負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

ひとりのプロジェクトから日本独自のカメラは始まった

2005年03月31日 | 詞花日暦
一番安い市販カメラの四分の一で
売れるカメラを作れといわれた
――米谷美久(技術者)

 昭和三十一年、工学部機械科を卒業した米谷美久は、写真好きの趣味を生かそうと思い、カメラメーカーに入社した。当時、同社は国産最高級二眼レフカメラなどで地歩を固めていた。入社したばかりの米谷は、安価な市販カメラの四分の一で売れる新製品開発を命じられる。
 しかも、たったひとりのプロジェクトだった。戦後の技術のおおくは海外の先進技術を模倣することで成り立っていた。「時代が代わろうとしている時期」に立ち会った彼は、挑戦意欲を掻き立てられる。オモチャはつくらない、レンズや設計で妥協しない、苦節の二年間がつづく。
 ハーフサイズでフィルムが使える利点も加わって、昭和三十四年に発売した新製品は、月に一万台のヒット商品になった。「自分でほしいカメラをつくろうとした気持ちが、好結果に結びついた」と米谷は述懐している。日本がカメラで世界を制覇する発端である。モノづくりの方向を失ったいまの技術は、模倣から脱却し、つくりたいものをつくる発想が必要なようである。

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4 コメント

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こんばんわ (空魚)
2005-03-31 22:13:25
大好きな機種なのでコメントさせてください。写真を始めた12才の頃、一番欲しいカメラがこの「PEN F」シリーズでした。もちろん買ってもらえませんでした。町のカメラ屋の前で一日中見ていたら、そこの親父さんが世界中の市販カメラの掲載されたカタログを呉れました。よほどヨダレを垂らしていたようです。ちなみに次に欲しいかったの、トプコンREスーパーでした。懐かしい思い出です。
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お久しぶりです? (菅原)
2005-03-31 22:56:07
ファンが多かったようですね。私は8ミリに凝って、アルバイトをし、セコニックを買いました。多分、一番安かったのでしょう。後に同社のトップに会ったついでにそんな話をしたら、露出計をプレゼントされました。

それにしてもお久しぶりです。もっとも空魚さんのブログは読んでいますが、つらい話が多くて、ついコメントがとまってしまいます。
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すみません、、 (空魚)
2005-04-01 00:08:50
何せ「嘔吐」なもので、あまり綺麗な話は出てきません。(おそらくこれからも、、、)お読み頂いて恐縮です。このふた月ほど伏っておりましたが、熱が下がった折りに薬代わりにまとめ読みさせて頂いてました。・・当時このカメラが欲しくて、「子どもの科学」と言う雑誌の発明コンテストに二度応募しました。大賞の商品がオリンパスPENと記載されてたんです。初回の「太陽追尾装置」が佳作で少しめげたのですが、理科の教師の冷やかしに発憤して応募した二度目で大賞を取ったんです。「片手で出来る半田ゴテ」と言うモノで、松ヤニと半田をコテの中に充填するタイプの新案でした。しかし、約一ヶ月間東京からの郵便小包を待ち続けた「純情少年」に届いたのは、な~んと、PEN EEという廉価版のコンパクトカメラでした。ケッコーへこみました。更に二年ほどあとに僕のアイデアが商品化されて(しかも実用新案として登録され)ラジオ雑誌の通販コーナーに出ているのを見付けたときには「あ、東京の人はみんなキタナイんだ」と確信してました。中一の夏のことです。実際にこのカメラを「所有」できたのはその25年後でした。

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松脂の香が甦ります (菅原)
2005-04-01 03:33:55
半田ごてと松脂にはびっくりしました。私も子どもの頃、山に入って松脂を採り、松脂が溶ける香りを愛でたものです。空魚さんの発明はいかにも空魚さんの本領発揮ですね。道具から作るという人こそ、独創の人で、私などはたまに火傷をつくりながら、ただ組み立てるだけの人でした(このブログでお見通しのように)。片手でできる新案製品を私は知りませんでしたが、きっとその頃は松脂を卒業していたせいでしょう。それにしても賞品が廉価版カメラ、加えて実用新案の登場、こうした落ちも空魚さんらしいつらい話です。
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