主宰五句 村中のぶを
潮騒に松籟に貝寄風のころ
との曇り濱豌豆のなだれ咲き
明け空の豊旗雲や桐の花
海へ向ふ立浪草の道であり
「松」若竹號表紙繪に
南の國の竹の子粗粗し
松の実集
燕の巣 祝乃 験
遅れゐる燕の巣作り店改装
抱卵か巣に籠もりゐるつばくらめ
サプライズ母の日贈る胡蝶蘭
日の出時の天子の梯川鵜飛ぶ
診療所裏は蛍の宵となり
赤い薔薇 金子千世
朝涼に両手を広げ風を比(たぐ)ふ
手づかずの庭の夏草雲走る
赤い薔薇何となくつい買ひにけり
庭詰めに耐えて過ごすも夏の風
髪切ってさらりと街へ夏の風
峰の奥 浅野律子
持て余す一匹買へる桜鯛
四・五本の夫の牡丹の気取りをり
三密をさけてテラスにサラダ食ぶ
朝明(あさけ)なる屋根より下りるはたた神
峰の奥夏山にして雪光る
メダカ生る 西村泰三
メダカの子生れをり動く照りながら
芥とは違うて動きメダカの子
二ミリの身動く子メダカ光り受け
慣れ来る目に子メダカの増え読めず
梅花藻咲く五ミリとなれる稚魚の槽
雑詠選後に のぶを
春寒や笑ひの志村けん逝けり 勝 寄山
いはゆる正鵠を射る、といふ言葉がありますが、一句は正に当節の世情を詠み取ってゐて余り有ります。それもコロナ、コロナ禍といふ直接的な表現ではなく、「笑ひの志村けん逝けり」と風刺的にも強く批評を込めた、鋭い感性の時事を詠じた句です。
天を差す指より乾く甘茶仏 伊織信介
「甘茶仏」とは、誕生釈迦立像の事で、誕生会、つまり4月8日の花まつりの本尊として祭られ、右手を挙げ、左手を下げ、それぞれ掌を見せ、施与といふ手印をとってゐます。説に依れば像の7歩歩いた足跡には蓮華の花が咲き、天上から竜王が香水を降らせたとあり、誕生仏の姿に甘茶をかけるのは之によつてと云はれてゐます。
掲句は「天を差す指より乾く」と、その添景を叙して、誕生仏と周りの状況をよく伝へてゐます。
なほ釈迦の降誕のことばに有名な、「天上天下唯我独尊」とあるのを付記しておきませう。
生もあり死もあり田植えさ中にて 山並一美
「生もあり」「死もあり」、つまり生老病死の事を表白したのか、それとも子供が産まれ、ある日は弔ひがあったりして、それも「田植えさ中」の頃-。
味読して実に深い息遣ひの詠情です。作者は96歳の方、その老境の自在さに感じ入ります。そして自然と人生とを見据ゑた句境に肖りたいと切に思ひます。
初夏やマスクの柄もストライプ 伊東 琴
先にも触れてゐますが、昨今は日日コロナとマスクの話題で持切りです。而し掲句に限つてその深刻さは皆無です。して「初夏やマスクの柄もストライブ」とは、夏の到来に合はせてマスクも縞模様の柄にと明るさに満ちてゐます。それに作者は確かに染色に携はつてゐる方、然もあらんと納得のゆく作句です。
キャンパスに三叉路五叉路さへづれる 山岸博子
大学構内を詠じた句。「三叉路五叉路さへづれる」、如何にも生気に満ちた、学生たちのそれぞれ講堂に向かふ光景と、その辺の草木の鳥たち、総じて春さきの学内の四辺を活写してゐます。作者は札幌市在住、北海道大学所見でせう。先にも作者の句を挙げてゐますがね、ここでも北国の爽やかな大気の見える句柄です。
混血の名の堂々の初幟 那須久子
「混血の名」、言ふまでもなく日本人と外国の方との子の名、その「同堂の初幟」、作者は先にも引いてゐますが、宮崎熊本県境の市房山麓に住む方、想像しても幟のはためきが山野の空に眩く見えて来ます。それも混血の名といふ措辞が強く印象に残ります。それはまた現代の新しい鯉幟と言ふべくー。
有明海に引力みたり遠干潟 吉永みつせ
広大な景観を骨太く描出した句、「引力みたり」しは起潮力といふ言葉もありますが、月と太陽の引力の事でせうか。大らかな力感に満ちた句です。それも「有明海」「遠干潟」とは誰もが知る懐かしい眺望、古くから文や詩歌にも詠まれ、特に干潟の生物の睦五郞、蝦蛄などは愛玩其の物でした。なほ筆者も様々な思ひがあつて、松永伍一文の写真集「有明海」、それに諫早出身の詩人伊東静雄の詩集を机辺身近に置いてゐます。詩集には世に膾炙した〈有明海の思ひ出〉があります。
亀啼くやほろ酔ひ帰る湖畔径 村田 徹
作者の住む熊本市東南の江津湖「湖畔径」、そこを「亀鳴くやほろ酔ひ帰る」、つまりほろ酔ひて帰る宵の水際に何か声がしたのか、それを亀鳴くとー。季題の斡旋も然ることながら、何とも風流韻事の一句ではー。筆者も酒家の一人として、その作意に改めて敬意を表します。
野あざみや棚田天辺家一軒 園田のぶ子
田園風景の写生句。「棚田」の畦をを伝ふ「野あざみ」の花が印象的です。それに「天辺家一軒」との叙景、叙法がまた鮮やかに棚田の丘の全景を描出してゐます。島原半島の一景でしょうか。
花冷えや罪人のごと家に籠る 温品はるこ
中七の「罪人」西教的にはつみびと、ここでも祈りのごとくに詠むべきでしょう。「花冷えや」「家に籠る」、それは暗に世に言ふ自粛のもたらす故なのか、さうでなくとも花冷えという時節と共に、罪人とよぶ措辞に何か私小説的な詠風です。
増えに増え二人志静の庭なりし 荒牧多美子
「増えに増え」はいはゆる同じ言葉の繰り返し、リフレインに依つて咲き溢れた「二人静」を表出し、結句の「庭なりし」はその庭情を強調してゐるのです。