51頁 原 画
樫原ニ而二月廿一日自殺いたし 但シ余人を頼候哉
首切有之 骸当時塩漬
同 近藤梶五郎
右も迯延候得共三月九日ニ立戻り自分居宅之焼
跡ニ立帰り雪隠之後之辺ニ而切腹す 殊の外見事
之由 骸当時塩漬
同 平山助次郎
二月十七日夜反忠訴人ニより同夜山城守差図ニ而
江戸表江遣ハさる
同 吉見九郎右衛門
右反忠内訴之書附を倅莫太郎ニ渡し置出養生
いたし居候か騒動を聞付福嶋五百羅漢近辺迯行
被召捕
同 河合郷左衛門
平八郎ニ諷諫致候得ハ大ニ叱られ手こめに逢候而大ひに
恐怖し騒動のおこらさる前二月十日比四才の倅
52頁 原 画
を連逐電し当時行衞しれす
同 庄司儀左衛門
平八郎鎗術之門弟ニ而当日剛勢相働キ候處
大筒火廻りあしく候故附木ニ而火を付置なから火口を
覗キ過て大傷致し片手不叶様ニ相成其上焔硝
之煙ニ而眼中をそこなひ歩行不自由ニ付右悪徒共
迯去候節邪魔ニ相成候哉途中ニ捨置候を辛くして
南都辺落行候を奈良町奉行寺田丹下組之者召
捕大坂江引渡ニ相成
御弓同心 竹上萬太郎
二月十九日朝騒動聞付其侭迯出し方々江立退候
得共御吟味強く中山寺辺ニ而若戎と申茶屋ニ而
召捕られ候其後組頭江家名相談之願書差出シ
候写
家名相続之儀奉願上候
私義譜代惣恩之義不奉忘却候忠重孝厚志之
立雖不肖不可有心懸然る所此度一儀私当月十一日
師敬知縁之者死之場をすくわんとして却而此謀ニ
53頁 原 画
落入られ不得止事約議仕候雖然小身之謀計
何そ取ニ足らん依之早速不奉申上誠ニ中々急速
とも奉存候處存外之一件不知身上處乱筆不顧
家名相続之義偏ニ奉願上候 恐惶謹言
天保八年丁酉二月 竹上莫太郎
名乗書判
上五兵衛様
鈴次左衛門様
或曰右莫太郎一味血判しながら当日ニ成迯去といひ
右之如き願書を差上候条臆病未練之白痴漢也
且願書も甚拙き文体旁以一笑ニ堪たり
玉造口御組与力 大井庄一郎
右之者ハ玉造口大井伝兵衛倅也先頃より勘当
うけ申候由此庄一郎平八郎ニ一味し乱妨之朝
平八郎差図を受近江彦根之家来(名苗字不分明)の子
息兼而学問之為平八郎方ニ寄宿致し罷在候
を鎗にて突殺し血祭りニ致し候由其後騒動之
54頁 原 画
場迯去京都千本道ニ而京都町奉行組之者召捕
大坂江引渡ニ相成入牢
或曰右彦根家中之子息義平八郎一味ニ進込候
得とも不承知申立候故屋鋪内ニ虜同然ニ留置
騒動之暁酒宴之席ニ而一味之儀勧メ候得共
固く辞退し候故平八郎大ニ憤り庄一郎ニ申付
血祭ニ突殺させ候由抑此人は何人そや自分之門弟ニ而
聖経之一巻をも教導せし者なるを情なく殺害ニ
及ぶ事人面獣心とやいふへき可憎云々
河州吹田神主平八郎伯父
宮腰志摩守
右之者ハ当日乱妨之人数ニ加り其後私宅江迯帰り養
母を切害し自分も切腹いたし候處切損じ服少
し斗切近辺之川江はまり死亡す但し此者倅ニ
助命之願書を残し置しと言
守口村質屋 向井孝右衛門
右之者ハ当日乱妨之人数ニ不加身上柄宜敷騒動之
日飯を焚悪徒江送候よし其後迯去伏見ニ而御奉
行加納遠江守殿組之召捕大坂江引渡しニ相成
55頁 原 画
入牢
般若寺村庄屋 橋本忠兵衛
右之者ハ騒動之人数ニ加わり後迯去候節平八郎
家内之者ニ行合同道して落行江戸路ニ而
京都之組同心ニ被召捕大坂江引渡しニ相
成入牢
浪人 梅田源右衛門
右者剛勢之曲者ニ而大塩方之大筒支配と
成先手ニ進町々を放火し後談路町ニ而坂
本弦之助の為ニ鉄炮ニ而討留られ死亡ス当
時塩漬
天満九丁目住医者 高橋九右衛門
中山辺ニ而御城代御家来ニ被召捕入牢
カマト三番 茨田郡二郎
御城代御家人召捕
56頁 原 画
勢州山田御師 安田図書
平八郎家来 西村利三郎
指内野村 木村主馬之助
御代官根本殿家人召捕入牢
上田幸次郎
信州溝口聖天堂預り 志村周作
額田幸五郎
江戸浪人 深尾治兵衛
白井義四郎
上田与市右衛門
堀竹礒治郎
同 半十郎
曽我長輔
河山良助
平八郎家来 杦山三平
同 曽我岩蔵
同 西村喜八
同 同 七郎
同 同 忠五郎
同 同 金助
57頁 原 画
右之者共所ニ而召捕入牢
横山千済
梶岡源右衛門
同 伝七
右之者共御代官家人召捕入牢
猟師 金助
右之者ハ至而鉄炮之名人ニ而平八郎兼而頼ミニ思ひ居候
處当日遅参ニ及ひ途中ニ而被召捕入牢
平八郎家僕当十四才 松本麟大夫
右ハ松本寛吾と申医師之倅也大塩江学問修行
之為奉公ニ罷越候当日人数ニ加り伏見ニ而召捕ニ相
成此者之白状ニ而徒党之名前又ハ其日之成
行大体相分申候由当時入牢
百姓 百五十人斗
皆々召捕ニ相成入牢
東組与力済之助父
瀬田藤四郎
同 嫁
同 倅四才
58頁 原 画
平八郎実子当二才 今川弓太郎
平八郎妾格之助妻
同 下女
右之者共皆召捕ニ相成当時拘り家ニ入
美吉屋五郎兵衛
同 並娘
右ハ初入牢之所妻子ハ宿下ニ而御預ニ相成五郎兵衛者
当時惣会所預ニ相成
版木師市田次郎兵衛
大工 治助
職人 治兵衛
書林河内屋喜兵衛
同 同茂兵衛
同 同吉兵衛
同 同新兵衛
此輩ハ落文之版木を彫又は木筒を拵へ或ハ平八
郎書物を買取なとせし吾咎ニ而当時町内御預ケ
或ハ他参止仰附候
59頁 原 画
於江戸表矢部駿河守殿より御老中江
進奉之写
昨廿九日夜六ツ時過跡部山城守組同心平山助治郎外
大坂表異変ニ付山城守差図之趣を以同人より
私江之書状致持参候間一読仕候處組与力大塩格
之助父大塩平八郎重立不易容企致候由右助次
郎内察申聞候ニ付即刻御当地江差立候間面談之
上委細承り候様申越候故面会仕候處一体同人者
去年正月中大久保讃岐守大坂奉行之節ハ町
目附者唱候役付申渡有之右ハ都而町奉行之組与力
同心共勤方並市中之風聞其外奉行手元隠
密之御用向為取斗候役筋ニ而近親之外同役
等出会も不致出来候ニ付其後者平八郎宅江も
不罷越候處同六月中同人門弟山城守組同
心渡辺良左衛門罷越自然異変等有之節
者忠孝之為ニ者身命を抱候哉之旨申聞不
審之義とハ存候得とも素より入順故右体之節覚
期ハ宜敷哉之旨外門人共代々申条一体平八郎
平常軍論文は政談を専に致し剛気之
者故全煉武之心附とも有之哉と存罷在候處
60頁 原 画
当正月六日前書之渡辺良左衛門並同組同心
近藤梶五郎清服ニ而罷越奉書紙ニ認メ候
書附持参致一読之上承知候ハゝ書判可致旨
申聞候得とも漢文ニ而更に読兼候間良左衛門
ニ為読聴致候處治乱を不忘臨時進退懸引
等之儀を認メ候趣ニ而外ニ怪敷儀も無之殊ニ
不同意ニ候ハゝ可討果勢ひニ付任其意書判致シ
候處当月上旬日不覚夜中竊ニ平八郎面談
致し度儀在之候旨申越候ニ付罷越候處火矢を
削其外門人共集り居昨年以来米穀払底ニ付
庶民及困窮畢竟御政道不行届之故之儀ニ付御城
代町奉行ニぞ寄有之候間若存立候節者一味可
致旨平八郎申聞如何と者存候得とも於其場容
易ニ異見等申聞候とも可取用様子ニも無之即座
ニ仇を可為勢ニ有之候間素より命を惜候而已ニハ
無之候得とも全く犬死致候より
公儀之御為第一と致覚期其場者程能及挨拶
尤平八郎平常口癖之様ニ御政事向其外御役
人等を種々批判致し不取留儀等申出舌論ニ而
已成行候も心外ニ付得与心色相探実否を顕シ
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