日本がオリンピックに初参加したのは1912年のストックホルムであった。
昨日7月14日、それからの100年を記念して、当時と同じコースを走るマラソン大会が開催された。参加者は当時の衣裳をまとうのが望ましいという趣向をこらしたものだ。約1万人が参加したが、なかでも注目されたのは日本から参加のくらどよしゆき氏だった。それというのも、くらど氏は日本の代表として100年前にマラソンに初出場した金栗四三選手のひ孫(孫の子ども)に当たるからだ。
この金栗四三選手はスウェーデンではかなり有名である。というのも、彼は走っている途中で、道筋にあるお家に立ち寄り、そこの庭でサフト(果実から作るジュース)と菓子パンをごちそうになって、そのまま午後をそのお家で過ごしたからだ。夕方、ホテルに戻り、そのまま帰国したのだそうだ。
かなり時間がたってから、その話をジャーナリストで作家の Bo Grandien が「消えた日本人(Japanen som försvann)」という本に書き、一挙に有名になった。
下は本の表紙。1953年に出版。
Japanen som försvann:
berättelserさらに時間がたった1972年、金栗氏は特別招待を受け、ストックホルムスタディアムであらためてゴールインしたのである。競技の日から54年と8カ月が経っており、彼は76歳になっていた。マラソンにかかった最長記録であるとされている。
彼がどうしてマラソンコースから消えてしまったのかについては、途中で意識を失ってしまい、気がついた時にはもうゲームは終わっていたという説もあるらしい。しかし、上に挙げた話には具体的にごちそうになった家族の名前まで書かれてあり、スウェーデンではこの話が通っている。一風かわったほほえましい話としてである。
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