プロコフィエフの日本滞在日記

1918年、ロシアの若き天才作曲家が、大正期のニッポンで過ごした日々

ミャスコフスキー

1918-07-26 | 日本滞在記
1918年7月26日(旧暦7月13日)

 大森の住まいにとても満足している。特筆すべきは、仕事を始めたこと。『塔』と『情熱』を少しずつ書いている。

 大田黒氏に、日本の雑誌〔『音楽と文学』〕に掲載するミャスコフスキー〔1881~1950、ロシアの作曲家〕についての原稿を渡した。スペイン語の小説を読んでいる。スペイン語を学ぶ逼迫した必要性はもうないが、以前から六ヵ国語の一つとして学ぶ計画はあった(七番目はエスペラント語か?)。そこで、特にすることもないので、スペイン語を少しずつ読むつもりでいる。辞書が手に入らないのが残念だ。

 どうやら金銭問題も片付きそうだ。ベール男爵を介した徳川氏とのやりとりに、決着がつきそうだからだ。小曲の作曲に500円請求した。いくら彼が金持ちとはいえ、日本人には大金だと思う。

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