本当の探偵小説は、大衆文学ではない、
純文学よりもっとむつかしい特殊な文学だ
――江戸川乱歩(作家)
明治時代の末、十代の少年だった乱歩は「いじめられっ子」だった。病身だったせいか、機械体操ひとつできず、同級生の物笑いになった。授業を休むことが多く、「ひきこもり」生活を送っていた。
大学卒業後に社会に出た乱歩は、「フリーター」だった。次々と転職する落ちこぼれに近かった。貿易商、タイプライターの行商、造船所、古本屋、支那ソバ屋、東京市の吏員、技師倶楽部の書記長、ポマード製造工場の支配人など、ほとんど半年から一年で辞めている。
理由をこうである。「独りで考えごとに耽る癖のあった私は、きまりきった勤務や、絶えず同僚と顔を合わせている生活に耐えられなかった」。一般の常識人からすれば、なんとも身勝手ないい草に聞こえる。
一方、乱歩が熱中したのは、小さいころから親しんだ本である。本だけではない。「幻想の国へのかけ橋」である活字そのものにも熱中し、あろうことか、お小遣いで何千本もの活字を買い込んでいる。
二十代の後半には結婚し、子供もいた。借金から逃げるように、家族をおいて放浪する。生活費のために書き始めたのが探偵小説である。処女作となった「一枚の切符」「二銭銅貨」は、ミカン箱の上で書いた。
しかし本人にいわせると、犯人と謎を解決する合理的な探偵小説ではない。描かれたのは、子供のころから見つづけた「夢の異国」「妄想」である。それも「大衆文学ではない、純文学よりもっとむつかしい特殊な文学」という。
作家になっても、絵草紙の残虐な描写や同性愛についての嗜好を示している。依然として社会に適合できない妄想にこだわっているが、反面、自分ならではの妄想が意味をもつ作品が書けた自負もうかがわれる。
落ちこぼれといわれても、人には生きる道がある。活字の王国に参入する作家とは、えてしてそうした生き方を見つけた人である。
純文学よりもっとむつかしい特殊な文学だ
――江戸川乱歩(作家)
明治時代の末、十代の少年だった乱歩は「いじめられっ子」だった。病身だったせいか、機械体操ひとつできず、同級生の物笑いになった。授業を休むことが多く、「ひきこもり」生活を送っていた。
大学卒業後に社会に出た乱歩は、「フリーター」だった。次々と転職する落ちこぼれに近かった。貿易商、タイプライターの行商、造船所、古本屋、支那ソバ屋、東京市の吏員、技師倶楽部の書記長、ポマード製造工場の支配人など、ほとんど半年から一年で辞めている。
理由をこうである。「独りで考えごとに耽る癖のあった私は、きまりきった勤務や、絶えず同僚と顔を合わせている生活に耐えられなかった」。一般の常識人からすれば、なんとも身勝手ないい草に聞こえる。
一方、乱歩が熱中したのは、小さいころから親しんだ本である。本だけではない。「幻想の国へのかけ橋」である活字そのものにも熱中し、あろうことか、お小遣いで何千本もの活字を買い込んでいる。
二十代の後半には結婚し、子供もいた。借金から逃げるように、家族をおいて放浪する。生活費のために書き始めたのが探偵小説である。処女作となった「一枚の切符」「二銭銅貨」は、ミカン箱の上で書いた。
しかし本人にいわせると、犯人と謎を解決する合理的な探偵小説ではない。描かれたのは、子供のころから見つづけた「夢の異国」「妄想」である。それも「大衆文学ではない、純文学よりもっとむつかしい特殊な文学」という。
作家になっても、絵草紙の残虐な描写や同性愛についての嗜好を示している。依然として社会に適合できない妄想にこだわっているが、反面、自分ならではの妄想が意味をもつ作品が書けた自負もうかがわれる。
落ちこぼれといわれても、人には生きる道がある。活字の王国に参入する作家とは、えてしてそうした生き方を見つけた人である。
実際には自分ではなりえない人達ばかりですが人のそしりなどなんのそのの方々ばかりのようで羨ましい限りです。
多少は私も成長したとは思いますがまだまだ突き抜けた生き方が出来ませんもの(笑)
でも、頑張っていきていくぞ!