ハ木以造る図之如く木の中を彫抜筒ニ竹の輪を
入候物なり小筒と申ハ常体の鉄炮なり木筒と申ハ尼ケ崎
高槻ニて火術ニ用ひ候打上の同様の筒なり外に棒火
箭又鉄造の大筒も有之候よし前の図の如し
檄文之写 落し文なり
15頁 原 画
四海困窮いたし只々 天録永く絶へ小人に国家を治めし
めは災害並至ると昔の聖人深く天下後世の人の君人
の臣たる者を御誡被置候故東照神君にも鰥寡孤独
に於て尤憐ミ加ふへきハ是仁政之基と被仰置候然
るに此二百五十年太平之間ニ追々上たる人々驕奢とて
おこりを極メ大切の政事ニ携り候役人共も賄賂を
公に授受とて贈貰いたし奥向女中の内縁をもつて
道徳仁義等もなき拙き身分ニ而立身し重き役柄
に経上り一人一家を起し候上のミに智術を運し其領分
知行所の百姓共江過分之用金等申付是迄より年貢諸
役に甚敷苦しむ上江右之通無体之儀を申渡し追々入用
かさみ候故四海之困窮と相成候故人々上を怨ミさる者
なきやうに成行候得共江戸表より諸国一統右之風義に落
入 天子ハ足利已来別而御隠居同様ニ而賞罰之柄を御
失ひニ付下民の怨気天ニ適し地震火災山も崩れ水も
漫るよう外ニ色々様々の天災流行し終に五穀飢饉に相
成候ハ皆天より深く御誡之難有御告ニ候得は一向上たる人
々心をも附す猶小人奸智之輩大切之政を執行ひ只
下を悩し金米を取立る手段斗ニ打かかり実以小前之
百姓共の難義を我等如者の草の陰より常に察し
16頁 原 画
怨ミ候得とも湯王武王勢位なく孔子孟子の道徳も
なけれハ徒蟄居致し候處此節米価いよいよ高直ニ
相成大坂奉行並役人共萬物一体の仁を忘れ得手勝
手之政道を以いたし江戸江廻米いたし天子御在所の
京都江ハ廻米之世話等も不致のみならす五升一斗
位の米を買ニ下り候者共を召捕なといたし実に昔葛
伯といふ大名其農人の弁当を持運ひ候小児を殺し
候も同様言語道断何れも人民ハ徳川家御支配之者ニ
相違なきを隔を付候ハ全奉行等の不仁にて其うへ
勝手我儘之触書等を度々差出し大坂市中遊民
斗を大切ニ心得候者前ニも申通り道徳仁義を存せさる拙
き身故ニ而甚以あつかましく不届之至且三都之内大坂之
金持とも年来諸大名江貸附候利徳之金銀扶持米等
を莫大ニかすめ取未曾有之有徳ニ暮し町人の身を以
大名之家老用人格ニ取用られまたハ自己之田畑等を
夥敷所持いたし何ニ不足なく暮し此節の天災天罰
を見なから恐も不致餓死之貧仁乞食をも敢而不救其
身は膏粱之味とて結構之物を喰ひ妾宅等へ入込
或ハ揚屋茶屋江大名之家来を誘ひ参り高価之酒を
湯水の如く麁抹ニいたし此難義の時節に絹服を
17頁 原 画
まとひ候河原ものを妓女と共に迎えへ平生同様ニ遊楽に
耽り候ハ何等の事武紂王長夜の酒宴も同し事
其所の奉行諸役人手に握り居候政を以右の者共を
取しめ下民を救ひ候義も難出来日々堂嶋の米相
場をいちり廻し実に禄盗ニ而決而天道聖人の御心に
叶ひかたく候救なき事蟄居の我等最早堪忍難成
湯武行勢ひ孔孟の徳はなけれとも無拠天下の
為と存し血族の災を犯し此處有志之者と申合
下民を悩し苦しめ候諸役人を先誅伐いたし引続奢
ニ長し居候大坂市中之金持之町人共を誅戮に及ひ
可申候間右之者とも穴蔵ニ貯置候金銀銭並諸蔵屋鋪
之内隠し置候俵米等夫々に配当いたし遣し候間
攝河泉播之内田畠所持不致者たとひ所持いたし
候共父母妻子家内之養方出来かたく程之難渋之者
とも右着金米とらせ遣し候間何にても大坂市中騒動
起り候と聞伝へ候ハゞ里数をいとはす一刻も早く大坂江
向可駈参候其面々江右米銭を分遣し可申候鈴橋鹿台
之金粟を下民江被与候遺意とて当時飢饉難儀を相
救ひ遣し度若又其内器量才力有之者ハ夫々取立無道
之者を征伐いたす軍役ニも遣ひ可申候必一揆蜂起之企
18頁 原 画
とは違ひ追々年貢諸役等ニ至るまて軽く致し都て
中興神武帝之御政道之通寛仁大度之取扱ニいたし
遣し年来驕奢淫逸之風俗を一統相改質素ニ立戻り
四海萬民何れも天恩を難有存し父母妻子をすくひ死
後の極楽成仏を眼前ニ見せ遣し堯舜天照太神
之時代ニ而復ししかたくとも中興の気縁ニ快復とて立戻り
可申候此書附村々江一々しらせ度候へとも数多事故最寄
之人家多候大村之神殿江張付置候間大坂より廻し
物之番人より見付大坂四ヶ所之奸人共江注進いたし候
様子ニ候ハゝ遠慮なく銘々申合番人を不残打殺し可申候
若騒動を承りなから疑惑致し駈参不申またハ及遅参
候ハゝ金持之米金皆火中之灰に相成天下之宝をとり
失ひ可申候間跡にて必我等を恨み寶を捨ね無道もの
と蔭言不致様可致候為其一同ニ触しらせ候尤是まて地
頭村方ニ有年貢等にかゝりし諸記録帳類はすへて引
破り焼捨可申候是往々深き慮有事ニて人民を困窮
致させ申間敷積り候乍去此度之一挙当期平将門明智
光秀漢土之劉膳朱忠等之謀反之類ニ無之又我等心中
天下国家を貪盗致し候慾より起り候事ニは更に
無之日月星辰の神讃ニある事ニ而詰る處ハ湯武漢
19頁 原 画
高祖明之太祖明を吊ひ君を誅し天罰を執行候誠以のミに
而候君疑敷覚候ハゝ我等所之終る處を汲等銘々開て見よ
此書附小前之もの江ハ道端坊主或ハ医師等より尋よ
よミ聞せ可申候若庄屋年寄眼前之灾を恐れ己ニ隠し
候ハゝ追而急度其罰課行候
奉天命致天誅候
天保八丁酉年月日
攝河泉播村々
庄屋年寄百姓並小前百姓共江
右黄色之結ニ袋ニ入上書に
天より被下候村々小前之者ニ至る迄
右之落し文読路町増筋辺にて悪徒離散之後諸
武器と共ニ井戸より取上候を写し取候なり尤本書に
よミかたき字多あり大体推量之上写し取候事故
誤字脱文も有之へきか
因みに曰天保七丙申年九月上旬ニ高麗橋三町目
横町ニ夜中ニ張紙有之候故番人之者見附
町中立会之上まくり取 御公儀江訴出候何者之
所為共相分不申大塩乱妨之後思ひ合し候へ者
是も悪徒之所為か成やと諸人風聞す仍而其
20頁 原 画
文を茲に写ス
近年引続候而天災地変五穀不熟にて諸民必死難渋致困
窮絶体絶命ニ至り全江戸之政道不正にて偏頗私曲
之沙汰ニ相成公儀と称し候儀迚更ニ無之此通ニ而ハ不達
天下之万民なく残所致餓死候ニ付此度天道様より政
事命令被為有候其訳候豊臣秀頼父秀吉之志を
継諸大名を師ひ海内を治る事不能を察し其暗弱ニ
乗し源家康太閤秀吉年項之恩義を不省ひそかに
隠謀を構へ豊臣之天下を奪ひ四海之政務を司り天下
之権柄を握り上ハ安撫せるニより代々将軍と相成候處
近代ニ至り江戸之気運追々おとろへ当時は人臣の極官ニ
登り官禄ニ盛成ニより威光日々ニ増長し人道の大乱を
廃し又下民之疑をいとハず栄中之奢強く諸民を芥の
如く軽んし手侭ニ成候小身者ハ厳科ニ處し少し手侭
に致し難は三逆の大罪も刑を軽くし且将軍之一
族金枝玉葉 迚も三卿之衆ハ国家之政務ニ不携然
るに高官を汚し剰大身ニして武功之家柄之大
名ニ者前々より松平の称号あたへ格別之国主
夫々日陰之身ニ而私之通行ニも目障と申而天下之大
名表向通行之駅場ニ相建候関札を理不尽ニその
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