函館市内でツバキを確認した後、函館から車で1時間ほどの木古内町栗原邸を目指しました。
木古内は、北海道が本州へと腕を伸ばしたような渡島半島の最南端の街、松前への途中にあり、一本道なので迷う心配はないのですが、北海道の国道は目印が少なく、目的地をナビに入れないと通り過ぎてしまう恐れがあります。
小雨降る国道228号線を走り、ナビが「目的地に到着しました」と告げた場所に車を止めると、道の反対側に、朝霧に濡れた栗原邸が佇んでいました。
塀に掲げられた解説文に、
「このツバキは、松前藩士 笠島紋十郎の家系の者が江戸時代末期に植えたものとされています。
当時、ツバキは高位の家柄の庭に植えられた樹木で、このことからも旧泉沢村が早くから拓けていた様子がうかがえます。
木古内町の歴史を示すものとして、昭和47年3月25日、北海道記念保護樹木に指定されました。
推定樹齢約190年 樹高6m 平成13年11月」と記されていました。
栗原邸は朝の寛ぎの中にあって、塀の中を覗き見ても、ツバキの様子がよく分かりません。
しかし、塀の西側の雑草を掻き分けて4~5mほども進み、木の塀の隙間から手を伸ばし、闇雲にカメラのシャッターを押した幾つかが、見事な樹形の大椿を捉えていました。
このツバキの2021年現在の樹齢は210年です。
掌に収まる小さなカメラが、本州の何処よりも過酷だった歳月を生きながらえた老木の見事な生命力を写し込んでいました。
(栗原様、無断で庭を覗き込んだ旅人の無礼をどうぞご容赦下さい。)
栗原邸の大椿を見て車へ戻ると、すぐ横の民家の庭にハコネウツギが花を咲かせていました。
私がホームグラウンドとする小石川植物園で、ハコネウツギは5月10日頃に花を咲かせますので、この地は東京より花が2か月程も遅いようです。
木古内の大椿を見た後、茫々たる国道を走り、
10時頃に松前の町役場に到着しました。
町役場に一本のツバキが育つとの情報を得ていたのです。
そして、このツバキの根周は915㎜でした。
前回の函館ハリストス教会同様、江差法華寺のツバキを基に計算すると、192年という数字が得られました。
そして今私は、その数値に驚きました。
自分で言うのも何ですが、本当でしょうか?栗原邸のツバキが210年で、このツバキが192年とはちょっと信じ難いのですが。
この記事を書くに当たり、今初めて数値を確認しましたが、画像に記録された撮影時間等を見ても、データに間違いはなさそうです。
しかし、測定時に石を巻き込む等の凡ミスの可能性は否定できません。
町役場の次に、松前公園の松前神社のヤブツバキを訪ねました。
このツバキの根周は1241㎜なので、同じ計算で260年という数字が得られました。
この樹形から考え、さもありなんと思えます。
数年前に富山県氷見市を訪ねた時、枯死した「長坂の大椿」は樹齢370年で、幹回りが2000㎜でしたから、幹回り1㎝増に1.85年を要しています。
今回基準とした江差法華寺のツバキは樹齢260年で、根周1276ですから、根周1㎝増に2.1年を要しました。
海沿いにミカンが実る富山県から1000㎞以上も北に離れた場所の気候差を考えれば、その値は説得力を持ちます。
松前神社のヤブツバキを確認した後、松前公園のツバキコレクションを探しました。
数年前の訪問は「桜の名所」が主目的で、記憶が定かではありませんが、桜資料館の前にそれらしき場所を見つけました。
多分ここに間違いなさそうです。
個々のツバキに名札は付いていませんでした。
車で外周を廻ると、品種ツバキを数多く植えた場所に出ました。
その場におられた方に話を伺うと、もう20年以上趣味でツバキを育てているそうで、「松前では普通にツバキが育ちますよ」とのお話でした。
公園の中心部へ戻ると、興味深い現象に目が留まりました。
イチジクの名札を付けた木が葉を広げています。
イチジクはアラビア南部や南西アジアが原産で、江戸時代に中国を経て日本に渡来しています。
高温多湿を好み、寒気、乾燥を嫌い、果実の生産統計は、北限が宮城県蔵王町で、愛知県が国内生産の20%を占めて第一位です。
そんなイチジクが北海道で葉を茂らせることに驚かされました。
そして、ツバキが普通に育つことに納得しました。
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