プロコフィエフの日本滞在日記

1918年、ロシアの若き天才作曲家が、大正期のニッポンで過ごした日々

スヴィルスキー

1918-07-25 | 日本滞在記
1918年7月25日(旧暦7月12日)

 ホテル仲間の一人、スヴィルスキーは素晴らしいピアニスト(一流の部類に入る)にもかかわらず、演奏(プレイ)中に痙攣を起こし、音楽のキャリアを捨てて、テニスのプレイに乗り換えてしまった。

 私の作品群に、聴衆はえらく盛り上がった。私はむしろメトネルの作品を聞かせたかったのだが。ガボットのなかでは、なぜかニ長調が気に入られた。これはピアノのために自分で編曲したものだ。今までは原曲のまま弾いていたのだが。

 スヴィルスキーいわく「ドビュッシーなんて、まったくハッタリですよ」(!)。まったくとは言わないが、かなりとは言える。


訳注・大田黒元雄の日記によれば、この日は大田黒がプロコフィエフを訪問。夜遅くまで話し込み、「音楽と文学」への寄稿依頼に対し、「ミアスコフスキイの事を一寸書かう」と快諾を得ている。

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2 コメント

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自作自演 (ソレル)
2005-07-26 23:39:08
いつも楽しく拝見してます。

「ガボット」という曲目が何かメトネルらしくなく感じます。やはりメトネルなのでしょうか?
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Unknown (訳者)
2005-07-28 10:22:21
いつもご愛読ありがとうございます。

ご指摘の箇所は、実は翻訳段階でも少々疑問のあった文章なのですが、夏休みで翻訳チーフがロシアに帰省中のため、再度確認してみますね。
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