古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

高木第四郎 熊本搾乳業の父

2018-05-01 23:29:17 | 熊本の偉人

横井小楠記念館蔵

高木第四郎年譜 (山口白陽著「高木第四郎伝」より)

文久  2年   1歳    8月20日熊本市高田原歩町の宮崎家に生る。

慶応   元年   4歳    市内春日町久末に移転。

明治   元年   7歳    6月21日母知幾逝く39歳

      2年    8歳    長兄真高函館の戦に参加途上、上総沖で乗船の難破 

                                         に 遭い死亡。19歳。

      3年    9歳    3月島田氏の寺子屋に入る。義母藤枝入嫁。

5年    11歳     日新堂青年塾に寄宿、竹崎茶堂の教えを受く。

8年    14歳     春日小学校へ転学。

9年   15歳    ※10月24日神風連の乱起こる。

   10年   16歳   ※2月22日薩軍熊本に来襲西南役始まる。宮崎家を出

            て高木家を創立す。

   11年   17歳    広取英学校に入学嘉悦氏房らについて英・漢・数を学

            ぶ。

     13年   19歳    広取英学校を退き下総三里塚種畜場に入り牧夫とな

            る。

14年   20歳    農商務省農務局農学校獣医分科に入り速成獣医生とな

           る。

15年   21歳    三里塚種畜場を退帰熊。

16年   22歳    市内鷹匠町に搾乳業広乳舎を創む。

21年   27歳    創業5年にして住宅を新築す。松原米子を娶る。

22年   28歳    8月25日長男亮生る。※2月11日憲法発布。

                    ※4月熊本市制施行。

          5月熊本市会議員に当選(最年少。)

          7月28日熊本地方大地震。

            託麻選挙(騒動)について財務整理に当る。

23年   29歳   第1回国会議員選挙

24年   30歳   ※7月1日九州鉄道門司より熊本まで全通。

25年   31歳    3月23日二男統生る。※国会議員選挙大干渉、徳富蘇

           峯応援に来熊。

26年   32歳    託麻郡本荘村に土地を購入牛舎を新築移転。右により

           熊本市議会議員を辞任。

           鷹匠町の屋敷を熊本電気株式会社に売却。

27年   33歳    ※日清戦争始まる。5月本荘村々会議員に当選。

           戦傷病兵の後送により衛戍病院への牛乳納入激増す。

28年   34歳    鷹匠町の家を本荘に移す。

           6月29日三男徳生る。

29年   35歳    三里塚種畜場に至り初めてホルスタイン種牛ローヤル

           号を買入る。10月九州商業銀行熊本支店支配人とな 

           る。

30年   36歳    6月27日父真雄逝く73歳。

           9月27日義母藤枝逝く。

32年   38歳    九州商業銀行本店を熊本に移し紺屋町に新社屋建築、

           支配人となり次いで取締役に任ず。横浜の米人よりホ

           ルスタイン種牡牛を買入る。

33年    39歳    7月15日白川大水害に漁舟を借りて牛乳を配達す。

           ※9月立憲政友会創立され党員となる。

           飽託郡々会議員となる。

34年   40歳    全国的パニックにより九州商業銀行も支払停止となり

           引責辞職したが間もなく取締役に再選、整理に当る。

35年   41歳    11月大演習のため天皇御西下牛乳御用命を受く。

36年   42歳    失火のため牛舎の半ばを焼き牛6頭焼死。

           牛の結核検査実施病牛を出す。

           銀行整理を終え正式に辞任。

           飽託郡々会議員に再選。

37年   43歳    日露戦役起り陸軍予備病院に設置により牛乳の需要激

           増。牛舎増築乳牛50余頭にたっす。

39年   45歳    8月蒸気機関、消毒器設備牛乳の瓶装消毒を実施。

           立憲政友会隈本支部幹事となる。

40年   46歳    10月県会議員に当選。

43年   49歳    1月同志と共に九州実業新聞を引受けて監督となり6月

           1日より九州新聞解題発刊。

45年   51歳    県会議員に再選。

           ※7月30日明治天皇崩御。

大正   2年    52歳    5月岩手県小岩井農場よりホルスタイン種牛買入れ。

              10月鹿児嶋で開会の第1回九州各県連合畜産共進会で   

              表彰を受く。

     3年   53歳    ※7月欧州大戦勃発。8月対独宣戦により膠州湾

              撃。12月九州新聞社長となる。

    4年   54歳     県会議員満期。

    5年   55歳     10月飽託郡黒髪村字留毛に新牧場を設く。11月政友

               会県支部総務となる。

    6年   56歳    4月の衆院議員選挙違反事件に連座。

    7年   57歳    4月右違反事件により収監されたが29日間で特赦。

              ※11月欧州大戦終る。

              12月政友会支部幹事長となる。

    9年  59歳  3月肥後農工銀行取締役となる。

             3月公民権復活し5月衆院議員に当選。

   10年  60歳  5月九州新聞社株式会社に改組され取締役社長となる。 

             6月北海道農場からホルスタイン種牛買入れ。

    12年   62歳   5月下総御料牧場よりジャージー種牡牛、群馬県神津牧

             場より同種牡牛買入。

             5月九州新聞社社屋完成、輪転機2台増設、7月盛大な披

             露を行う。9月1日関東大震災、新聞広告に打撃を受けた

             が義援金募集に努力、11月現地を視察す。

    13年  63歳  ※1月清浦内閣成立、政友会分裂して床次竹二郎らの政友

              本党に入る。5月衆院議員に再選。

    14年   64歳    5月宇留毛牧場牛舎改築。

             八景水谷に1万坪を買入れ新牧場を設く。

     15年   65歳   八景水谷新牧場の最新式諸設備完成、約80頭の乳牛を養

             う。

昭和   3年   6 7歳      1月台湾視察旅行。

                                     12月農工銀行勧業銀行と合併、取締役を辞任。

                ※1月衆議院解散2月初めて普通選挙行わる。

     4年  68歳    本荘町の牛乳処理設備に大改善を加う。

     5年  69歳    5月熊本電気株式会社監査役となる。

     6年  70歳    ※9月満州事変勃発。

             11月の特別大演習に御料牛乳を納む。

     8年  72歳   7月日本新聞協会大会につき満州各地を旅行。

               10月ポルトガル領マカオに乳牛8頭を輸出。

     9年  73歳    3月13日九州新聞1万号に達し大祝賀会を催す。

     10年  74歳    4月日本新聞協会大会熊本に開かれ東邇宮より表彰さ

             る。

               10月帝国牛乳教会会長となる。

    13年   77歳    11月3日喜寿金婚双賀会熊本市公会堂於て最も盛大に行

             わる。

      15年   79歳    4月九州新聞社長を辞す。11月紀元2600年祭典にお召

             を受く。

    16年  80歳  5月広乳舎外4社と合併して新たに熊本合同牛乳創立され

             その社長となる。

             10月熊本電気株式会社監査役辞任。

             11月帝国牛乳協会長辞し顧問となる。

               ※12月8日大東亜戦争勃発。

    17年  81歳   5月1日九州新聞九州日日新聞と合併し新たに熊本日日新

            聞創刊さる。

   20年  84歳   ※7月1日熊本市大空襲を受け大半焼土となる。

            ※8月15日終戦の勅下る。

   21年  85歳   2月12日妻米子逝く。75歳。

   24年  88歳   8月20日自ら主催して子、孫を集め米寿祝賀会を開く。

   25年  89歳   熊本牛乳株式会社社長辞す。10月最後の上京を果たして知

            友を訪問或いは弔問す。

     27年   91歳   12月12日逝く。91歳。

            同14日葬儀、万日山の墓地に葬る。

広乳舎発祥の地 

16年  22歳  市内鷹匠町に搾乳業広乳舎を創む。と年譜にありますがその住所は「熊本

区鷹匠町65  番地」と上の絵にあります。下は昭和4年の熊本市街地図ですが〇印の所   

に65の数字が見え弘乳舎はこの場所に創立されたことがわかります。

下は現在の地図です。矢印の所が広乳舎跡です。 

創立時の広乳舎の敷地は160坪とあるので丸印の範囲ではと思われます。

 

 

 


迦南俳句を読む27  春光寺の迦南句碑

2018-05-01 10:34:00 | 横井迦南

 虚子、年尾、汀子句碑の建っている傍らに膝まづくように迦南句碑はありました。虚子、年尾の句碑が白御影の堂々たる石柱であるのに比べ、このへり下りようはいかにも迦南らしく思われました。しかし春光寺の句碑は迦南句碑が第一号で、虚子其の他はその後に建てられたものだそうです。

春光寺の迦南句碑

此処とてもまた仮の宿日向ぼこ  迦 南

 迦南は昭和16年に朝鮮竜山鉄道を定年退職して鹿児島市へ転居しますが、一所に定住できず鹿児島市から霧島市へ、さらに多良木町へと移転を繰り返し、昭和24年三角町へ移り死去までの5年間をそこに過ごしました。この句は鹿児島時代に詠まれたもので、流浪する老年を象徴するような句です。

 この句はよくよく味わってみると、しみじみとした迦南の感懐にこころ打たれます。