中央区坪井4丁目に臨済宗寺院の見性寺があります。この寺は熊本藩2番家老の米田家の菩提寺として知られていますが、ここに写真のような灯篭が1基あります。この様式の灯篭がキリシタン灯篭です。灯篭には各部にそれぞれ名称がありそれを書き込みましたが、上から順に笠、火袋、台座、竿と称します。笠の上には宝珠と呼ばれる部品が載っていたはずですが、それは失われています。笠、火袋、台座は熊本地震の際転倒し、傾きが修復されないまま、火袋は仮置きのままになっており、転倒したときの衝撃で亀裂が生じて無残な姿になっています。なお、この灯篭には基台がなく竿の下部は直接土中に埋められています。
さて、キリシタン灯篭とは如何なるものかについて、簡単に記しておきます。まず、この灯篭を考案したのは戦国大名で茶人でもあった古田織部と言われています。キリシタン灯篭という呼称は300年以上も時代が下った大正期以後のもので、江戸時代はふつうに織部灯篭と呼ばれ、茶室のある庭園の点景物として、茶室はなくとも個人住宅庭園の装飾物として、あるいは由縁ある人物の供養のために寺院の墓地や神社の境内などに建立されて来ました。
大正時代になると民俗学的な興味からこれを研究する人があらわれます。竿上部のくびれの上が少し左右に膨らんでいること、及びそこに彫り込まれている図案様のもの、さらに、下部にある浮き彫りの人物像などに注目して、上部のふくらみはクルスを表し図案様のものはギリシャ文字のPTIと解読されこれは父という意味でキリストのこと、下部の人物像はキリスト教の宣教師を表す。したがってこの灯篭は禁教下における潜伏キリシタンの仮託礼拝物であると結論づけています。これはショッキングな見解で各方面に論争を巻き起こし、賛否両論いまだに結論を得ていません。
見性寺墓地の全景。この位置に建っています。両脇の墓と何か関係があるのか、ないのか・・。
このキリシタン灯篭は一体誰が何のために建立したのか、不明のままに花崗岩の灯篭は風化が進行しています。
天草キリシタン館に展示されているキリシタン灯篭。これは展示のために制作された後世の模造品ですが、キリシタン灯篭の様式をよく伝えています。