古平で思いがけないツバキを見て、私は北海道のツバキに関する認識を大きく改めました。
今回の北海道のツバキ探索の旅は、日本ツバキ協会の機関誌、ジャパンカメリア111号(2019年5月)に、金澤欣哉さんが寄稿した「北海道のヤブツバキ、120年」の記事を読んだことに始まります。
記事には、「金澤さんの生家は文久4(1864)年、積丹半島の西海岸の泊村に創業した網本であること。
明治30年におばあ様が「内地旅行」をした際、お土産に持ち帰ったヤブツバキが、4度の植え替えを経て、現在は金澤さんの甥御様が住む、余市町で花を咲かせること」が記されていました。
私は、函館、松前、江差辺りが日本の栽培北限と考えていたので、この記事に好奇心を刺激され、金澤さんが紹介したツバキを、自分の目で直接確かめたいと思いました。
「金澤さんのヤブツバキが特別なのか、あるいは環境が特殊なのか、もしかすると、多くの人が認識する【北海道では道南までツバキが育つ】の内容が改まる、何かが見えるかもしれない」と考えたのです。
ツバキ協会の理事に依頼し、札幌の金澤さんに、余市町のツバキ所在地を教えて頂きました。
そして、これまで記したように、道南のツバキを確認しながら北上し、余市町を訪ね、道南のツバキと金澤さんのツバキを比較して、北海道のツバキ栽培に関わる疑問を解き明かすつもりでした。
しかし私は、余市を訪ねる前に、その答えを古平で得ていました。
心も軽く、古平から南東に17km程の、積丹半島の付け根に位置する余市町へ車を走らせました。
北海道のツバキ栽培の実態を理解できた私が、余市で行うべきは、金澤さんのツバキを確認することと、余市町のツバキに関わる、より多くの情報を得ることだけです。
金澤さんの甥の雅志様のお宅を訪ね、玄関のチャイムを押すと、雅志様の奥様が出てこられました。
そして快く、庭のヤブツバキを見せて頂くことができたのです。
庭で樹高2ⅿ強のツバキが葉を茂らせていました。
奥様のお話では、蕾を開かない年もあるそうですが、ツバキは枝に新しい葉を付け、健康そうな様子を見せていました。
根周を計測すると601.5㎜という値が得られました。
その数字を基に、江差ツバキの値で樹齢を計算すると、
268/1276×601.5=126年
という値が得られました。
今から124年前の明治30(1897)年に、おばあ様が2年ものの幼木を買ってきたとすれば、樹齢はピタリ一致します。
奥様に「北海道では、道南以北にツバキが育つ認識が無かった」とお話すると、余市町では「幾株ものツバキが花を咲かせる」ことを教えて頂きました。
更に私が、付近に育つクリの木を見て、「余市はクリの木が育つのですね」と口にすると、それを切っ掛けにして、木の話題に話が弾みました。
その話の流れで厚かましく、「私の車で、町内のツバキをご案内頂けないだろうか」とお願いすると、快く以下の2株のツバキをご案内頂くことができたのです。
1株目は、少し離れた場所の寿司屋に育つツバキです。
根周を計りませんでしたが、数十年の樹齢が推測されます。
二番目が、金澤さんのご近所のツバキで、このツバキは実を稔らせていました。
庭仕事をされていたご婦人にお話を伺うと、松前旅行に行った時に買い求めたのだそうです。
当初は、海風が当たる場所に植えたのですが、元気がないので、今の場所に植え替えると、葉や枝を茂らせ、毎年赤い花を咲かせるとのお話でした。
雅志様の奥様は、ツバキ以外にもカキやウメ
クリやキリの木などをご案内頂き、本当に楽しい時間を過ごすことができました。
雅志様の奥様、その節は本当にありがとうございました。
そして今回の旅で、北海道のツバキ露地栽培の北限地は古平と余市と判断できます。
特に余市町で観察した樹木は、青森、岩手辺りの景観を想わせ、それら状況から、「この地のツバキ栽培に無理はなさそう」の印象を得ることができました。
そして私はこの後も、楽しい旅を続けることができましたが、
夕日に染まる日本海と利尻富士
「北海道北限のツバキ探索」のお話は、ひとまず終了とさせて頂きます。
今回も、いいね! のご声援等、本当にありがとうございました。
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