岩槻だいすき!

生まれ育った岩槻に恩返し。
年中まちを飛び歩いているお元気主婦の活動日記
岩槻大好きな人この指とまれ~

岩槻城を築いたのは★郷土かるた

2012-06-10 17:28:30 | 岩槻
旧岩槻市時代に、岩槻で義務教育を受けていた人は、

岩槻城=太田道灌

と刷り込まれている人が多いのではないだろうか?


『いわつき郷土かるた』
(制作・発行:岩槻市教育委員会・昭和64年1月1日発行)

[と]の読み札は、

    = 道灌の 歴史を残す 城下町 =(城北中・関根リカ)




[め]の読み札は、

    = 名将の 面影残る 岩槻城 =(柏陽中・中島 玄)

[め]の読み札の裏には、以下の様な詳しい解説が記載されている。

■ 岩槻城は、長禄元年(1457年)扇谷持朝(おおぎがやつ・もちとも)の命令によって、太田道真・道灌親子が築いたといわれています。岩槻市太田を中心に台地や低地を利用して気付かれた平城(ひらじろ)です。北東から南東部にかけて元荒川が流れ、沼地であったところへ築城したと伝えられることから、別名浮城(うきしろ)竹束城(たけたばじょう)白鶴城(はくつるじょう)とも呼ばれています。城跡(しろあと)には、土塁(どるい)や堀の跡が残され、黒門なども移築され昔をしのばせています。■

岩槻城を築いたのは・・・?

専門家ではないので確かなことはわからないが

岩槻人にとって太田道灌公は特別な存在

というのは、確かな事実だと思う。



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