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地名アラカルト

各地の難読地名や珍しい地名についての由来やエピソードなどについて調べてみたいと思います。

宮崎県の難読小学校名  何と読みますか ①

2019年06月10日 17時22分44秒 | Weblog
①宮崎市立佐土原小学校 佐土原町上田島
②宮崎市立浦之名小学校 高岡町浦之名
③宮崎市立穆佐小学校 高岡町小山田  
④宮崎市立小学校 吉村町冬治(とうじ)
⑤宮崎市立生目小学校 浮田
⑥宮崎市立内海小学校 内海
⑦宮崎市立国富小学校 郡司分甲(ぐじぶんかぶと)
⑧延岡市立三川内小学校 北浦町三川内
⑨延岡市立東海小学校 稲葉崎町1丁目
⑩延岡市立土々呂小学校 土々呂町1丁目      

読みなど

① さどわら 明治22年5月,北那珂郡佐土原町と上田島村が合併し佐土原村成立(~34町制~平成18)。村名は,サド(虎杖=いたどり)・ワラ(原)で,虎杖が繁茂していた一ツ瀬河畔の地に由来するという。江戸期は佐土原藩(2万7千石)の城下町。標高8m。
② うらのみょう 平成31年3月閉校。戦国期からみえる名田名。
③ むかさ 明治22年5月,東諸県郡小山田村・宮水流町・下倉永村・上倉永村が合併し穆佐村成立(~昭和30)。村名は『和名抄』にみえる郷名。「向いの地」の意で,サは接頭語か,あるいは,ムカはムケ(剝け)の転で,「崖地」のことか,という(『古代地名』)。穆佐の地名は消滅したが,郵便局名などにその名を残す。標高20m。*穆(16画)は「むつまじい」と読む。
④ あおき 明治22年5月,江田・新別府など4村が合併し檍村成立(~昭和30)。村名は,『日本書紀』にみえる「檍原」に由来するという。一字校名。標高4m。
⑤ いきめ 明治22年5月,宮崎郡生目・浮田など8村が合併し生目村成立(~昭和30)。村名は,応神天皇と藤原景清を祀る生目神社に因む。伝承によると,神社は景清が自らの両眼をくり抜いて空に放り投げ,落ちた場所という。標高17m。
⑥ うちうみ 東は日向灘に面する旧村名(明治9~22)。村名は静かな湾内に因む。はじめ鹿児島県,明治16年宮崎県。標高4m。
⑦ くどみ 校名は,平安末期~室町期にみえる荘園名・国富荘に因む。標高7m。
なお,宮崎市の北西部に接する東諸県郡国富町は「くにとみちょう」と読む。
⑧ みかわうち 藩政村。五ヶ瀬川の支川・小川の上流域に位置。地名の由来は,3本の川が3つの谷を作りながら地内を流れていることに因むという。標高89m。
⑨ とうみ 明治22年5月,東臼杵郡粟野名・祝子(ほうり)など4村と大武町(おおだけまち)が合併し東海村成立(~昭和11)。村名は,東海山の南西麓に当たることによる。標高12m。
⑩ ととろ 海に面していることから,波の轟(とどろき)に由来するとみられる。校名も読みも3字。標高4m。

大分県の難読小学校名 何と読みますか ④

2019年05月28日 12時12分49秒 | Weblog
①宇佐市立津房小学校 安心院町六郎丸
②宇佐市立駅館小学校 上田        
③宇佐市立北馬城小学校 岩崎       
④宇佐市立高家小学校 東高家         
⑤宇佐市立封戸小学校 苅宇田          
⑥国東市立旭日小学校 国東町綱井
⑦国東市立富来小学校 国東町富来浦
⑧速見郡日出町立日出小学校 日出町        
⑨玖珠郡九重町立淮園小学校 菅原    
⑩玖珠郡九重町立飯田小学校 田野
⑪玖珠郡玖珠町立日出生小学校 日出生
 
読みなど

① つぶさ 明治22年4月,宇佐郡六郎丸・東恵良など11村が合併し津房村成立(~昭和29)。古くは津布佐と書いた。津布佐荘は鎌倉期からみえる荘園名。標高188m。
② やっかん 中津平野の東部,駅館川の下流域に位置。明治22年4月,宇佐郡上田・芝原など7村が合併し駅館村成立(~昭和29)。村名は駅館川によるが,川名は古代駅馬制の宇佐駅に関連するといわれ,同川は,かつては治水が困難であったことからやっかい川の異名があったという(『河川辞典』)。駅(やく)は呉音。標高14m。
③ きたまき 明治22年4月,宇佐郡岩崎・西屋敷など10村が合併し北馬城村成立(~昭和30)。村名は御許山(おもとさん,647m)の別名馬城峰の北にあたることによるという。
④ たけい 明治22年4月,宇佐郡東高家・西高家など5村が合併し高家村成立(~昭和29)。村名は,平安期~戦国期にみえる郷名に因むか。
⑤ ふべ 明治22年4月,宇佐郡苅宇田・青森など7村が合併し封戸村成立(~昭和30)。村名は,『和名抄』にみえる豊前国宇佐郡の郷名に因む。標高16m。封は封鎖(ふうさ)の「ふ」,戸は新渡戸(にとべ)稲造の「べ」。校名も読みも2字。
⑥ あさひ 明治22年4月,東国東郡綱井・治郎丸など4村が合併し旭日村成立(~昭和29)。標高40m。
⑦ とみく 明治22年4月,富来浦と富来・深江など5村が合併し富来村成立(~30町制~昭和29)。村名は南北朝期からみえる地名による。標高6m。
⑧ ひじ 明治22年4月,速見郡日出村が単独村制施行(~昭和29町制)。村名は,ヒジ(沼地)の海岸にある日出木下藩(外様)に因む。標高24m。
⑨ わいえん 淮園の由来は,校区が中国の「淮河」(ホワイ河)に似て、それに因んで命名されたという。また,校区内各地に温泉が湧いた(わいた→わい)里(えん)という説もあり,いずれにしても水(さんずい)に因んだ自然豊かな景観によるという(同校HP)。標高502m。
⑩ はんだ 明治22年4月,玖珠郡田野・野上など4村が合併し飯田村成立(~30年)。村名は飯田高原に因む。標高823m。
⑪ ひじう 地名の由来は森藩(外様)の陣屋より東の日出る所という意味で名付けられたという(『角川・大分』)。標高509m。

大分県の難読小学校名 何と読みますか ③

2019年05月24日 14時48分28秒 | Weblog
①佐伯市立大入島小学校 石間浦
②佐伯市立宇目緑豊小学校 宇目大字千束
③臼杵市立佐志生小学校 佐志生          
④臼杵市立海辺小学校 大浜
⑤津久見市立千怒小学校 千怒           
⑥竹田市立白丹小学校 久住町M大字白丹
⑦竹田市立都野小学校 久住町M栢木(かやぎ)
⑧竹田市立菅生小学校 菅生            
⑨豊後高田市立田染小学校 田染相原(あいわら)      
⑩杵築市立杵築小学校 杵築北台
⑪宇佐市立安心院小学校 安心院町M木裳(きのも)
       
読みなど

① おおにゅうじま 明治22年4月,南海部郡石間浦・守後浦など8浦が合併し大入島村成立(~昭和16)。佐伯湾に浮かぶ最大の島(566ha)で,大きな島のため大八島と名付けられたが,何時のころからか大入島と呼ぶようになったという。標高4m。
② うめりょくほう 明治22年4月,南海部郡小野市村と重岡村が合併し宇目村成立(~昭和36町制~平成17)。村名は,『和名抄』にみえる宇目郷によるが,熊襲平定に向かう途中の景行天皇が榎峠(260m)を通過する際,そこにあった梅の老大木を見て,この地を梅の里と称するといったという伝説がある(『角川・大分』)。標高218m。
③ さしう 明治22年4月,北海部郡佐志生村が単独村制施行(~昭和29)。村名は藩政村の木佐村と志生木村が合併し,両村からの字をとった合成地名。校名も読みも3字。標高5m。
④ あまべ 明治22年4月,北海部郡大浜・諏訪・中津浦の3村が合併し海辺村成立(~昭和25)。村名は地理的位置による。標高5m。海辺の普通名詞読みは「うみべ」。
⑤ ちぬ 津久見湾の湾奥部,湾に流入する千怒川の中・下流域に位置。藩政村。校名も読みも2字。標高10m。
⑥ しらに 久住山の南麓,稲葉川の上流域に位置。明治22年4月,直入郡白丹村と添ケ津留村が合併し白丹村成立(~昭和29)。村名は,室町期~戦国期にみえる名(みょう)の名に由来。
⑦ みやこの 明治22年4月,直入郡栢木・仏原(ぶつばる)・有氏(ありうじ)の3村が合併し都野村成立(~昭和30)。
村名は,景行天皇神話に関連した宮処野(みやこの)神社(仏原に鎮座)に由来するという。標高578m。
⑧ すごう 明治22年4月,直入郡菅生・今など4村が合併し菅生村成立(~昭和29)。村名の由来は不詳だが,菅の植生と関係があるのかもしれない。標高541m。同名校が兵庫県姫路市にある。なお,茨城県常総市の菅生小及び東京都あきる野市にある私立菅生学園は「すがお」と読む。
⑨ たしぶ 明治22年4月,西国東郡真中・嶺崎など7村が合併し田染村成立(~昭和29)。村名は,『和名抄』にみえる郷名による。標高87m。
⑩ きつき 明治22年4月,速見郡杵築・南杵築など4村が合併し杵築町成立(~昭和30市制)。杵築は,かつては「木付(きつき)」という地名であったが,正徳2年(1712)に幕府が藩に与えた朱印状に「杵築」と書いてあったことによるという。標高19m。
⑪ あじむ 明治22年4月,宇佐郡木裳・妻垣(つまがけ)など11村が合併し安心院村成立(~昭和13町制)。村名は,芦が植生している湿地を開いて田を作り,収納の官倉が置かれた所に由来するという(『日本地名基礎辞典』)。校名も読み3字。標高96m。

大分県の難読小学校名  何と読みますか ②

2019年05月21日 14時35分57秒 | Weblog
①大分市立野津原中部小学校 大字竹矢(たけや)    
②別府市立上人小学校 北石垣
③中津市立深水小学校 三光上(さんこうかみ)深水
④中津市立小学校 三光西秣         
⑤中津市立如水小学校 上如水
⑥中津市立上津小学校 本耶馬渓町折元
⑦日田市立咸宜小学校 淡窓1丁目
⑧日田市立光岡小学校 友田北友田1丁目
⑨佐伯市立渡町台小学校 長島町3丁目
⑩佐伯市立米水津小学校 米水津大字色利浦(いろりうら)
    
 読みなど

① のつはるちゅうぶ 明治22年4月,大分郡野津原・福宗など4村が合併し野津原村成立(~昭和34町制~平成17)。村名は中世以来の地名によるが,語源はノ(未開墾地)ツ(出口)ハル(耕地)で,田園から荒野の方へ行く出入口の里の意という(『日本地名基礎辞典』)。肥後藩の参勤交代路に沿う宿場町として発展。標高47m。野津原の地名は現存。5字校名。
② しょうにん 上人は時宗の創始者・一遍上人(1239~89)に因む。建治年間(1275~78)から弘安元年(1278)にかけて豊後で布教を行った。別府八湯の一つ鉄輪温泉を開いたと伝えられる。同市には,上人ケ浜町(しょうにんがはまちょう)・上人仲町(しょうにんなかまち)など上人の付いた地名が5か所ある。同校のすぐ南隣りに上人西がある。標高30m。
③ ふこうず 深水は犬丸川の上流域に位置。平安期~戦国期にみえる荘園名に因む。
④ まくさ 犬丸川に支流西秣川が合流する谷あいに位置。秣は牛馬の飼料にする草のことで,かつて西秣川の流域で放牧が行われていたことを示す地名か。
秣の付いた地名は極めて少なく,この地と新潟市中央区秣川岸通(まぐさかわぎしどおり)があるに過ぎないようだ。1字校名。標高59m。
⑤ じょすい 明治22年4月,下毛郡助部(すけぶ)・是則(これのり)など5村が合併し如水村成立(~昭和18)。村名には,慶長5年(1600)西の関ヶ原の戦いといわれる石垣原(いしかきばる,現別府市)の戦いに際し,東軍に加担した中津城主黒田如水孝高(1546~1604)の出陣に際し,当地で軍勢をそろえたという伝説がある(『角川・大分』)。標高13m。
⑥ こうづ 山国(やまくに)川支流の跡田(あとだ)川の中下流に位置。明治22年4月,下毛郡折元・跡田・落合の3村が合併し上津村成立(~昭和26)。村名は,落合の御祖社の字名上津野によるという。標高96m。
⑦ かんぎ 校名は儒学者の広瀬淡窓(1782~1856)の咸宜園に因む。咸宜は「咸く宜し」(ことごとくよろし)とは、すべてのことがよろしいという意味で,淡窓は門下生一人ひとりの意思や個性を尊重する教育理念を塾名に込めたという(日田市HP)。標高86m。
⑧ てるおか 明治22年4月,友田・渡里・十二町の3村が合併し光岡村成立(~昭和15)。村名は,太陽の光をさえぎっていた楠の大樹が切り倒されてから,日がさすようになったという伝承に因むともいう。光を「テル」と読む地名は他にないようである。標高80m。
⑨ とまちだい 校名は地区名か。標高12m。
⑩ よのうづ 明治22年4月,南海部郡色利浦・宮野浦・浦代浦(うらしろうら)・竹野浦・小浦が合併し米水津村成立(~平成17)。村名は米水津湾名によるが,湾名は,神武天皇東征神話に米と水を献上したとあるのに因むという。標高8m。





大分県の難読小学校名  何と読みますか ①

2019年05月19日 14時45分08秒 | Weblog
①大分市立戸次小学校 中戸次
②大分市立稙田小学校 木上(きのうえ)          
③大分市立荏隈小学校 荏隈
④大分市立大在小学校 横田1丁目
⑤大分市立鴛野小学校 鴛野     
⑥大分市立賀来小学校 賀来
⑦大分市立神崎小学校 神崎   
⑧大分市立寒田小学校 寒田
⑨大分市立丹生小学校 佐野
⑩大分市立大志生木小学校 大字志生木(しゅうき) 
 
読みなど

① へつぎ 明治22年4月,大分郡中戸次・上戸次・下戸次の3村が合併し戸次村成立(~大正10町制~昭和29)。村名は平安末期~戦国期にみえる荘園名に因む。標高13m。
② わさだ 明治22年4月,大分郡木上・市など6村が合併し稙田村成立(~昭和30)。村名は,平安期~戦国末期の荘園名に因む。稙の字義は早稲で早く実る稲。現在,木上内稙田の地名として残っている。稙の付いた地名は他にないようである。標高19m。
③ えのくま 昭和56年開校。明治22年4月,大分郡荏隈・永興(りょうご)など4村が合併し荏隈村成立(~44)。村名は往古,荏胡麻の産地であったことに由来すると思われるという。標高11m。
④ おおざい 明治22年4月,北海部(きたあまべ)郡西大在村と東大在村が合併し大在村成立(~昭和38)。村名はオオ(大)・サイ(堺・境)で,郡境の里の意という。学校の西隣りに大在北2丁目がある。標高6m。
⑤ おしの 藩政村。字義はおしどり。
⑥ かく 明治22年4月大分郡賀来・中尾など5村が合併し賀来村成立。村名は,カクは欠くで,川が欠損しやすい所を指し,佳字を用いたともいう。近くに大分川が流れる。姓氏あり。校名も読みも2字。標高16m。
⑦ かんざき 当校の西側には国天然記念物高崎山サル生息地がある。当校には,通学区域外からの入学・転学を特別に認める制度が導入されている。標高30m。
⑧ そうだ 藩政村。村名は大分川の支流寒田川流域の丘陵地に位置しているからか。標高56m。寒を「そう」と読む地名は極めて少ないが,和歌山県日高郡日高川町寒川に寒川(そうがわ)第一小学校がある。
⑨ にゅう 校名は丹生川に因むか。川名は古代の朱産地であった丹生郷によると思われる。『続日本紀』に文武天皇2年9月豊後国から真朱を献ずる記録があるが,この川の上流域で採取されたと推定されるという(『河川辞典』)。標高19m。同名校が群馬県富岡市にある。
⑩ おおじゅうき 平成28年3月閉校。四字校名。大志生木は海水浴場として知られる。

熊本県の難読小学校名  何と読みますか ④

2019年05月14日 13時46分01秒 | Weblog
①人吉市立東間小学校 東間下町(ひがしあいだしもまち)
②水俣市立葛渡小学校 葛渡
③阿蘇郡南小国町立中原小学校 中原   
④阿蘇郡産山村立産山小学校 大字山鹿(やまが)
⑤上益城郡益城町立益城中央小学校 大字寺迫(てらさこ)
⑥下益城郡美里町立砥用小学校 美里町土喰(つちばみ)
⑦球磨郡錦町立木上小学校 木上北
⑧球磨郡多良木町立槻木小学校 槻木
⑨球磨郡湯前町立湯前小学校 上里(かみざと)
⑩球磨郡山江村立万江小学校 万江甲         
⑪球磨郡あさぎり町立岡原小学校 岡原北    

読みなど

① とうかん 校名は東間下町の略称か。
② くずわたり 水俣川の上流の山間部に位置。地名については,葛の蔓が川を渡って茂っている所があることによるとの説などあるが,未詳という(『角川・熊本』)。標高71m。
③ なかばる 小国盆地南西部,阿蘇北外輪山を源流とする中原川・湯田川の流域に位置。中原とは流域の中心なす原野を指すという。標高484m。
④ うぶやま 明治22年4月,阿蘇郡産山・山鹿など5村が合併し産山村成立。村名については,神武天皇から九州鎮撫を命じられた健磐龍命(タケイワタツノミコト,阿蘇大神)が,産山川の上流の地内乙宮に宮居を定め,当地で嫡孫(阿蘇大宮司家の始祖)を生んだことに因むとする伝承がある(『角川・熊本』)。また,村人が慎み恐れて入山しない,山の神の持ちたもう山の名に因みともいう(『日本地名基礎辞典』)。標高591m。
⑤ ましきちゅうおう 昭和29年4月,上益城郡木山町と広安・飯野など4村が合併し益城町成立。町名は古代からの郡名によるが,「ま」は美辞の接頭語,「しき」は石で築いた城とする説がある。標高14m。
⑥ ともち 大正13年4月,下益城郡西砥用村が単独町制施行し砥用町に名称変更(~平成16)。町名は,鎌倉期~南北朝期にみえる郷名によるが,『和名抄』にみえる富神(とむち)の転訛との説がある。また,当地を流れる緑川に砥石用の石が多く出たことによるとの説がある(『丹波・難読』)。189m。
⑦ きのえ 明治22年4月,球磨郡木上村が単独村制施行(~昭和30)。村名は,球磨川流域にあり,木材の河川輸送に関係ある地名に由来か。標高136m。
⑧ つきぎ 明治22年4月,球磨郡槻木村が単独村制施行(~28)。村名は槻木川によるが,川名は川沿いの山中の雑木に因むと思われるという。
⑨ ゆのまえ 明治22年4月,球磨郡湯前村が単独村制施行(~昭和12町制)。村名は,市房山の湯山温泉(球磨郡水上<みずかみ>村)の手前の平地に位置するからともいう。198m。
⑩ まえ 明治22年4月,球磨郡山田村と万江村が合併し山江村成立。万江村名は,中世期に球磨川支流万江川流域を所領地としていた万江氏に因むか。校名も読みも2字。
⑪ おかはる 明治22年4月,球磨郡岡本村と宮原村が合併し岡原村成立(~平成15)。村名は,両村から1字ずつとって命名。標高175m。

熊本県の難読小学校名  何と読みますか ③

2019年05月14日 13時16分41秒 | Weblog
①宇城市立不知火小学校 不知火町M高良(こうら)
②宇城市立松橋小学校 松橋町M松橋
③宇城市立当尾小学校 松橋町M曲野(まがの)
④宇城市立三角小学校 三角町M三角浦
⑤天草市立大楠小学校 有明町M大浦
⑥八代市立植柳小学校 植柳上町M
⑦八代市立高田小学校 豊原中町(ぶいわらかみまち)
⑧八代市立八千把小学校 上野町(こうずけまち)
⑨人吉市立大畑小学校 大畑町M
⑩人吉市立西瀬小学校 下戸越町(しもとごえまち)

読みなど

① しらぬひ 明治22年4月,宇土郡柏原・小曽根など5村が合併し不知火村成立(~昭和31町制)。村名は,当地から見る不知火が一番美しいことから命名された。不知火の由来は景行天皇が九州巡幸の際に,海上に現れる怪しい火を見てその原因を尋ねたが,誰も知らなかったという伝承に因む。標高5m。
② まつばせ 明治22年4月,下益城郡松橋町が単独町制施行(~平成17)。昔は松馳とも記されたが,後に大野川の渡河点に,橋が架かったことから松橋になったという。他に「橋」を「ばせ」と読む地名に秋田市八橋(やばせ)や鳥取県琴浦町八橋がある。標高 13m。
③ とうのお 校名は地名当尾原に因むか。標高35m。
④ みすみ 明治32年3月,三角浦・波多・大田尾(おおたお)の3村が合併し三角村成立(~明治35町制~平成17)。村名は,宇土半島の隅(=先端)の意とも(『JR・第三セ』),山に大蛇が住んでいたので「巳(み)住み」と呼ばれ,これに三角の字を当てたとの伝承もある(『角川・熊本』)。  
⑤ だいなん 平成30年閉校。昭和59年,大浦小学校と楠甫(くすぼ)小学校が統合し大楠小学校となる。
⑥ うやなぎ 明治22年4月,八代郡植柳・麦島・大福寺の3村が合併し植柳村成立(~昭和15)。村名は,当地が柳と関係が深く,水辺の柳が風情を添えているいることに因むという(『角川・熊本』)。
⑦ こうだ 明治22年4月,豊原・本野(ほんの)など4村が合併し高田村成立(~昭和29)。村名は,江戸期に高田手永会所が上豊原に置かれたことに因むという。当地は高田焼の産地として知られる。なお,「豊」の付く地名で,「ぶい」と読む地名は他にないようである。
⑧ やちわ 明治22年4月,会地・田中・古閑の3村が合併し八千把村成立(~昭和29)。村名は鎌倉期からみえる地名による。
⑨ おこば かつて小畑とも書いた。「コバ」は焼畑の意ともいう。当地にある大畑駅(JR肥薩線)は日本で唯一,ループ線の中にスイッチバックを併設した駅として知られる。
⑩ にしぜ 明治22年4月,球磨郡西浦村と薩摩瀬村が合併し西瀬村成立(~昭和17)。村名は旧村から1字ずつとって命名。

熊本県の難読小学校名  何と読みますか ②

2019年05月14日 12時37分05秒 | Weblog
①熊本市立田原小学校 北区植木町M富応
②玉名市立石貫小学校 石貫
③玉名市立小天小学校 天水町M小天     
④玉名郡玉東町立木葉小学校 木葉
⑤玉名郡長洲町立腹赤小学校 腹赤
⑥山鹿市立来民小学校 鹿本町M御宇田(かもとまちみうた)
⑦菊池市立隈府小学校 隈府
⑧菊池市立旭志小学校 旭志新明
⑨宇土市立網田小学校 下網田町M
⑩宇城市立河江小学校 小川町M新田

読みなど

① たばる 明治22年4月,山本郡富応・後古閑(うしろこが)など6村が合併し田原村成立(~昭和29)。村名は,地内に西南戦争の激戦地田原坂があることに因む。標高121m。
② いしぬき 明治22年4月,玉名郡石貫村と富尾村が合併し石貫村成立(~昭和29)。当地には国指定史跡の石貫穴観音横穴やナギノ横穴古墳群など,阿蘇凝灰山岩を利用した横穴群が発達していることから,村名は横穴群と関連しているのかしれないという。標高15m。
③ おあま 明治22年4月,玉名郡小天村が単独村制施行(~昭和29)。夏目漱石は当地を舞台に小説『草枕』を執筆した。小天みかんで知られるみかんの産地。標高3m。
④ このは 明治22年4月,玉名郡木葉・浦田など5村が合併し木葉村成立(~昭和30)。村名は,地内の木葉山(284m)に由来する。*語句の「このは」は「木の葉」と書く。標高28m。
⑤ はらか 明治22年4月,玉名郡腹赤・上沖洲・清源寺の3村が合併し腹赤村成立(~昭和31)。村名には,景行天皇が長洲の浜で鱒(ます)に似た腹の赤い魚を献上され,「爾陪魚(にばうお)」と命名したという伝承がある。腹赤は,当地から大宰府を通じて朝廷に献上されたという。標高10m。
⑥ くたみ 明治22年4月,山鹿郡来民町Mと御宇田村が合併し来民町成立(~昭和30)。町名は,『和名抄』にみえる来民郷に因むとも,古典にみえる「老来安民」からとったともいう(『角川・熊本』)。標高42m。
⑦ わいふ 明治22年4月,菊池郡隈府町Mと片角・亘(わたる)など4村が合併し隈府町成立(~昭和31)。村名は戦国期からみえる地名による。室町期までは隈部(くまべ)と称したという。「クマ」は奥まった所の意という。標高65m。
⑧ きょくし 阿蘇西外輪山の一峰,鞍岳(くらだけ)の西麓に位置。昭和31年5月,菊池郡旭野村と北合志村が合併し旭志村成立(~平成17)。村名は旧村から1字ずつとって命名。標高104m。
⑨ おうだ 明治22年4月,宇土郡網田・下網田など5村が合併し網田村成立(~昭和33)。村名は,海に面しており,魚網と関係があとみられる。姓氏あり。標高23m。
⑩ ごうのえ 八代平野の北部,砂川流域に位置。かつては八代海に面した。明治22年4月,下益城郡河江・南新田など4村が合併し河江村成立(~昭和30)。村名は,砂川の堆積作用によって生じた地形に因むと思われる。標高4m。小学校東方約1.5㎞に小川町河江がある。



熊本県の難読小学校名 何と読みますか ①

2019年05月10日 15時09分30秒 | Weblog
①熊本市立出水小学校 中央区出水1丁目
②熊本市立壷川小学校 中央区壺川1丁目
③熊本市立碩台小学校 中央区井川淵町(いがわぶちまち)
④熊本市立託麻原小学校 中央区渡鹿(とろく)2丁目     
⑤熊本市立画図小学校 東区下江津8丁目          
⑥熊本市立西原小学校 東区新南部(しんなべ)3丁目        
⑦熊本市立銭塘小学校 南区銭塘町(まち)
⑧熊本市立飽田西小学校 南区並建町(なみたてまち)
⑨熊本市立御幸小学校 南区御幸笛田7丁目
⑩熊本市立隈庄小学校 南区城南町隈庄

 読みなど

① いずみ 明治22年4月,託麻郡今・国府(こくぶ)・長溝(ながみぞ)の3村が合併し出水村成立(~大正14)。村名は水前寺公園の湧水(阿蘇の伏流水)に因む。なお,熊本市の水道は阿蘇の伏流水で賄われている。同名校が鹿児島県出水市にある。
② こせん 壷川は坪井川の右岸に沿った地域。江戸期に坪井川を詩人たちが壺川といったことに因むという。
③ せきだい 明治10年2月,前身校が西南戦争の兵火をこうもり灰塵に帰したため,11年8月碩台町(石台丁)に移築し,現校名に改称(同校HP)。なお,碩の付いた地名は非常に少ない。大分市碩田町(せきでんまち)。
④ たくまばる 託麻原は阿蘇外輪山の西麓に広がる肥後台地の一部。原を「ばる」と読む。
⑤ えづ 明治22年4月,託麻郡下江津・下無田など6村が合併し画図村成立(~昭和7)。村名は同地にある江津湖に因む。なお,俳人の中村汀女(1900~88)は同校の出身。校名も読みも2字。
⑥ にしばる 昭和41年開校。新南部(しんなべ)3丁目の隣に西原がある。開校地はかつて西原の地であったと思われる。原を「ばる」と読む。
⑦ ぜんども 明治22年4月,飽田郡銭塘村が単独村制施行(~昭和31)。村名は,大慈禅寺開山の開祖である寒巌(かんがん)禅師(道元の高弟)が文永4年(1267)宋から帰国した後,宋の銭塘陂にならい海に長塘(=土手)を築いて55町を開田したことに因むという。
⑧ あきたにし 昭和30年,飽託郡並建・藤富(ふじとみ)など6村が合併し飽田村成立(~46町制~平成3)。村名は旧郡名によるが,郡名は鎌倉期からみえる郷名。
⑨ みゆき 明治35年3月,飽託郡部田村が御幸村に名称変更(~昭和28)。村名は,明治35年熊本陸軍大演習の際,当村西無田南方での明治天皇の演習統監を記念して命名されたという。同名校が福岡県うき市にある。
⑩ くまのしょう 明治22年4月,下益城郡(しもましき)郡隈庄・宮地など5村が合併し隈庄町成立(~昭和30)。町名は往古,隈牟田荘と称したことに因むという。

長崎県の難読小学校名 何と読みますか ⑦

2019年05月07日 17時00分20秒 | Weblog
①雲仙市立千々石第一小学校 千々石町戊(ぼ)
②南島原市立有家小学校 有家町久保
③南島原市立蒲河小学校 有家町蒲河
④南島原市立大野木場小学校 深江町戊(ぼ)
⑤西彼杵郡時津(とぎつ)町立鳴鼓小学校 左底郷(さそこごう)    
⑥東彼杵郡東彼杵町立彼杵小学校 蔵本郷(くらもとごう)   
⑦東彼杵郡東彼杵町立千綿小学校 平似田郷(ひらにたごう)   
⑧東彼杵郡東彼杵町立音琴小学校 大音琴郷(おおねごとごう)   
⑨東彼杵郡川棚(かわとも)町立小串小学校 小串郷
⑩北松浦郡小値賀町立小値賀小学校 中村郷
⑪南松浦郡新上五島町立魚目小学校 榎津郷(えのきづごう)

読みなど

① ちぢわだいいち 明治22年4月,南高来郡千々石村が単独村制施行(~昭和3町制~平成17)。村名は,高来郡の西北に比遅波(ひぢは)という断崖があり,この比遅波が転訛したともいう。
② ありえ 明治22年4月,南高来郡東有家村が単独村制施行。昭和2年1月,名称変更し有家町成立(~平成18)。有江の由来は,地形的に入江が多いことによるといわれているが,『和名抄』の新居(にひい)を「あらい」と読み,それが転訛したとの説もある。
③ かまが 蒲河は,地内を流れる蒲河川によるが,川名は蒲の密生した川の意という。
④ おおのこば 校名は小字名か。
⑤ なづみ 昭和57年開校。校名は西彼杵半島の付け根付近にある鳴鼓岳(392m)に因む。
⑥ そのぎ 明治19年現校名に改称。22年4月,東彼杵郡彼杵村が単独村制施行(~昭和15町制~34)。村名は彼は「カノ」の変化か。杵は「キネ」の略転訛か。昔,目じるしになる巨木があり,「その木」といえばわかるからともいう。彼杵は難読のためか,インターチェンジ名は「東そのぎIC」となっている。
⑦ ちわた 明治5年開校。22年4月,東彼杵郡千綿村が単独村制施行。村名は千綿川に因む。
⑧ ねごと 平成28年3月閉校し,東彼杵町立彼杵小学校へ統合された。「音」を「ね」と読む語句に音色(ねいろ)がある。
⑨ おぐし 串は国訓。
⑩ おぢか 五島列島の北部の島。大正15年4月,北松浦郡柳・笛吹・前方の3村が合併し小値賀村成立(~昭和15町制)。島名は『肥前国風土記』でいう小近(おちか)で,五島列島のうち九州本土に近くて小さい島の意ともいう。
⑪ うおのめ 五島列島の中通島(なかどおりしま)。明治22年4月,南松浦郡魚目村が単独村制施行(~昭和31)。村名は,魚群発見見張所の意という(『日本地名基礎辞典』)。漢字の間に「の」が入る校名。