そわかんぼちゃん日記

佛の子・そわかんぼの成長記録と佛道修行にいそしむ父(慈龍)・悪妻道邁進中の母(麦の花)の日々の覚え書きです。

キリク四十九日

2006年12月26日 | 誕生死
明け方頃、夢を見た。
忙しくて、実家の母に赤ちゃんを預けていたところ、母が慌てて駆けてきて「マニコちゃん(赤ちゃんの名前らしい)が死んでしまった」という。
なんで!?と急いで赤ちゃんの居るところに駆けつける。
赤ちゃんは裸で白い布の上に仰向けで寝ており、私が近寄ると薄く目を開いた。ほっ、生きてるじゃないか。
お乳を含ませると吸い付いてきて、母が「生き返った」と驚いていた。全く・・・。

ぱっと目が覚めて、ああ、今日はキリクの四十九日だ、と思う。
初めて夢に出てきてくれた。
名前も姿も違うけれど、キリクのいのちを受け継いだ子。
また、私たちのもとへやってくる準備を整えてくれているのかな。

STILL BORN

2006年12月07日 | 誕生死
11月8日深夜、そわかんぼはお兄ちゃんになりました。

ただ、ほんとうなら3月に産まれる予定だったキリク。
その体は、いのちの重さを受け止めるには、あまりに未熟だったのでしょう。

産声を上げることなく、この世の光を見ることなく、キリクは還っていきました。

オットが火葬・事務手続きいっさいを、一人で引き受けてくれました。
うちの寺には珍しく、お葬式や社会福祉士の仕事の方も重なって綱渡りのようなスケジュール。
「これで暇だったりしたら、きっと落ち込んでひきこもりみたいになっていたかも知れないから、ちょうど良かったかも」と、オットは言ってくれましたが・・・。

一月近く経った今、キリクを失った直後のように、激しい感情に捕らわれることはもうないけれど、なんと言えばよいのか。

心の奥の泉に、小さな石を落としてしまって、何とかして取りたいのだけれどもう取れないと分かっていて、その石を落としたことで、その泉の深さを知ってしまったような、もっと深いところへ導かれてしまったような感じがします。

体は今までのように日常生活を送るのに差し支えはないのだけれど、なにか、釈然としない。

夫婦共々、一見元気だけれど、明るくなれない。

でも、無理に明るくならなくていい、と思ってます。

友人の助産婦・こころちゃんが「運命を知っていながらも、どうしても麦さんと慈龍さんのところに少しでも産まれたかったのでしょうね。」とメールをくれました。

今の私たちは、キリクの死に出会ったことで、何か大きな謎というか問いのようなものを与えられてしまった。そういう感じなのです。
キリクはその生と死を通して、私たちの人生に新しい局面を開いてくれたように思います。

この世で生活を共にすることは出来なかったけれど、キリクのいのちは私たちに受け継がれ、新たな歩みを刻んでいきます。

早すぎる誕生だったけれど、よくぞ生まれし!
おめでとう、キリク。
そして、また何時か。