プロコフィエフの日本滞在日記

1918年、ロシアの若き天才作曲家が、大正期のニッポンで過ごした日々

1918-07-27 | 日本滞在記
1918年7月27日(旧暦7月14日)

 母のことを思い出し、なんの知らせもない私のことをどれだけ心配しているかと思うと、いつも心をかき乱される。チェコスロバア軍団の反乱のせいで、母のところに今もこれからも情報がすぐに届くことはないだろう。それでも私は国を出なければならなかったし、そうでなければ自分を棺に葬っていただろうし、この秋以降、どんなお金で暮らしていけたか分かったものではない。唯一の慰めは、もしコーカサスがドイツ軍に完全に占領されるか、あるいは占領の危機にさらされているとしたら、母は私がそこにいないことを喜ぶだろうということだ〔注・プロコフィエフは出国前に何度か、コーカサスに滞在していた〕。


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