睡蓮の千夜一夜

馬はモンゴルの誇り、
馬は草原の風の生まれ変わり。
坂口安吾の言葉「生きよ・堕ちよ」を拝す。

分水嶺と伊集院静氏の「二日酔い主義」

2009-11-27 06:43:33 | 本棚・思想・禅と仏教

「夏目雅子・没14年目」のビデオを見ていた。(1985/9/11 満27歳没)
急性骨髄性白血病で夭逝したと思っていたが直接の原因は肺炎だった。
一度はかんかい(治癒)したと伝えられ、退院のメドが立ってからの急変は、
こんなことがあっていいものかという気分。

伊集院静氏を慕いつづけた夏目雅子の「純情」がね、身につまされた。
彼女が病床に伏してからというもの、伊集院氏はすべての仕事を辞め
つきっきりの看病に明け暮れたという。

彼が1992年に女優篠ひろこと再婚したとき、これで"夏目雅子の夫"から
開放されると人事ながら安堵した。伊集院氏は再婚を機に夏目雅子を
題材とした執筆は(現夫人がいるかぎり)しないと明言した。
現代無頼派と云われている氏だが、本当は心優しき"無頼の徒"なのだ。

10年くらい前は毎号コンビニで立ち読みした週間文春。
伊集院静氏の連載エッセイだけ読めばいいのだから、まず目次を見て
「二日酔い主義」に直行する。手元にある古い週刊誌は2000年10月の物、
冒頭の「汚れっちまった悲しみに・・・」の文字を見た瞬間、買おうと決めた
本だった。

  山口県の人間は社会に出たら、君は長州か・・・と言われる。
  その時に、それを自慢するような卑しい若者になるな。
  郷土閥、学校閥とか、特定の、己とは関係のないものを力と感じるな。
  男は決して、人と連(つ)るむな。連(つ)るむことと友情とは別のものだ。
  まず己が孤であることを知って欲しい。
  独りだということを知って、そこから友情がはじまる。
 
  人は生まれて、生きて、必ず死ぬ。わかっていることはそれだけだ。
  独りで生きて、独りで死ぬ。だけれども人は生きて行けば、限りない
  出逢いをする。その出逢いがすべてだと思う。

伊集院さんは高校生にそう話したという、同感だ。
同感できること、共鳴できること、そこが長く付き合える作家かどうかを
決める分水嶺なんだろうな。


夏目雅子さんを見ていたら寒椿が浮かんだ。






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