朝一番に函館ハリストス教会へ車を走らせました。
函館には何度も来ていますが、繰り返し訪ね来るたびに、街が醸す港町特有の風情に目と心が感動し、波紋が広がります。
函館ハリストス教会が、函館山の麓で海を見下ろす、元町の斜面に門を構えていました。
雨雲に覆われた元町の朝は、地元の人々が散策するだけで、観光客の姿は見えません。
静かな朝の時間に、開け放たれた門を抜けて、教会の建物へと上る石段に足を運びました。
咎められやしないかと思いながら進むと、石段の左右に緑の葉を茂らせる、樹高4m程のツバキに気づきました。
つややかな葉が、ツバキの生育状況を物語ります。
左側のツバキは、地上30㎝程の高さで幹が3本に分かれ、その内の一本は、50㎝程の場所から斜め横に枝を伸ばしていました。
右側のツバキは、地上15㎝程の高さで幹が4本に分かれ、その内の二本が1m程の高さから側枝を分けています。
ポケットに忍ばせたメジャーを取り出し、左右のツバキの根周を測定すると、左の木が567㎜、右の木が746㎜という結果でした。
北海道のツバキ生育に関する資料が殆どないのですが、江差の法華寺のツバキが樹齢260年で根廻1276㎜でしたから、その数字を基に、この函館ハリストス教会のツバキの樹齢を推計しますと、
左ツバキ 268/1276×567=119年
右ツバキ 268/1276×746=156年
という数字が得られました。
しかし、二本のツバキが左右対称に植栽された状況から、これらのツバキが異なる時期に植栽されたとは思えません。
そこで、函館ハリストス教会の歴史年表を参照すると、139年前の1882(明治15)年に、最初の日本人テイト小松司祭が着任していますので、その時に植栽された可能性が一つ。
あるいは1907年の函館大火による聖堂焼失後、1916年に二代目の聖堂が再建されていますが、その時に成木を持ち込んだ可能性を考えます
一般的に、このような場所に苗木を植えることは稀ですから、1916年頃に、他所からツバキの成木持ち込んだ可能性が高いかもしれません。
日本のヤブツバキ自生北限地は青森の夏泊半島ですが、北海道の函館で、百年単位の年月でツバキが生育し得ることが確認できました。
次に、函館公園のツバキを目指しました。
函館公園を訪ねるのは今回が初めてです。
公園は予想以上に広く、この公園にある筈の、一本のツバキを見つけ出すことは至難の業に思えました。
そこでたまたま、朝の散歩中らしきご婦人をお見かけし、首に名札を吊るした状態で、東京から函館公園にツバキを探しに来た旨を説明して、ツバキの所在をお尋ねすると、公園のツバキは分からないが、近くの民家にツバキが育つことを、教えてくれたのです。
その一件目がこちらのお宅です。
ガレージの屋根の倍ほどの高さなので、樹高は4m前後でしょうか。
見事な樹形のツバキが育つ様子を確認することができました。
二件目のお宅がこちらです。
このお宅のツバキは、道路より1m程高い庭に育ち、樹高は2m見当でしょうか。
こんもりと茂った枝葉の様子から、良好なツバキの状態が推測できます。
周囲に密集する庭木の様子から、一件目のお宅同様、冬に雪囲いなどは施されていないようです。
これらの写真を示し、関東周辺の民家で撮影してきたツバキと言っても、疑う人はいないかもしれません。
つまりそれほどに、この辺りの民家に育つツバキに「無理」を感じさせる気配がありません。
予想外の成果に気分を良くして、その後も多くの方々にお尋ねしながら、当初の目的だった函館公園のツバキにも、無事に巡り合うことができました。
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