オットと出会い、結婚することがなければ、お寺に暮らすことなどなかっただろう。と思うものの、分からない。オットと出会うこと、仏法にご縁をいただくこと、どちらが本義だったのか。どちらも必要だったともいえる。
私は大学を卒業してから7年間、東京で暮らしたけれど、その頃は自分がどういう人間かよく分かっていなかったので、自分に似合わないちぐはぐな行動ばかり取って、まわりから「変わった子」と敬遠されていた。
正直、心から楽しいと思えた日なんてほとんどなかった。
ここで何かを掴みたい。そう思ってあれこれ手を出してもがけばもがくほど、歯車がずれていく。どこに居ても、自分の居場所がない気がしていたたまれなく感じ、動くのが、生きるのが苦しくなってくる。
もう限界だ、と思ったとき、それまで全く帰る気がなかった鹿児島が恋しくなってきた。大嫌いだった鹿児島。でも、本当に嫌いだったのは鹿児島ではなく、自分自身だったのだ。それだったら、どこにいってもおんなじだ。
鹿児島に帰って、しばらくはうだうだ悩んでいたが、兄の赤ちゃんや子どものお守りをさせてもらううちに「自分に出来ることからはじめよう」と思い立ち、兄の店を手伝い、近所のフレンチレストランでいぢめ・・じゃなくて鍛えられ、臨時教員の声がかかる頃には、少しは冷静に自分をみられるようになってきた。
自分を嫌いではないけれど、かといって大好きってわけでもない。
ただ、自分に与えられた場と時間を大事にしよう、と思えるようになってきた。
オットと出会ったのは、教員の仕事に喜びと充実感を覚えはじめた頃だ。
つきあい始めて約1年後、私たちは結婚した。
今日は、結婚して7年目。
「形なきものを分けあゐ」共に暮らす日々の節目である。
私は大学を卒業してから7年間、東京で暮らしたけれど、その頃は自分がどういう人間かよく分かっていなかったので、自分に似合わないちぐはぐな行動ばかり取って、まわりから「変わった子」と敬遠されていた。
正直、心から楽しいと思えた日なんてほとんどなかった。
ここで何かを掴みたい。そう思ってあれこれ手を出してもがけばもがくほど、歯車がずれていく。どこに居ても、自分の居場所がない気がしていたたまれなく感じ、動くのが、生きるのが苦しくなってくる。
もう限界だ、と思ったとき、それまで全く帰る気がなかった鹿児島が恋しくなってきた。大嫌いだった鹿児島。でも、本当に嫌いだったのは鹿児島ではなく、自分自身だったのだ。それだったら、どこにいってもおんなじだ。
鹿児島に帰って、しばらくはうだうだ悩んでいたが、兄の赤ちゃんや子どものお守りをさせてもらううちに「自分に出来ることからはじめよう」と思い立ち、兄の店を手伝い、近所のフレンチレストランでいぢめ・・じゃなくて鍛えられ、臨時教員の声がかかる頃には、少しは冷静に自分をみられるようになってきた。
自分を嫌いではないけれど、かといって大好きってわけでもない。
ただ、自分に与えられた場と時間を大事にしよう、と思えるようになってきた。
オットと出会ったのは、教員の仕事に喜びと充実感を覚えはじめた頃だ。
つきあい始めて約1年後、私たちは結婚した。
今日は、結婚して7年目。
「形なきものを分けあゐ」共に暮らす日々の節目である。