そわかんぼちゃん日記

佛の子・そわかんぼの成長記録と佛道修行にいそしむ父(慈龍)・悪妻道邁進中の母(麦の花)の日々の覚え書きです。

結婚7年目

2006年11月04日 | 思いつくままに
オットと出会い、結婚することがなければ、お寺に暮らすことなどなかっただろう。と思うものの、分からない。オットと出会うこと、仏法にご縁をいただくこと、どちらが本義だったのか。どちらも必要だったともいえる。

私は大学を卒業してから7年間、東京で暮らしたけれど、その頃は自分がどういう人間かよく分かっていなかったので、自分に似合わないちぐはぐな行動ばかり取って、まわりから「変わった子」と敬遠されていた。
正直、心から楽しいと思えた日なんてほとんどなかった。
ここで何かを掴みたい。そう思ってあれこれ手を出してもがけばもがくほど、歯車がずれていく。どこに居ても、自分の居場所がない気がしていたたまれなく感じ、動くのが、生きるのが苦しくなってくる。
もう限界だ、と思ったとき、それまで全く帰る気がなかった鹿児島が恋しくなってきた。大嫌いだった鹿児島。でも、本当に嫌いだったのは鹿児島ではなく、自分自身だったのだ。それだったら、どこにいってもおんなじだ。
鹿児島に帰って、しばらくはうだうだ悩んでいたが、兄の赤ちゃんや子どものお守りをさせてもらううちに「自分に出来ることからはじめよう」と思い立ち、兄の店を手伝い、近所のフレンチレストランでいぢめ・・じゃなくて鍛えられ、臨時教員の声がかかる頃には、少しは冷静に自分をみられるようになってきた。
自分を嫌いではないけれど、かといって大好きってわけでもない。
ただ、自分に与えられた場と時間を大事にしよう、と思えるようになってきた。

オットと出会ったのは、教員の仕事に喜びと充実感を覚えはじめた頃だ。

つきあい始めて約1年後、私たちは結婚した。

今日は、結婚して7年目。
「形なきものを分けあゐ」共に暮らす日々の節目である。

母も病院

2006年11月04日 | 健診・病気・病院
そわかんぼの病状が落ち着いてほっとしたのもつかの間、今度は自分の身にちょっとした異変が。
うーん。
出血が続くなあ。といっても鮮血じゃないし、お腹も痛くないし、妊娠初期も1週間くらい出血があったけど、診察してもらって大丈夫とのことだったし・・・でも、さすがに気になる。
境内の納骨堂工事が始まって以来、忙しさを言い訳にずっと健診に行ってない。
初期検査もしないうちにもう妊娠中期に入ってるし、うーん。
そわかんぼを保育園に預け、思い切って近くの産婦人科まで車を走らせた。
病院に着くまで、お腹の子に何かあったら、とか、そわかんぼが保育園で怪我でもしたら、とかアホな妄想に捕らわれてしまう。えーい、不幸を志向するなっつーの。
昨日が祝日休みだったので、待合室には人がいっぱい。
一応妊娠初期検査を受けることになり、診察室に入って血を抜かれる。今日はちょっと不安を抱えながら来たせいか血行が良くないようで、看護婦さんが「血が出てこない・・・」と先生にヘルプを求め、先生が私の腕を何度もぺちぺち叩かれて、ようやっと検査が出来る量の血が採れた。
その後、エコーでお腹の赤ちゃんの様子を診ていただく。
今日も元気元気。ここの先生はけっこう話し好きで、エコーを見ながら丁寧にあーだこうだと説明してくださる。ダウン症の子は首に水がたまっている、鼻骨が極端に小さい、とか、ミツクチの場合羊水の量が少ないのと、顔を見たらすぐに分かるんだ、心臓の正常な位置はやや左寄りで動脈に向かって20°くらい(だったかな)傾いている等々。へその緒の話も出てきたので、先生にへその緒の長さはお産に関係するのか質問した。
「前、35センチの人がいたけれど、陣痛が四回来たけど弱くて、結局帝王切開でしたねー。」
「私もそれくらいでした・・お産前にへその緒の長さって分からないんですか?」
「いやー、こればっかりは産んでみないと分からない。ある意味前置胎盤より手強いですね。・・・ま、上の子が短かったからといって、次はまた違いますから。」
そうか、ここでお産してたら帝王切開になってたかも知れないのね、私。今度は、スムーズにすぽーんと産みたいな。
背骨も、指の骨もヒトとしての様を整えつつあるお腹の赤ちゃんの元気な姿にひと安心。エコーを終えてから、先生に「今更なんですけど」と、出血している旨を話す。私が初期の頃も出血があって検査していたのを覚えておられ、「悪性ではなかったし、子宮が大きくなって、前からの分がはがれてるのかもね。鮮血でなければ大丈夫です。」と、あっさり言われたので「じゃあ痛くなるようなことがあればまた来ます。」「次はひと月後に」「有り難うございました♪」「バッグ忘れないようにね」「あ、スミマセン。」と、明るく診察室を後にすることが出来た。
母子手帳の診察券を使ったので、診察代もかからなかった。ありがたや。
帰り際、ホームセンターに橋本弁護士の講演会お知らせのポスターが貼ってあった。子育てに関する講演会というのが何か笑える。しかも、彼が否定している「私学」(橋本氏は子どもは基本的に公立に通わせるべきだと主張している)で講演会・・・ふふ。どうしようかなあ、聞きたい気もするなあ。
うちに帰ると、本堂でまだ法事中のもよう。
うどんを作っていると、戻ってきたオットが不安げに「大丈夫だった?」と聞いてくる。大丈夫だと思うよー。
でも、余計な不安を持たないように、検診にはちゃんと行かないとね、と改めて思った出来事だった。
法事でいただいたお弁当を二人で分け合い、オットはうどんがおいしいと喜んでくれた。
NHKの連ドラと、続く田辺聖子さんがゲストのスタジオパークを見ながら、何事もなく時が過ぎゆく有り難さに、なんともいえないしみじみとした落ち着きを覚える。
そわかんぼをお迎えに行く夕方まで、ちょっとゆっくりさせてもらおう

久々に病院

2006年11月02日 | 健診・病気・病院
朝から元気がない。
けれど今日は、婦人会の会長さんと副会長さんを会議のため鹿児島まで送っていくお約束。
そわかんぼも連れて行って、鹿児島で診てもらうか・・・食欲もあるし・・・と思って車を走らせて40分、朝食べたものを全部吐いて、泣き叫ぶそわかんぼ。
急いで車を脇に寄せ、吐瀉物とチャイルドシートの汚れを拭き取る。そわかんぼの胸元にタオルを差し込み、迷ったけどそのまま鹿児島に行くことにした。戻るよりそっちの方が近い。吐いたらすっきりしたみたいで、そのまま眠ってしまった。
お二人を別院に送り届けて、市内の「浜田小児科」に直行する。
ここは、高校生の時から気になっていた病院だったのだけど、私たち夫婦の贔屓にしているマッサージの先生が懇意にしているということで、これはきっと信頼できる病院だろうと確信が高まった。
駐車場に車を止めると、また吐いた。
病院の受付を済ませて、そわかんぼの体の汚れを拭き、服を着替えさせる。
患者は私たちだけだったので、すぐに診察してもらえた。
70歳は過ぎておられるのだろうか、しっかりした体格で目に力のある頼りになりそうなおじいちゃん先生。
診察室は、昭和30年代からあまり変わってないような、木の机や椅子、おもちゃが並べられて、とてもあたたかい印象ながらも、私がこれまで行ったどんな病院よりも清潔な感じがする。衛生的、といった方がいいかな?
ぎゃーぎゃーわめくそわかんぼを動じることなく診察してくださり(・・・あたりまえか・・・)、漢方を処方される。
嘔吐を抑える薬を「吐くといけないから」ということで、そわかんぼ、生まれて初めて浣腸を体験。
食事の注意、太ももを冷やさないように、薬の飲ませ方は云々など具体的な注意をいただいて病院を後にする。
病院って、あまりお世話になりたいところじゃないけれど、この病院が近くにあったらこまめに通いたいなあ、と思ってしまうくらい我が家好みの病院だった。
実家に帰る前にちょっとだけ駅近くのドイツ風パン屋さんに寄って自分用のお昼を買う。
実家に帰ると、兄がいたので布団を敷いてくれるよう頼み、そわかんぼを寝かしつける。2時間ほど寝続けて、目を覚ましたので薬を飲ませると、婦人会長さんからお電話が。お迎えがてら帰途につく。
車で眠って帰り着くと、ずいぶん元気になった模様。オットがおやつに食べていたラーメンに横から手を出し(といってもスープしか飲まなかったけど)、りんごおろしを一個分食べ、薬を飲むのに力一杯抵抗し、絵本の読み聞かせを要求し、やっと眠りについた。
明日から世間は三連休だけど、我が家は回り報恩講でお出かけの予定はナシ。
そわかんぼにはゆっくり養生してもらおう・・・。