『先生~ポートフォリオがあるから残らない連中がいるんですよ』
ってある日研修医から言われました
それも普通に真顔で正目から
大丈夫

同じようなことは違う指導医からも言われています
そうですかポートフォリオは巨悪の根源なんですか
でもポートフォリオがどんなものか解説すると
『へ~そうなんですか』って驚かれます
大概ね
『凄いんですね』
ま~社交辞令かも知れないですけど
社交辞令でも言えるだけいいと思うべきか
すると続けて言われる
『ならせめて診療科ごとの評価表だけでも少なくならないですか?』
と来たもんだ
やっぱりオリエンテーションの仕方に問題があるんだな~って痛感する瞬間です
厚労省のホームページを見て確認するはずもないことはちょっとは覚悟しています
国家試験の出題範囲を確認して勉強することまではしなかったろうし
研修到達目標があってこれを修得したかどうか病院ごとに評価して報告しなさいってこと
このことすらよく知らない
研修医に順位をつけてくださいってまで言われているのに
本学の研修医ですら2年間経過するとこうなる先生がいる
難しいです
だからこの時期にポートフォリオを読むと非常に面白い
研修医の顔と中身が結構一致します
課題を与えてそれを達成するパフォーマンス評価がそこにあります
いかにパフォーマンスを見せるかなのに
『(こんな症例発表して何になるんだろう?)』
そう研修医が思っているのであればその症例発表を論文にするはずもない
なぜ?こんなポートフォリオを作らねばならないのか?
ここが共有されないと実行性が低く作品作りが困難となるということ
これは欧米でもポートフォリオの欠点として掲げられています
でも日本では幸いにも研修が必修化となっている
これが影響してポートフォリオはとにかく全員が作ってきます
ポートフォリオとして体裁を整えているかはもちろんきちんと評価しています
単なる研修記録になっていないかをチェックしています
評価がそこそこの研修医のポートフォリオは
この点の評価が普通になります
ただ記録しているって受け止められてしまいます
今年は驚いたことがひとつ
ポートフォリオ評価法で研修未修了者を出したことがあることを知らないでいる?研修医がいました
時が経つと忘れる?余裕が出てしまうのでしょうか?
だから
この春のオリエンテーションはまたまた趣向を変えて時間を組み直します
とにかく本学を希望した研修医諸君が2年後によかったですと一人でも多く言ってもらえるように
頑張るしかない
『先生~ポートフォリオがあるから残らない連中がいるんですよ』
何気ない研修医の一言でも指導医はいろいろ考えるものなのです
ほんと