古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

盬平勢衰記 5 大塩平八郎乱妨 之一件 翻刻版

2017-04-07 00:33:03 | 大塩平八郎

41頁 原 画

遣し候様被仰出候右ニ付御米掛り町江相渡候節

白米ニいたし夫々遣候積り橋賃雑費銀も被

下候間其旨相心得可被申候名前ニ取調之儀精

く相急き不残様可申出候 以上 

    三月十一日         御救掛り惣年寄

一 米相場昨今引上ケ候ニ付橋米小売屋共已前ニ買

置候米迄も元付直段ニ不拘俄ニ店売直段引上

或ハ戸を〆しめ売等いたし候者も在之趣相聞へ候

以之外不埒之儀ニ候見廻り之者差出し候ニ付此上ニも

 

右体之族於在之ハ召捕可致吟味条心得違無之

様生路之売買可致候

  右之趣三郷町中橋米屋共江不残様早々可申

  聞候已上

     酉三月

一 市中橋米屋共方ニ而米押借致し候もの有之迷

惑いたし候由相聞へ候以ノ外之事ニ候右体之もの

有之候得者口上ニ而早々奉行所江可申出候ハ勿論ニ

候得とも手遠之場所も有之候ニ付左之通町々会

 

42頁 原 画

所江口上ニ而可申出早速組之者為駈付間橋

屋ハ勿論諸商売之者共安心し渡世可致候

    南堀江三町目  上難波町  阿波町

    堂嶋船大工町  雑■場町  南瓦屋町

  右之趣三郷町中江不残様可申聞候事

    三月十五日未上刻

    乱妨之者共人相書之写

 

                            大塩平八郎

年齢四十五歳顔面細ク長ク色白ク目之張り強キ方

眉毛細ク濃キ方額開キ月代薄キ方鼻常態耳常

体其節之着用鍬形之兜黒陣羽織着ス

                         同格之助

年廿七才色黒背低キ方鼻耳常体眉毛濃ク

向歯二本折有之

                         瀬田済之助

 

43頁 原 画

年二拾五才色青ク背高肥肉目丸ク二皮なり月

代薄キ方額付鼻高ク眉毛濃キ方下り在之

                            渡辺良左衛門

年四十一才色青白背低キ方目二皮ニ而大キク出目也

月代鼻耳常体

 

                        庄司儀左衛門

年四十才色黒顔細ク耳剃有之月代常体也

右之者共当地並後領内ニ而見合次第召捕又ハ及

仕儀候ハゞ討チ捨候共不苦候間早々御領内御吟味

有之怪敷者入込候ハゞ大坂町奉行所江早々御廻達

可被下候

因ニ右者蔵屋敷中江之書附を写ス又遠国近国

ニ而札場之張紙も右ニ准スれとも其書附ニハ

 

44頁 原 画

右之者共召捕訴出候者江者為褒美銀百枚可遣

尤人違ニ而も不苦候

前書之通大火後度々  御仁恵之御触書御廻ニ付

市中在々迄安心いたし業体を相勤申候乍併

出火後者米価追々引上諸色とも高料ニ相成

市中之困窮いふ斗なし

小豆壱升 二百三拾文   大豆壱升 百八拾文余

空豆一升 二百三四拾文  米壱升 二百八拾文斗(無程百七拾文ニなる

餅米壱升 三百文斗     油壱升 五百五、六拾文

酒壱升   三百文      塩壱升 五拾文

麦壱升  二百四、五拾文  大■米  二百二、三拾文

右ニ准し味噌豆腐香之物野菜廻りに至るまて

皆高直引上往古より未曾有之責価也

 

御公儀様ニ者乱妨之人々御吟味厳敷大阪出口々々者

不及申其外近国近在ニ者諸大名方より番所を立往

来人を一々御改厳敷近辺之海川池などへも網を入山林

竹林等残方なく草を分て御吟味ニ付悪徒追々

被召捕又者自殺之者も有之候然れ共張本人大塩

 

45頁 原 画

平八郎同格之助両人者一圓ニ行衛不知依而市中之

者不安心ニ而用心深き輩ハ猶蔵之目塗をも不取危

踏居候處摂州摩那山ニ大塩父子隠居候よし風説

有之依之西組与力内山彦次郎初組同心四ケ所浜方

之者大勢召捕ニ被向候得共人違ニ而浪人体之もの召捕

立帰られ候然る處三月下旬油掛町美吉屋五兵衛

(更紗職)方ニ大塩平八郎同格之助隠居候よし訴人

之者有之三月廿六日早朝より諸役人美吉屋之

八方を取囲廿七日早朝ニ内山彦次郎右油掛町江向

ひ美吉屋五兵衛を隣町会所江呼寄糾明有之候

 

同五兵衛宅より出火いたし候故諸人大ニ騒立火役之者

追々駆付内山氏ハ早速美吉屋江踏込裏口ニ行向ハれ

候ニ土蔵之後に別座敷有之通口之戸堅固ニ〆切有

之候得ハ内山氏大音声ニ名乗かけ大塩平八郎父子

立出て尋常ニ勝負致せと呼かけられ候時平八郎

聲ニ而罷出相手ニ成可申と答候得者相待被居候

處其後者猶々音も不致候故内山氏手之者ニ被申付

戸を投し平八郎ハ自害ニ及ひ候故脇差を奪被取候ニ平

八郎早々家中江飛入候勿論火勢強く候故川組火

 

46頁 原 画

役之者ニ火消申付両人之死骸を為引出候ニ早頭髪

面部共焼爛相好相分不申候へとも平八郎父子ニ違ひ

無之由故近辺之医師之古乗物江平八郎死骸を

乗同格之助死骸も駕に乗五兵衛ハ勿論信濃町会

所迄被引取候尤平八郎火薬ニ而座鋪を焼候と相見へ

申候明銅の火鉢者せ彼有之よし申候此内東西町奉行

も出馬被致火者火役共消申候扨内山氏ハ大塩父子之

骸を高原ニ引渡し其所ハ先手役人村之者並火消

三人二行ニ相成其次ニ死骸之乗物を縄にて巻両方

ニ木札を掛大塩平八郎死骸と大文字ニ書て提有之

 

次ニおなしく両方へ木札を下ケ大塩格之助死骸と書

其次ニ美吉屋五郎兵衛(六拾才斗)縄付き之侭駕ニ乗上を縄ニ

て巻舁行其後より内山彦次郎組同心佐川豊左衛門

銅関弥治右衛門 其余人数大勢附添信濃町会所より

本町通を心斎橋南江渡り大寶寺町東江九之助橋

より高原牢屋敷江引渡され候是を見物する者雲

の如く霞之如く寄合乱妨の張本たる大塩自滅を

祝諸人初而安堵の思ひをなしぬ

因ニ曰右美吉屋五郎兵衛妻ハ已前大塩屋敷ニ

奉公いたし候者ニて実ハ平八郎乳母之由其縁ニ而夫婦

 

47頁 原 画

とも大塩方へ出入致し年来恩義を受ると見へ

たり平八郎実子弓太郎(天保七年冬出産)出生之砌にも

初着として陣羽織を贈り候よし且又此度乱妨之

印織旗等も五郎兵衛より染遣し候由云々扨平八

郎父子を二月廿三日比より裏之別座敷ニ人しれず隠

し置折節米炭鰹節醤油等を運び遣し候を

平八郎親子炭火ニ而煮焚し命をつなき潜ニ隠

れ居候を知るもの更になかりし處五郎兵衛方ニ奉公

いたし候下女何とやら夫婦之体を怪敷おもひ三月廿

日比虗病を構へ保養之ため親元へ帰り両親ニ右

 

怪敷様子等咄し候由親里ハ平野郷ニ而当時の御城

代土井大炊頭殿領分の百姓故早速御城代之御家

来衆江注進に及ひ候依之西御奉行堀伊賀守殿

江御通達有之則御手当ニ相成内山召捕ニ向われ候由

風聞有之候 

 

三月廿七日御触書写

一 去月十九日市中放火乱妨ニおよひ候大塩平八郎父子

油掛町三吉屋五郎兵衛方ニ忍ひ居候風説有之

為召捕組々者差向候處両人とも致自殺相果其

 

48頁 原 画

外悪徒之者共追々召捕又ハ自殺いたし申候間其

段令承知無掛念普請等も致し諸商人共無危

踏商売可致候

 三月廿七日酉上刻両御奉行所より御城代江御書

上之写

大塩父子居所相知自殺仕候儀左ニ申上候

跡部山城守

堀  伊賀守

 

今般油掛町美吉屋五郎兵衛方ニ大塩平八郎並

同人倅格之助忍罷在候旨伊賀守組与力内山

彦次郎承込即刻同組同心共江手配申附右五

郎兵衛を他町江誘引出し平八郎父子居所相

糺候處右之者竊ニ囲置候義相違無之旨申聞候折

柄御手前御家来衆も申合五郎兵衛宅江踏込候

處表裏戸〆り堅固ニ付打破押詰候處火を放し

銘々持居候脇差を以自殺仕掛候ニ付平八郎脇差

者取上候得共家中江飛入火勢強寄附兼候ニ付父

子焼死仕候火中より死骸引出申候私共義も

 

49頁 原 画

早速出馬仕死骸見合仕候処惣体焼爛難相分

候得共最初踏込候節乍間遠言葉を掛慥ニ見届候

旨彦次郎其外之者共も申候右もき取候脇差ハ

右之者所柄ニ而南組之者平日見覚罷在候品之由

申聞候平八郎父子死失ニ相違無御座候委細之義ハ

猶追々可申上候 以上 

      三月廿七日

                         跡部山城守

                         堀 伊賀守

     

     乱妨人徒党連名並召捕自殺之写

               当時隠居   大塩平八郎

               東組与力   同格之助

右両人ハ乱妨之張本人也うつほ油掛町三吉屋五郎兵衛

宅ニ忍候處三月廿七日露顕ニ及ひ座敷ニ火を放し

平八郎格之助を手ニ掛火中江なけ込自分も自

殺し火中ニ飛入死ス骸当時塩漬

               東組与力   瀬田済之助

 

50頁 原 画

一旦迯延候得とも御手当厳敷剃髪之風体見

苦敷相成河州恩知村山中ニ而縊死ス骸当時

塩漬

               東組与力   小泉渕次郎

二月十九日暁七ツ時比東御役所ニ而御糾明之節迯

出し候を跡部山城守殿家来一条一と申仁追掛遠

国役所におひて討果され死亡ス骸当時塩漬

               東町与力平八郎伯父  大西与五郎

                          同倅  善之丞

右者平八郎連判ニ不相加候得共親族ト申殊更大

切之使者ニ立なから途中より虚病を構へ私宅ニ

迯帰り剰へ騒動を聞付兵庫迠迯行大小を海

中江投捨迯かくれ後倅善之丞と同時召捕ニ相成

入牢

               同組同心    渡邊良左衛門

右之者も一旦迯延候得とも御手当厳敷處立寄方

無之哉剃髪いたし迯さまよひ終ニ河州

 

 

 

 

  


最新の画像もっと見る

コメントを投稿