私の家から四時軒までは直線距離で1.36Kmです。ご近所と言って良いくらいの距離ですが、その四時軒の被害がひどいです。明治時代に大きな地震があったと聞きますが、四時軒はのこりました。また震災3で紹介した清田家住宅もその時は無傷だったようです。そのことを考え合わせると今回の地震は古今未曾有の大地震ということになります。
この写真はネットより取得しましたが、震災前の四時軒の座敷(12畳)です。早春の柔らかな日差しが畳の上にまで差し込んで和風ならではの静閑の気が横溢する雰囲気のある写真です。
この部屋で小楠は客に会い弟子に講義をしていたはずです。元治元年(1864)には坂本龍馬が二度(2月と4月)にわたつてここを訪ねていますが、その時もこの部屋で会談したことでしょう。下に勝海舟宛て小楠書簡を引用しました。
この書簡で小楠は金子を贈られた礼を言っていますが、この時(4月)勝は幕命で長崎へ来たついでに龍馬を使いに出して金子を贈ったのです。禄を離れた小楠の経済事情を察しての思いやりでした。
一書奉呈仕候益御安泰ニ被為成 (一書呈仕たてまつり候、ますます御安泰になられ)
御勤恐悦ニ奉祝候先以熊本 (御勤恐悦に祝いたてまつり候、先ず以て熊本)
御通行之砌ハ坂下生御遣し懇々 (御通行の砌は坂本生御遣わし懇々)
被仰聞其上金子拝戴 (仰せ聞かされ、其上金子拝載)
御厚情不浅奉存候・・・ (御厚情浅からず存じたてまつり候・・)
上の写真の座敷が今はこの有様です。
休館の張り紙が痛々しいです。
四時軒からの眺望。坂本龍馬の2度目の訪問は4月でしたからちょうど今頃の季節です。手前の窪みは秋津川で今は水がちょろちょろと蘆間を流れている程度の小流れですが、往時は湧水量も桁違いに多く清冽な流れでした。龍馬もこの景色を眺めたはずです。
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