本屋で文庫本を買う時は真っ先に「あとがき」を読む。
たいていは短い文章なのでじっくり読み、それから「まえがき」を読み、
「目次」を眺め、本分をサクッと流し読んでから買う。
朝日新聞社会部編のこの一冊も、そんな出会いだった。
「日航ジャンボ機消息を断つ」の衝撃的な第一報は今でも鮮明に覚えている。
二転三転した墜落地点、凄惨な現場を真っ先に放映したフジテレビ、そして生存者。
目をつむるだけで、御巣鷹の尾根からヘリコプターで吊り上げられる生存者の姿が甦る。
この本を読むと、あの阿鼻叫喚の尾根を「使命」に燃えて駆けずり回った報道記者の
熱い思いが伝わってくる。決して忘れてはいけないことなんだ、と。
私たちは事故の後、上野村当局によって「御巣鷹の尾根」と名付けられた、
あの慟哭の現場を、新聞人のひとりとして、いつまでも忘れないでいたいと思う。
本文中に触れたように、私たちの仲間は、あのとてつもない事件に遭遇したとき、
いっときも早く墜落の現場にたどり着こうと、汗まみれになり、足をとられ、
泥だらけになり、こけつまろびつして、山に登った。
だが多くは、その目指す現場に到達できなかった。
到達出来たのは、多くの記者の中の、幸運な一部でしかなかった。
ほとんどが山中で迷い、行き先を間違え、仲間に先を越され、
そして空しく、時に小雨そぼ降る中を下山した。
だが、その敗残の姿にこそ、私たちの原点があるのだと、私は思う。
私たちは、時に方向を間違う。誤まりに気付かぬこともある。
しかし、それでもなお、なりふり構わずに汗まみれになって、事実に立ち向かい、
挑んでいく努力が、やがては真実を切り開いていくと信じたい。
この本で表現したかったのは、時に恰好の悪い部分もあるが、そういう新聞記者の
偽りのないふだんの姿である。
新聞記者の仕事とは、つまるところ、そうとしかやりようのないものではなかろうか。
この「あとがき」を読んで、この本を欲しいと思った。
恰好つけることなく、切々と、思うがままの心情にあふれている。
ただ、読むたびに現場の報道カメラマンの生の声が載っていないことを残念に思う。
あの凄惨な修羅を余すことなく収めたであろう、公表されなかったフィルムの行方と、
一枚の有無を言わさない報道写真が「報道倫理」と葛藤する様子を知りたいと思った。
事故後、一部写真週刊誌に掲載された、むごたらしい現場写真を見つめ、
「JAL123 日航ジャンボ機墜落」の事故の悲惨さを胸に刻みつけた一人として。
1985年8月12日以降の夏は、
「原爆記念日」、「御巣鷹山慰霊登山」、「終戦記念日」と
三つの行事が連続して行われて、やっと、ゆく夏を惜しむ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます