負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

十二年間もノーモデルチェンジの記録を残した車があった

2005年03月30日 | 詞花日暦
戦後十年間の混乱期は、野心と挑戦と
試行錯誤の入り乱れた時代であった
――柳田邦男(ノンフィクション作家)

 昭和三十年代に一世を風靡した「スバル三六○」。テントウ虫に似た軽自動車である。発端は通産省による「国民車」構想だった。同じ敗戦国・西ドイツでフォルクスワーゲン(日本語訳は「国民車」)による自動車産業隆盛に目をつけ、なまえも含めてそっくり真似る発想だった。
 お役所仕事だけに尻すぼみだったが、ここで示された軽乗用車の仕様は、かつて飛行機メーカーだった富士重工業に新たな野心をもたらした。世界のどこにもミニカーの技術定説がなく、決定的製品もまだなかった。
 試行錯誤がつづいた。開発スタッフは、横向きに配置されたリアエンジン、一○インチ径の軽量タイヤ、外板やガラス素材開発などを重ねた。デザイナーは世間の流行や自分の観念的アイデアにこだわらなかった。昭和三十三年にやっと完成したスバル三六○は、十二年間、ノーモデルチェンジの記録を樹立する。戦後の混乱期を経た三十年代は、模倣から抜け出し、日本独自の発想が開花し始める技術ルネサンスの最初期だった。

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4 コメント

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名車ですね(^^) (彩木 翔)
2005-03-30 14:39:39
確か市販に漕ぎ着けるための公開テストは、箱根のヒルクライムを4人満席の状態で完走したのだったと記憶してますが、たった360ccのエンジンで、あの曲がりくねった急な坂道で大人4人を移動させた実績は、当時としては大変なものだと思います。...多分、今スバル360の程度のいい物を手に入れようとすれば、万が一出物があったとして、数百万円は覚悟しないと入手できないでしょうね、...外観もさる事ながら、前開きのドアは、鬼面人を驚かせるものがあります。
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彩木 様 (菅原)
2005-03-30 18:06:53
4人で箱根を越えましたか。愚生は70年代に新潟・小千谷のユーザーに乗せてもらい、当時秘境の秋山郷に行ったことがありましたが、太ったおじさんの多い4人で、悪路を登りきれませんでした。当時まだ若かった私たちが後ろから押す役割でした。キャトルシュヴォーのルノーの方がまだましでした。
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キャトルシュヴォーのルノー.. (彩木)
2005-03-30 23:00:01
...と言うと、日本の日野自動車との提携でつくられたあれの事でしょうか?...当時、私はVWビートルとルノーが似たようなデザインだったので、よく間違えた記憶があります。....しかし、当時の車のデザインは斬新で美しいものが多いですね、たまに街中で駐車してるノスタルジックな車には、老若男女を問わず、目を奪われているようです。
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たしかに紛らわしい (菅原)
2005-03-31 06:30:52
丸みを帯びたラインが当時の流行だったのでしょうね。ワーゲンやルノーに比べると、スバル360はいかにも小柄な日本人に合わせたようなチマチマした印象でした。ただクルマが贅沢品だった時代、一般人でも手の届く価格が日本人を引き付けたようですね。
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