イチローのコメントを読んで

 キャンプインにあたってのイチローのコメントに考えさせられました。

ーー最多安打記録更新の翌シーズンで、プレッシャーを感じないか?
イチロー:すでにイチローを追いかける僕はいないですから。その辺りは心配していません。新たな壁みたいなのが現れてくれることを期待します。

 「『イチロー』を追いかける僕」とは何なのか?

 文脈通りに素直に解釈すれば、<最多安打記録を達成したイチローを、追いかけることはしない>という意味に取れます。朝日新聞は「理想を追う段階は終わったというのだ」(asahi.com)と表現し、<「イチロー」=理想像>という解釈を示しました。(残念ながら他紙では、このコメントを見かけませんでした)

 けれど、私はまた別の意味をそこに見いだします。「」つきのイチローは、<他者から規定されうる存在としてのイチロー>なのではないでしょうか。平たく言ってしまえば、<ファンやマスメディアが望むイチロー>であり、<数字を期待されるイチロー>です。
 これまで、特に昨年は、最多安打記録というファンの期待に応えるために、あくまでも安打数という結果にこだわった。当然、そこにはチームの成績不振という要素も絡んでくるでしょう。しかし今年は、安打数や打率という定量的なものではなく、より自身の理想に近いバッティングを指向するのではないかと、先のコメントから推察するのです。

 とすれば、「新しい壁」という表現も、おそらく彼の中にある打撃論としての壁であろうとイメージができます。それは単純にボールをコントロールするための動作やタイミングかも知れないし、あるいは試合状況、チーム状況に即した打ち分けに関する何かかも知れません。我々ファンにはまったく分からないことですが、彼のバッティングがもう一段階、ステージを上がるために、数字では表現されないものかも知れませんが不可欠な要素。それが新しい壁であり、彼はそれに出会うことに望んでいるのだろうと、私は考えたのです。

 まだまだイチローは、理想のバッティングに出会っていないし、理想は日々、彼の中で変化していくものなのだと、想像します。

 私は、ともすると<他者の期待する私>を追い求めています。とくに仕事においては、自発的な行動よりも、他者との関係においての行動を意識せざるを得ません。
 イチローのひと月分の税金ほどの年収もない(推定)私としては、せめて彼の足下が見えるくらいには、自分の行動に信念を持ちたいものです。
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