古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

山田村伝助の志納金 銀三百目  西福寺古文書

2018-05-30 09:55:51 | 一向宗

  御印  銀三百目

今度於其地法義為相続毎月廿八日
仏飯講被相企
御門跡様へ右之通献上遂披露候處
かねて各法義之志深き故
御本山渇仰之思浅からず神妙ニ
思召候然ル上は弥あり難く被存毎月
懈怠なく被寄合互に心を合せ永く
御馳走可被申上候夫ニ付安心之趣は平生
聴聞の如く一念帰命のたちところに
仏のかたより往生治定せしめ玉ひ
光明摂取の御利益にあづかるを正
定衆の数に入とも申なり此信決
定之上外には
公儀之掟を堅く相守存命の間は
行住坐臥をえらばず報謝之称名
之相嗜可被遂此度之報土往生素
懐事肝要之旨被  仰出候依而
被顕     御印候者也
 申九月六日

             肥後求摩

             廿八日佛飯講
                  門徒中
             世話人

                  山田村伝助
             取次

                  西福寺

于時安永六丁酉九月 写之

 上は坂本町鮎帰西福寺に伝わる古文書である。
 28日仏飯講というのは隠れ念仏の門徒たちが、毎月28日に寄集まって念仏を唱え、僧侶の法話を聴く寄合のことである。寄合は秘密の中に行われるので、毎月の事となればいつも他領から僧侶を招くわけにはいかないから、世話人の伝助がその代役を勤めていた。この世話人を毛坊主と言う。毛坊主は読み書きができて人望があり信仰心の篤い者でなければ務まらなかった。
 伝助は親子2代にわたる毛坊主であった。伝助の信仰が露顕したのは安永5年(1776)の宗門改め時と云われ、この文書の日付は「申九月廿一日」となっており、本山の文書発給はその前年(1775)ということになる。従ってこの「銀三百目」の志納金は伝助自身が肥後峠を越えて西福寺へ持参し本山への取次を依頼したことになる。そしてその翌年の安永6年(1776
)伝助は処刑され、その年の9月にこの文書が写し取られたことになる。