そわかんぼちゃん日記

佛の子・そわかんぼの成長記録と佛道修行にいそしむ父(慈龍)・悪妻道邁進中の母(麦の花)の日々の覚え書きです。

幻の餃子

2005年10月31日 | 美味しいものたち
よく餃子を作る家に育った。
祖母と父が大陸でお大尽な暮らしをしていた頃の幸せな記憶が、餃子の湯気の中に立ち上るらしい。
百個、二百個作るのは当たり前だった。
「今日も北京と同じ味が出せなかった」
と父が呟くのもお約束。
しかし、ここ数年、実家で餃子を作る光景にはご無沙汰だ。
私たち兄妹も、家を出たしね。あ・・・出戻り兄貴がひとりいました

まあ、そんなわけで子供の頃から祖母と父に、中国・北京の話を聞かされて育った私は、気が付くと大学で漢文学を専攻しており、勢いのまま北京に留学してしまった。
北京は、私には実に楽しい街だった。
まだ、バスが土の道を走っているくらい都市整備が進んでおらず、裏道を歩くとまっぷたつに切られた豚の断面が横たわっていた。
赤ん坊はバスの中でまた割れパンツからお尻を出して用を足すし、店で店員の気に入らない注文をしようものなら「没有!」とおっぽり出される。
午前中の授業が終わって街に出ると、男たちは屋根の上や木陰でで昼寝してるし(いつ仕事しているんだろう?)、じいちゃんたちは道ばたに椅子を出し、碁に興じたり鳥を愛でたり。そんな男達とは対照的に、女性たちがイライラたくましく働く姿が目についた。学校の先生たちは、タイプが違ったけど。
夕方になると、景山公園や北海公園に行って、そのあとは夜市に行くものだった。
祖母や父から話に聞いた北京の暮らしが、私の眼前にある。
そのことに夢中になって、中国語も餃子の味を覚えることも、すっかり・・・とは言わないが、餃子のことはほとんど忘れていた。中国語は、少しは使えるようになって帰国した。今は使わなくなって、ニュースも何いってるか分からないけどね。
10年後、結婚前に親孝行と思って、父を北京に連れて行った。
「東単の交差点に立てば、昔住んでた家がどこにあったかすぐ分かる」
と、父は自信満々だった。
しかし、飛行機が空港に着き、迎えのリムジンに乗ってホテルに向かう道中、私の胸を嫌な予感が襲ってきた。
・・・土の道なんて、もうない・・・なんでこんなに立派なビルが建ってるの・・・?!ここ、ホントに北京だよね?
97年以降、中国全体の経済発展は著しく、都市化も進んできたと言うけれど、どれくらい変わってしまったんだろう・・・。
不安がる私に、それでも父は「東単の交差点に立てば」を繰り返した。
ホテル到着後、地図を頼りに交差点まで歩いた。
私も父も、愕然とした。
眼前に広がる景色は、父の記憶の北京でも、私の青春の北京でもなかった。
どこにでもある、ただの大都市の交差点だった。
一気に、父の肩から力が抜けていくのが分かった。
何か食べて元気になってもらおうと、近くの店に入り、餃子を注文した。
皿に30個ほど山盛りになった餃子が出てきた。一口食べて、箸を置きたくなる味だった。

次の日、万里の長城に行った後、父の住んでいた場所探しに歩き回った。
父の記憶と、私が確認した父の昔の住まいが一致せず、故郷探しは難航した。
歩き疲れたら、昔の北京には絶対になかった「お洒落なカフェ」に入り、アイスコーヒーを飲んだ。
前門から北京駅付近の胡同は、ほとんど見て回ったといって良いくらいだ。
最終的には、私が瑠璃庁で買った古地図で“駅が移転した”ことを発見し、やはり私が以前見つけた場所が、父の住んでいた胡同であると確認できた。
親孝行と思って父を北京に連れてきたけれど、却って哀しい思いをさせたのではないだろうか。帰りの機内で、父の老いた横顔を見ながら、切なくなった。

餃子ひとつで、ずいぶん話を引っ張ってしまった。

とまあ、餃子に関しては深い思い入れがあるのです。
父の求める「あの味」は、もう北京に行っても味わえないのだろうし、肉も粉も野菜も、昔よりエネルギーが衰えた現代の食材では、再現することは難しいのだろう。
だからせめて、「おまえの餃子も悪くないな」と言われるくらいのものを作れるようになりたいと、餃子を作るときはちょっと気合いを入れて野菜を刻み、せっせとタネを包む。
気がつくと、目の前には餃子100個。大人2人と乳児ひとり。
誰が食うんだ、あははは。

そして、我が家にはもう一つ「幻の餃子」がある。
それは、結婚前に私がオットに作った餃子。オットの実家では餃子は買って食べるものだったらしく、手作りというだけで感激していたのだが、その味を「こんなにうまい餃子は初めてだ!」と褒めちぎってくれた。
しかし、結婚してから作った餃子は、そのときの味を越えるものはないという。
そのころの私に対する思い入れもあって、特に美味しく感じたんじゃないか?と突っ込みを入れても、絶対違うという。
そう言われると、なんとしてもあのときの味を越える餃子を作らねばと、また餃子作りに熱が入る私。

そわかんぼが産まれてしばらく遠ざかっていた餃子作り。
白菜・長ネギが美味しい季節になってきたことだし、今年も気合いを入れてみましょうか。

そわかんぼ食い倒れる

2005年10月30日 | 健診・病気・病院
便秘対策できちんと離乳食を取るようになってから、そわかんぼのまあ食べること食べること。
好き嫌いはほとんどなく、自分の分を食べ終えてもまだ欲しがる。
よく食べてくれるので、母としては作り甲斐があるというもの。
ところが調子に乗って食べさせすぎたせいか、夜中の授乳直後、そわかんぼ嘔吐。こほこほ咳をしたと思うと、食べたものを半分くらい吐いてしまった。
慌てて私の布団に顔を横向きにして寝かせる。まだ吐くかと左右にタオルを置いたが、そわかんぼはそのまま寝てしまった。吐瀉物が気管に詰まって窒息することがあると本で読んだのを思い出し、心配でしばらく様子を見ていたが、よく眠っているので、私もやがて眠りについた。
翌朝、いつもよりやや元気ないものの、お乳を欲しがるので飲ませていたら、またもや吐いてしまう。お腹が痛いのか、金切り声をあげて泣く。それでもお乳を欲しがり、胸を叩く。また吐いたらどうしようかと思ったが、そわかんぼの気持ちを落ち着かせるにはおっぱいが一番なので、授乳。その後は吐かなかった。
寝て、おっぱい。時々金切り声をあげて泣く、を何度か繰り返す。顔色は良い。でも、いつもより唇の色が薄め。
熱も少し高い。38度を越えた。
ホメオパシーのベラドンナ・スタッフサグリア・ナックスボミカ・ソーファーなどを処方。ベラドンナが合ったらしく、熱は下がった。
夕方には少し元気になってきたが、自分でたっちが出来ない。まだ疲れているようだ。
夜、『スパイキッズ3』を観ていたら起き出し、寝ようとしない。
オットがあやしていたら・・・やった
おむつカバーからはみ出すくらいのうんちくん
一気にお腹が楽になったのか、不思議そうに目をぱちぱち見開いている。
おむつをトイレで洗いながら見ると、ほとんど消化されていない感じだ。
ほんと、食べ過ぎ・・・いや、食べさせすぎ
離乳食の量にも気をつけなければ。
寝て起きてを繰り返していたそわかんぼも、今日の夕食時にはすっかり元気になり、またオットの食事に手を出そうとしていた。
元気になって嬉しいけれど、また食い倒れしないかと気が休まらない。でも、大事にならなくて良かった。
子供が健康でいてくれるということ自体が、親孝行そのものだと痛感した二日間でした。




祭りの後

2005年10月28日 | 思いつくままに
この村の最大イベント「豊年太鼓踊り」通称「ほぜ」が、昨日行われた。

午前5時に、うちの寺の境内で踊り始め、そのあと神社・酒造会社・保育園、と回り、最後にまたお寺で踊っておしまい。
ここに嫁いで五年。毎年踊りの稽古を見ているが、今年はメンバーが若返った感じで、踊りのスピード・声の勢い・ノリの良さ、今まででピカイチだった。
「ほぜ」を踊っているときの男性陣は、普段より6割増、格好良く見える。

踊りって不思議。
リズムに乗ってステップを踏み、腕を振り上げ、回るだけのことなのに、その場に不思議なエネルギーを残していく。

この二週間、ずっと境内で踊りの稽古があり、賑やかだった。
今日は優しく雨が降りしきる。
耳がまだ、鉦の音を探している自分に気付く。

「ほぜ」が終わると、境内の銀杏が色づきはじめ、いよいよ秋本番です。

ロッテ優勝おめでとう!&初芝選手、お疲れさまでした!

2005年10月27日 | 思いつくままに
ロッテに初芝という選手がいるらしい。すみません、プロ野球のこと良く知らないんです。
その初芝選手の奥さんの実家が近所にある。
小さなお店なのだが、初芝がホームランを打った翌日は「ホームランデー」の張り紙をして、店内商品一割引となる。らしい。すみません、うちは農協の向かいなので、そちらで買い物済ませちゃうんです
一度、ホームランデーの時に買い物をしてみようと思っていたら、なんと初芝は今シーズンで引退だという。
お疲れさまでした。でも、あの店でホームランデーにお買い物が出来ず残念、と思っていたら、ロッテがリーグ優勝、日本シリーズ勝利を収めた!
さっそくお店に行き、張り紙を撮影。お花まで届いている。
写真を撮れたのでこれでブログに載せられると安心して帰ってきたが、考えてみたら買い物をしていない。
明日こそはチョコレートを買いに行こう。ロッテの優勝だもんね。


アメちゃんに感謝

2005年10月27日 | 自然育児
ブログにコメントくださる皆様、そわかんぼの便秘解消に関するアドバイス、いつもありがとうございます。
でも、今回も10日経過。いろいろ試してみたけれど・・・。綿棒浣腸をしてみると、そこまで来ていることは確認できるものの、下りてこない。で、遂に助産院から教えてもらったあめ玉浣腸を試してみた。
結果からいうと、大変よく効きました。
お尻の穴に入れるとき痛がるかな、と思ったけど、ちょっとだけ気持ち悪そうな顔をして、あとは便意を催すまでけろっとして遊んでいた。意外とつるりと入っていきました。
一度目は、もうそこまで来ていたのを刺激したせいかすぐ出たけれど、その分量も少な目。いつも通りの固さで肛門が切れ、血が出てしまった。
二度目は翌朝。昨日より大きめのあめを入れて、約30分後、お通じ。
しかも柔らかくなってるので、血が出ずにすんだ。いつもは最後のお通じまで硬めなので、この効用は有り難い。
病院に行ってそわかんぼの腸の様子など調べてもらおうかな、という気持ちもあるけれど、なんとかお通じがあったので、また便秘改善に向けて努力を続けていこうと思う。


寝た子を起こす

2005年10月23日 | 成長
兄から電話が来た。
今日・明日、隣町の焼酎蔵の「新酒まつり」に来るので(仕事でね)泊めて欲しいとのこと。
ちょうど弓の稽古の後で片づいてるし、布団はあるし、どうぞどうぞ。
夕飯は食べてくるというので、気楽に待っていた。
・・・が、遅い。
オットが示現流の稽古から帰ってきても、まだ来ない。
11時過ぎに電話が来て、ようやく到着。
「遅くなってすまんね~」
おお、イイ感じにできあがっている赤ら顔の兄。
寝る部屋に案内して布団を敷く。なにか飲むかと聞くと、温かいお茶がいいというのでリビングにつれて行くと、そわかんぼの眠っている和室へ一直線。
「おーい、寝てるかー。大きくなって顔がすっきりなったねー。おーい、よく寝てるなー。」
嬉そーうにそわかんぼに話しかける兄、赤んぼ好き。しかし今のそわかんぼにはいい迷惑
「うちのまー(現在小学二年生)がこれくらいの頃は、もっとぷくぷくしてたぞー。おーい
兄の呼びかけに、ついにそわかんぼは「みみゃ~」と泣きながら目覚めてしまった。あーあ。
うちのオットは職住一体で、ほとんどいつもそわかんぼと一緒だけど、世のお父さん方は大抵外でお勤めでこどもと一緒にいる時間が少ないから、帰ってきたらこんなふうに我が子(この場合、甥っ子だけど)の顔見たさに起こしたくなるものなのだろうか。
それともやっぱり私の兄だから「悪いおぢさん」になっちゃうのかしらね

ぶんぶんぶん

2005年10月19日 | 成長
何とか部屋の片づけも一段落つき、いよいよ明日は弓の師範と九州道場門人の皆が来る。オットは弓と示現流のこととなると、気合いの入り方が違う。ふすま紙まで張り替えた
あとは明日の午前中そわかんぼを保育園にお預かりしてもらって、台所とリビングを片づけるだけ。楽勝♪
今回の稽古は、師範が大口に一泊・我が家に一泊されるということで、オットは今宵大口にお泊まり。
車で出かけるオットを、そわかんぼとお見送りする。
「じゃあ行って来まーす」「いってらっしゃ~い」
そわかんぼがちょっと手を振ったような気がした。そう見えただけ?
戻ると、オットの母から電話が来た。
天ぷらと白和えを下さるというので、うほほーいと徒歩一分のオットの実家へ。
最近、そわかんぼはおばあちゃんと遊ぶのがお気に入り。
「きゃははは」と笑い声をあげながら、おばあちゃんと障子やふすまの間で、かくれんぼ(もどき)をして遊ぶ。
じいちゃんばあちゃんがお風呂に行く時間になったので、帰ることにした。
「じいちゃんばあちゃん、またね。ばいば~い」
「ばいば~い」
と、じいちゃんばあちゃんが手を振ったら、そわかんぼも左腕をあげ、左右にぶんぶん振る。これはもしや?
「じいちゃんばあちゃん、ばいば~い」
ぶんぶん。また同じことをする。
「あら、バイバイが出来るようになった!ばいば~い」
じいちゃんばあちゃんの笑顔に応え、そわかんぼ、左腕をぶんぶんぶん。
そわかんぼの目に見える成長の瞬間に立ち会って、じいちゃんばあちゃん大感激!
私もうれしい!
オット実家を帰る道筋、何度も「ばいば~い」といっては、声に反応してぶんぶん腕を振るそわかんぼの姿を堪能しました
これぞ母の特権!

母、反省ス

2005年10月18日 | 成長
ここ2ヶ月ほどそわかんぼの便秘はひどく、おとといなど10日ぶりのうんちくん。
しかも切れ痔になって血も出る有様。
本人も相当痛いらしく、うんちくんが出る前、出た後20分はイヤイヤ泣き叫んでいる。
そわかんぼの従姉もそうだったから、体質なのか。それとも私の母乳の質や授乳量に問題があるのか、食べ始めた食事に問題があるのか・・・色々考えていたところにタイミング良くそわかんぼを出産した助産院から電話がかかってきたので、便秘の時の対処法を教えてもらった。ツボ押し、糖水浣腸法など、助産院ならではの自然なお通じを促す方法を教えて下さる。
『はじめてであう小児科の本』(山田真・著 福音館書店)で、便秘の項目を開くと、「排便の形式は、子供たちの顔形・身長体重がそれぞれ違うように、それぞれ違っている。一日一回でなくてもどうということはない」と書かれているが、「排便時にいたがって泣くようなときは、肛門に傷が出来ていて、その痛みがなおのこと便秘をひどくしてしまう」とある。こういうときは、下剤や局所麻酔剤などを塗ってあげると良い、とある。
病院・化学薬品は出来るだけ使いたくないと思ってたけど、ここまで苦しがってたら使ってあげた方がいいかもしれない。
でも、これらはお通じが順調にいかないときの対処になるから、その前にお通じがスムーズに行くように対応を考えねば。そもそも便秘になる際のメカニズムはどうなっているのか知りたい。別の本を引っ張り出してさがすと、あったあった。
『シアーズ博士夫妻のベビーブック』(主婦の友社)に「腸内不要物の水分の保持と、腸の動き、このどちらかの機能がうまく作動しないとき、便秘が起きる」とある。
水分量・・・思い当たることが一つ。
お粥を作っても、そわかんぼは積極的に食べようとしない。のを良いことに、離乳食はほとんど作らず、とりわけ食で、離乳を進めていた。
野菜も食べさせてはいるけど、大人向けの固さでしかないから、やはりもっと水分量も多いものを食べさせた方がいいのかも。
お粥は好きじゃないから、と思いこまず、そわかんぼが喜んで食べるようなお粥を作ってみよう。
私も相変わらず食欲がないし、ちょうど良い。まずは、食生活の改善からだ。
さっそく、カツオ・昆布・アゴで出汁を取る。白菜・小松菜・大根・にんじんを細かく細かく刻み、出汁の中に入れ、さらに刻んだ椎茸・シメジ・エノキも入れる。
薄口しょうゆでうすーく味付けして、ごはんを投入。弱火で5分ほど煮て蒸らす。
ついでにコーン缶とみじん切りレタスのサラダも作り、野菜粥と一緒に食卓に持っていく。
ひとりで機嫌良く遊んでいたそわかんぼだが、ごはんが出来た気配を察して、ばたばたと食卓に這ってきた。
食べるかな、と思いながら口に運ぶと、もぐもぐ食べる。
あら意外。しかも「あーん」といわなくても自分から口を開けて待ってる。
結局、こども茶碗大盛り一杯きれいに食べきった。サラダは二口くらいでおしまい。マヨネーズ、酸っぱかったかな。
そわかんぼが食べ終えたので、自分も同じものを食べ始めたら、横から「あーん」と口を開けながら近付いてきた。そんなに美味しかったのか~♪と、嬉しくなる。
反面、いままで与えてたものは、やはりそわかんぼ向きじゃなかったんだと反省しきり。
食事を終えて水をごくごく飲み、その後おっぱいを欲しがる。でも、お腹がくちくなっていたせいか、いつもより早く寝てしまった。
眠ったそわかんぼの歯をおしぼりで拭きながら、いままでゴメンね・・・と謝った。
他にも、私が手抜き育児してることで、そわかんぼの便秘の原因になってることがあるかも知れない。
そういえば、明日でそわかんぼも10ヶ月。
ちょっとここらで栗拾い~♪じゃなくて(こういうとこがふざけてる)育児の見直しをしてみようかな。


似たもの夫婦

2005年10月17日 | 夫婦善哉
今週末、弓の師範と九州道場の門人の皆様がいらっしゃるのである。
うちを完璧に片づける、のは無理だからせめて寝る場所を確保せねばと、ここ数日せっせと片づけにいそしんできた。
しかし、片づける横からそわかんぼが手を出してくるので、なかなか進まない。
徒歩一分のオットの母にお守りを頼めればいいけど、今の時期、ミカンの出荷で忙しいし・・・。
しょーがない。必殺保育園の術!を使うことにしよう。
朝9時半、保育園にそわかんぼを連れて行き、昼に迎えに来る旨を伝えて、さあ片づけ頑張るぞ、とうちに戻る。
皿洗いをしているとお勤めを終えたオットが、やってきて
「そわかんぼいないの?」
と聞いてくる。
「保育園に連れて行きました」
「ふーん」
しばしの間があって
「なんだかサビシイわね・・・」
新聞を持って、和室に寝転がるオット。
そういえば、そわかんぼを保育園に預けるのはオットの代わりに仕事をするときばかりだったから、“そわかんぼのいない我が家”を、オットは初めて体験しているのだ。なんだか久々に2人きりだけど、物足りないような、気まずいようなヘンな感じがする。
でも、12時まで3時間もないんだから、出来る限り片づけなくちゃ。
「事務所」と呼んでいる6畳間に散らかっているものをせっせと選別し、ゴミ袋に入れていく。と、オットの声。
「ねえ、イトウミサキってエルメスだっけ」
「そうだよ」
「ふーん・・・ねえ、ヤマモトミライって、永遠の高校生だっけ」
「そう」
「このドラマ、おもしろそうね」
「・・・」
「ワタシ、今夜いないから見ててね」
気持ちは分かるのだけど、掃除に集中したい妻は冷たいのだ。
「・・・慈龍ちゃん、そわかんぼいなくてつまんないんでしょ・・・」
「なんだかね・・・」
妻のひと言で、話しかける気が失せたのか、オットは静かに新聞を読んでいた。が、気が付くと寝ていた。
いつの日か、そわかんぼが成長してこの家を出ていったらこんな感じなのかな。
昼過ぎ、そわかんぼを迎えに行き帰ってくると、オットが
「そわかんぼ、泣かなかったか~
とすぐさま抱きかかえた。そわかんぼもにこにこ笑って嬉しそう。
以前、そわかんぼの成長の早さが切なく、想像しただけで泣きそうになった私だが、オットも大して変わらないかも。
子はかすがい、というけれど、かすがいになるような子を授かったことが、つくづく有り難い、と感じる一日だった。


佐藤初女さん講演会「食を通してはぐくむ命」

2005年10月14日 | 自然育児
佐藤初女さん講演会
日時 11月18日(金)午後3時~午後4時半
場所 かごしま県民交流センター 2階大ホール
   参加費 1000円
問い合わせ先 鹿児島中央助産院
       099-252-1062

佐藤初女さんは1921年生まれ、青森に住んでおられます。
自宅を開放し、人生に疲れた人・苦しみや悩みを背負った人をひととき受け入れる「弘前イスキア」「森のイスキア」を開設し、旬の素材を使ったおいしい料理でその人達の心を癒し、元気になってまた社会に帰っていく手助けを、何十年も続けてこられました。
自殺まで決意して、初女さんのもとにやってきた人が、初女さんの握ったおむすびを食べて、生きる希望を取り戻すそうです。スゴイ!
その生き方が映画『地球交響曲第2番』で取り上げられ、初女さんの姿に感銘を受けた人々から「初女さんのお話を聞きたい」「一緒におむすびを作りたい」という声が上がり、近年は講演会活動に力を入れ、全国を飛び回っておられます。
今回、鹿児島県助産師会主催で講演会が開かれます。「食べること・生きること(やず○ではございません・・・)」に興味のある方には特におすすめしたい。初女さんの「食」「生き方」に対する考えはこちらで読めますのでクリックどうぞ。
鹿児島では多分はじめての、初女さんの講演会です
みなさま是非、足をお運び下さい。