ぼちぼち スウェーデン

スウェーデンで見たこと、聞いたこと、考えたことを、同時代に生きるみなさまとシェアーを!

マリア・カラスの歌声

2010-10-16 | きいた話

ラジオからマリア・カラス(Maria Callas) の歌声が流れてきた。彼女のことは何となく忘れてしまっていたので、懐かしく聴いた。 
美しいだけではなく、人のこころをとりこにしてしまう、なんとも不思議な力をもつ歌声である。

 
彼女は1923年に、ニューヨーク、移民の多く住むブルックリンで生まれた。ラジオの番組によると、
子どもの頃のマリアは太っていて、美しい姉とは対照的であったらしい。唯一、マリアが優れていたのは歌声であったので、母親は出身国のギリシャに姉妹を連れて戻り、そこでマリアに歌手としての修業をはじめさせた。 
 
彼女と、後ほどジャッキー・ケネディと結婚した船舶王オナシスとの恋はあまりにも有名である。その後、
彼女はパリでひっそりと暮らし、1977年に亡くなった。 

 
そのラジオの番組
では興味深い逸話も聴いた。 

 
1940年初、第2次世界大戦のころのマリアにまつわる話である。ギリシャは当時、日独伊同盟国のイタリアに占領されていた。ある日、敵国英軍の兵隊を探して、イタリアの兵隊2人がドアをノックした。そのとき、じつは 
マリアの 家族は
英兵2人をかくまっていたのである。

 

窮極の事態に陥った家族は、その時、ピアノ伴奏にあわせてマリアに歌を歌わせた。すると兵隊たちは武器を手放し、床に座り込んで、彼女の歌声に聴きほれたという。

次の日、兵隊たちは贈り物の食べ物を携えて、再び彼女の家にやってきて歌を聴いたらしい。

 

この逸話を聴いて、以前フィレンチェに旅行した時のことを思い出した。その時、イタリアでは、オペラは庶民の生活に深くしみこんでいると感じたのである。

 

ホテルの近くにある教会の前を通った時、中から美しいソプラノの歌声が聞こえてきた。教会はだれにでもオープンの感じだったので、歌声につられて中に入り、片隅に腰掛けた。

 

中は人でいっぱいだった。旅行者のようなのはあまりいず、近所のおじさん、おばさん、子どもたちが普段着で
来ている感じだった。

 

聴いている人もいるけど、おしゃべりをしている人が多いし、子どもたちは出たり入ったりで落ち着かない。 
大人たちでさえも遠慮なく出入りしていた。

 

こんな素晴らしいソプラノなど、スウェーデンではちゃんとしたコンサートでないと聴けない。それをイタリアの人たちは、子どもの時からごく身近に普段着で聴いて育っているのだ。その文化が、兵士たちに戦争を忘れさせた。 

もともと彼らは隠れている英兵が個人的に憎いわけではない。兵士としての義務を遂行してしているだけなのだ。 
戦争という狂気的な国家行為にまきこまれた個人を、文化という重みが正気の世界に戻してくれる。


とにかく、マリア・カラスのアリアを聴いてほしい(ノルマ蝶々夫人。その他 youtube  に多数あり)。彼女の魅力のとりこになることを請け合う。