ヒビノコト。

そして幕開け 第二章  HIPなPOP star 「嵐」と過ごす日常。

神様のカルテ。

2011年09月19日 | アラシゴト。
公開初日に観て来ました。

お客さんの入りはまぁまぁ、でございましたよ。
なんせ初日ですからね。入ってないと困りますよね。
客層も割と広かったし、評判も上々みたいで一安心。

あとはまりこ様もお怒りになってらっしゃいましたし、嵐の四人は早急に映画館へと足を運ぶように!
まりこ様の威を借るmegumiデス。

ワタクシ、嵐っこ出演の映画・ドラマ・舞台は、勝手に身内気分のため気恥ずかしさが勝ってしまいところどころ「うひゃー!やめてー!」となったり、ついつい探さなくていい粗を探しては落ち込んだりしちゃうのですが。

この神様のカルテに関しては翔くんが一止さんだってことを忘れて映画にのみ集中して観ることが出来ました。
ところどころさすがの(肩の)傾斜角に「あっ、翔ちゃん!」てなりましたけども、それはご愛嬌。
一止さん、えらい威力のあるなで肩っぷりでしたよね。
衣装のせいなのか、役柄のせいなのか。

翔くんの演技力に関してはそりゃイロイロ批判も耳にしますし、ヲタクとしましても決して上手いとは言いません。
けど苦手は苦手なりに、下手は下手なりに食らいついていくのがざっつ・さくらい!

翔くんが本来持っている不器用さだったり包容力だったり健気さだったり一生懸命さだったり誠実さだったり。(ヲタク上等!)
一止さんと翔くん(+監督さん、スタッフさん、共演者のみなさん)の共同作業で一つのキャラクターが出来上がったんだなぁ、と。

栗原一止という人物を作り上げる、てことに関しては成功していた作品だと思います。
(この経験がこれからのお仕事に活きてくるといいな。)


どうしても翔くんのことばかり語ってしまいましたが。
それはヲタクの性によるものでもあるし、神様のカルテのような作品についてあれこれ語るのが苦手なためってのもある。
難しいんだもん。

翔くんが言ってたように人は一人で生きていかなくていい、てのが丁寧に描かれていて。
静かに淡々と、過剰な演出を排除したからこそより一層そのテーマの説得力が増していたような。
登場人物一人ひとりがそのテーマを背負ってて、とても愛しかったです。

これって私たちの日常にも言えることですよね。

未来を生きるため、人生の終着を迎えるため、人と支え合い、支えられ合う。

日々の生活の中では忘れがちなことですから。
これも一つの気付き、なのかな。
普段忘れがち、見落としがちなことに改めて気付くことができたってことですもん。

ありふれた言葉ではありますが、良い作品でした。
ありきたりかもしれませんが、ほんとにそう思っちゃったんだから仕方ない。

ちなみに神様のカルテでの一番のお気入りは池脇さん演じる東西主任です!
原作を読んだ時からお気に入りだったけど、池脇さん演じる東西直美は最高デス!
ほんと良い女優さんだなぁ、と改めて思いました。
すごいな、池脇千鶴って。


この映画に関連して、て訳ではないんですけども。

最近は就活ならぬ、終活というのがあるみたいですね。
人生の終焉をより良く迎えるための前準備のこと、らしいですが。
言葉だけ聞くと、ネガティブな意味に取りがちですがこれも一種の自分の人生をより良いものにしたい、という想いの表れなのかな、と。

だって墓友とかあるんだって!
終の棲家でのご近所さんってことで生前からお友だちになるんだって!
日本人のこういうところ、意外とキライじゃない。

安曇さんもある意味、終活したんだよね。
「最後にこんなに幸せな時間が待っていたなんて……」と口にした安曇さん。
安曇さんが一止先生に巡り会えてよかった。
そして一止先生が安曇さんに巡り会えてよかった。