プロコフィエフの日本滞在日記

1918年、ロシアの若き天才作曲家が、大正期のニッポンで過ごした日々

箱根宮ノ下

1918-07-28 | 日本滞在記
1918年7月28日(旧暦7月15日)

 宮ノ下〔箱根〕に出かけた。第一に山中にある美しい場所であること、第二に乗物で二時間の距離にあること、そして第三に、徳川氏を訪ねる約束をしたからだ。それとともに頼まれた作曲の件に片をつけなくては。彼のお金がなくてもおそらく切り抜けられるだろうが、あればあったで大違いだ。

 宮ノ下は、洒落たホテル〔富士屋ホテル〕のある大変美しい場所だ。ロシア人のグループと出会い、一緒に近辺をバスでまわった。徳川氏は不在だったが、帰りの車に乗ろうとした時、五分間だけ会えた。彼は大森に私を訪ねると約束したが、注文の話は一言もしなかった。いずれにせよ、大使館を通じて交渉しておいて、高いからといって断るのは、彼にとって恥だろう。

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