負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

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「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

私は悪いことをしてはいないと言い切る不倫の女性がいた

2005年05月28日 | 詞花日暦
あの青年を愛すのも、敬次(夫)を愛すのも、
それは私の意思ではないか
――田村俊子(作家)

 田村俊子は恋多き女である。結婚しながら他の男性を好きになり、女性との交友も経験する。既婚者の経済的援助を受けながら、関係を結び、同時に知人の夫とも不倫におちる。そんな多彩で奔放な恋が、彼女の生涯を彩っている。
 象徴的なできごとは、最初に結婚した夫との生活がはじまってしばらく、彼女が若い男に引かれた一例である。
 夫は自分がいながらほかの男に走る妻の態度を「憎むべき罪悪」だといい、二重になった愛を許そうとはしない。夫の立場からすれば、きわめて自然ないい分のように思われる。
 ところが俊子の心の動きはまったくちがっている。涙ながらに妻の態度を「罪悪」だとなじる夫の姿を見ていると、夫に対する愛情は一挙に崩れてしまう。そのうえ、「自分の身体がいまそっくり自分のものだ。自分の精神がいまそっくり自分のものだ」というふしぎに自由な気分に満たされてしまう。
 一方の若い青年からは、「二つの道を同時にいらっしゃる訳には行かない」といわれる。これも常識的には当然のいい分である。ところが俊子は夫を持ちながら青年を愛した「自分の仕出来した事」から逃げ出したくなる。
 なんともわがままないい草ではないか、と多くの常識人は考える。俊子が「袍烙の恋」に描いた心理を読めばなおさらである。「あの青年を愛すのも、敬次(夫)を愛すのも、それは私の意思ではないか。私は決して悪いことをしてはいない」。
 自分の意思ならなにをしてもいいのか、自分の精神や身体が自由であれば、ほかの人の立場は考えなくてもいいのか。そんな是非を俊子に問い、糾弾しても答えは期待できない。
 最初の夫である田村松魚との結婚は、結局、鈴木悦との恋愛と駆落ちによって終わった。新しい夫を追ってバンクーバーでの生活がはじまるが、夫の死後にロスで野菜マーケットの既婚経営主と関係を結ぶ。帰国後には、佐多稲子の夫であった窪川鶴次郎と恋愛に落ち、不倫が発覚すると、中国に飛び立つ。
 俊子は、男をあざむき、もてあそぶことはいいことではないと思うが、自分から謝ろうとは思わない。「あの行為も、私の男へ対する愛も、みんな私のもの」だからである。非難中傷するまえに、存外このふしぎな心の綾が、人間の正直な本来の姿かもしれないと思ってみてもいい。

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9 コメント

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御無沙汰してます(^^) (彩木 翔)
2005-05-28 15:43:20
久々に、小生にもコメント出来そうなお話しなので書かせて下さいませ。

現段階での自分の愛情観として、人間には、いわゆる喜怒哀楽を司るホルモン(化学物質)の分泌の多少の個人差によって、本人の意志に関係なく恋多き性格が表面化していくケースと、また同じ要因にて、逆に色恋に対して淡白なケースがあるのだと考えます。...これは推測ですが、田村女史の場合は前者にあたるように思います。...しかし、前述の二例の他に、様々な清濁の経験を経て見出された不動の愛、つまり常に流れ行く感情に左右されない愛というものが、人間にはあるような気がします。...持論ではありますが、『今ここ...』を全霊を懸けて愛せない者に、いったい何を愛せようか?....と思うのであります。
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ホルモンの研究 (菅原)
2005-05-29 07:27:59
数年前、性ホルモンの研究を発表したアメリカの女性研究家がいました。大体6~7年で男女は一定の相手に飽きが来るようになっているそうです。ホルモンから見ると、大概の夫婦はある時期から嘘偽りを繰り返す状態に入ることになります。自分で紡ぎ出す言葉や慣習や金銭関係に頼って、恋や愛やにしがみつくわけです。果たしてそれを「不動の愛」と言うのか、「浮気にも飽きた状態」と言うのか。冷酷に人の恋や愛の姿を見つめることで、何か別の愛が生まれるのでしょうか。
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失楽園 (彩木 翔)
2005-05-29 13:25:45
渡辺淳一氏原作の失楽園と言う映画がフィーバーしたのは、もう10年近く前でしょうか、...あの中で、末期ガンに侵された男性が..『俺は死ぬ前にもう一度、燃えるような恋がしたい...』と悲痛な面持ちで訴えていたのがとても印象に残っています。..人の生涯の中で、自ら大輪の花を咲かせた時代というものが、如何にすばらしいものであるかが痛いほどに伝わって来た覚えがあります。....私の書いた文章には、些か刺があったようです。...もし気分を害されたのであれば陳謝いたします。

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刺? (菅原)
2005-05-29 17:28:11
いえ、全然、そのような感じはしませんでしたが。気分を害するようなことは毛頭ありません。私の方の表現にそう思わせるものがあったのかなあ。まあ、ホルモンだけで片付けられない愛というものがあるのも事実です。ただ隙間風が吹き抜ける夫婦や恋人の間を言い訳のことばなどで塞いでやり過ごしているより、別の恋へ走った方が、より人間的に思えたりします。
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ホルモン (persempre)
2005-05-30 00:08:51
浮気性と性ホルモンの多寡は関係があるのかもしれませんね。 というより性衝動の強弱といったほうがいいかしら?  



>別の恋へ走った方が、より人間的に思えたりします。



これは、聞き捨てならないですよ。 まさか、プラトニックラブではないですよね。 



そういえば、先日、中国人と「女遊び」とはなんぞや、と話していて、「男遊び」というのもあるのかしら、という話題に発展しました。



最近中国では、お互いのそのようなアソビを容認しつつ、結婚生活を「沿い遂げる」選択肢が増えつつあるそうです。
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選択肢 (菅原)
2005-05-30 08:52:12
「聞き捨てならない」のお叱り、男の身勝手とご容赦を。でも女性にも「男遊び」、たくさんあります。海外へ観光旅行に行った女性たちのその手の「遊び」、うんざりするほど見聞きしてきました。まあ、恋や情事は当人同士の問題ですから、はたからとやかくいうことでもないでしょうが。小生の身近にも三十代の若い中国人女性がいますが、アソビ(?)の話を聞いたりします。

それにしてもこのところブログの文章がいやに長い、締りのないものになっています。読みづらいでしょうあが、もうすぐ終わりますので、ご容赦を。
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いい忘れました (菅原)
2005-05-30 10:38:11
中国では最近、離婚率が急上昇中だそうです。こんなこと言い忘れてもいいのに、その女性が盛んに口にしてましたので。
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子供にとっての親は、 (tombo)
2005-05-30 17:38:55
男でも女でもない父と母という別種の生物ではありませんか。少なくとも戦中派の両親を持つ自分は両親が手を繋いでいるところすら記憶にありません。

結婚が契約となってしまった夫婦には、分別のある年齢に達していようがいまいが、恋愛の嵐は耐えがたい誘惑でしょうね。経験を積むだの、大人になるだのとは言っていますが、自分の精神年齢は12才あたりから成長しているとは思えない。とすれば、激しい恋に身を委ねたいあこがれは持ちつづけると思いますよ。
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あこがれを持ちながら・・・ (菅原)
2005-05-31 10:23:06
それを押し殺し、懸命に現状維持にこだわっているご夫婦もいるようですね。幸せはどちらにあるか、わかりにくいです。
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