負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

遊女といっても、明治時代にはこんなふうだった

2006年10月11日 | Weblog
遊女といえば、どこか優雅な面影を残した遊び女の印象がある。江戸時代の吉原は、文化の中心のひとつだともいわれている。だが、それだけで浮かれるのは、どこか片手落ちである。明治時代を東京で生きた山室軍平は、明治期の公娼廃止運動に身を挺した人として知られている。著書のなかで当時の「醜業婦」の実態を次のように分類していた(『社会廓清論』)。

第一、 公娼。すなわち娼妓である。
第二、 私娼、この内には少なくとも、下の五種類の醜業婦を含む。
(イ)芸妓
(ロ)酌婦
(ハ)高等売淫婦
(ニ)下等売淫婦
(ホ)妾

 芸妓や酌婦は単に芸を売り、酒の酌をするだけでないのは「誰知らぬ者なき事実である」と山室は書き添えている。むろん芸を売り、酌をするだけの芸妓や酌婦がいなかったわけではなかろう。いずれにしても生まれた家庭が富や社会的地位に恵まれない娘たちは、山室軍平のような社会運動が起きるほど、明治時代(だけではないが)の社会の底辺でままならない生活を送っていた。

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