百歳に向ってもう一度 歩いて世界一周 11月9日
ウォーキングを中断して間、入院中にあったことを思いだしながら記して参ります。
(10月30日)
私の部屋は412号室、4階の窓際。日の出から昼近くまでは、テレビの映りは良くないが他に困ることは無い良い部屋だ。
正面に東山が延々と連なり、日に日に赤みを帯びて来ている。恵比寿講の近いことを覗わせる。
私の体調も日増しに良くなって、病床になど寝て居られない。今日はリハビリの前後2度もウォーキングを試みた。
(10月31日)
今日で10月は終わりなので、《負》の思い出を残したくないので看護師に「八二へ預金を下ろしに行って来たいのですが…」と頼むと「先生に聞いてみます」と即断はできない様子。午後ママが来たので事情を話すと「階下に八二の器械があるよ」と言った。《そうだ!おれはクイックカードを持っている!》
お蔭さんで入院のまま、支払いを済ます事が出来た。
(11月1日)
今日は《入浴日》午後昼食終わって直ぐ迎えが来た。背中を流してもらったあと、自分で手の届くところを洗い、いよいよ風呂に入った。温まっていくにつれて幸福感をしみじみ感じた。ほぼ全快だ。
夕方担当医が回っていたので傷について質問すると、貼ってあった透明なフィルム状のものを全て取り除いて、「何時でも退院してイイですヨ」と言った。
(11月2日)
午後、ぱぱとままが揃って来たので《退院許可》の話をした。ママから「5日ならパパも休みなので」と言ったので、先生に来てもらい《5日午後2時退院》を正式に決めた。
(11月3日)
今日は文化の日。嘗ては明治節。明治天皇の誕生日で、明治天皇の御遺徳で永く晴天が続いていた。
飯山はこの日が《恵比寿講》で大いに賑わったものだ。雪に籠って冬の暮らしをするための物資を買い溜めする習慣があったのだが、今は冬になっても汽車が停まったり、道路が雪に埋もれて歩く以外、方途がなかったが、今は冬の障害は何もなくなったので、嘗ての恵比寿講の賑わいもなくなってしまった。
私は今度の入院でなにか、得たものがあったろうか?
一つだけあった。つまらないことだが、《トイレットペーパーをミシン線に沿ってキチンと切る技を会得》したことだ。百発百中できる!《エヘン》と威張るほどのことじゃないが・・・
百歳に向ってもう一度 歩いて世界一周 10月16日
日数「日」 |
総歩数(歩) |
総距離(m) |
平均歩数 〈歩〉 |
|
今 日 |
1 |
21,427 |
12,856 |
|
今 月 |
16 |
338,792 |
203,275 |
21,175 |
今 年 |
270 |
5,160,743 |
3,096,448 |
19,114 |
2005年から |
4,277 |
67,745,745 |
46,501,448 |
15,840 |
270歳の誕生から |
7,779 |
149,676,693 |
103,919,300 |
19,241 |
アメリカ大陸を横断して、西海岸を北上してカナダプリンスルパートに向かて、あと225,552m
これを以て、《入院中の出来事》を終ります。
「百歳に向かってもう一度歩いて世界一周」は只今、ウォームアップ中、11月15日から再開します。