いつもの薬局に紙オムツを買いに行く。
あれ?小さいパックしかない・・・Lサイズ36枚入りか。
値段が付いてないけど、表に同じ大きさで990円と出ていたから990円だろうと思い、レジに持っていった。他にも色々買って。
支払いを済ませてレシートを見ると、あれ?おむつ、1500円になってる。
レジの薬剤師のお兄さんに「間違いじゃないですか」と問い合わせると、早速バイトらしき若者がおむつ棚に走り、すぐさま戻ってきて薬剤師さんとごにょごにょ話している。薬剤師さんはバイトくんと何度か相づちを交わした後、こちらに向き直り「すみません、おむつ値上がりになったんですよ」と説明してくださる。
石油値上がりの波が、おむつ業界にも押し寄せてきたのだ。
おむつ・・・乳幼児だけじゃなくて、老人福祉施設なんかの紙おむつ代も上がるんだろうなあ。
薬剤師さんは申し訳なさそうに、粉ミルクとベビーフードの割引券を下さった。うちはどちらも縁がないけれど、薬剤師さんの気持ちが有り難かったので、素直にいただく。それに次の子はミルク飲むかも知れないしね。
帰り途、ホームセンターに寄ると、まだ値上がりする前のLサイズ54枚入りパックが二つ残っていた。迷わず購入♪
しかし、36枚入りと54枚入りが同じ値段ということは、1.5倍の値上げですよ!これは、次の子は出来るだけ布おむつでしのがねばなるまい。
そわかんぼは自分でおむつカバーを外してしまうので、歩くようになってからはほとんどパンツタイプの紙おむつにせざるを得なかったのだけれど、なにか良い方法はないだろうか。
中東の戦争の波が、今の私たちの暮らしに様々な打撃を与え始めてる。
車のガソリン、様々な燃料費、それに伴う工業製品の値上がり、外食産業も値上げを検討せざるを得ないとか、テレビで言っていたような気がする。そのうちペットボトル飲料やプラスチック製品、ビニールハウスでの苗育成にも石油が使われるから農業・園芸業界にも値上がりの波が押し寄せることは間違いない。
現代日本の私たちの暮らしが、如何に石油燃料に依存しているかがよく分かる現象だ。どこの国が悪いとか、戦争の所為だとか(そりゃ戦争は絶対良くない・しちゃいけない)、だれかのせいにするのは簡単だ。
私が小学生だった子供の頃から、「石油は限りある資源です」と言われてきた。しかし、今の日本を含む先進国の暮らしぶりは、「限りある資源」石油を、「発展」という名の下に使い切らんとするばかりの勢いで突っ走っているように見受けられる。
私も、それに荷担している一人だ。
その中にどっぷりひたって生かされている一人だ。そのことを忘れてはいけない。
東京で自然食関係の仕事をしていたときは、ある意味迷いがなかった。
ペットボトル飲料も発泡スチロールに入った肉・魚を買うこともなかったし、ほぼ玄米菜食で、農薬・添加物入りの食べ物・市販の白砂糖を使ったお菓子は一切拒否、着るものはオーガニックコットン。合成洗剤は使わない。病気になっても病院には一切行かず、民間療法・自然療法で治す。リサイクルよりもリサイクルせねばならぬようなものを買わない。まさにエコロジー生活実践者。都会のナチュラリスト。(ヘビースモーカーであったことを除いては)自分でも、それを自慢にしているところがあったと思う。頭と口先から出てくることは自然派でも、心は不自然に歪んでいたような気がする。「エコロジー」を盾に、自分を正当化したかったのだろう。
勤めていた店のネズミ駆除(今の厚労省だか保健所の基準では食べもの関係の職場では、やらざるを得ないらしい)の現状を知り、その後『もののけ姫』をみたことで、自然と人間の共存は可能なのか、真剣に考えるようになって、現在に至る。(もののけ姫の話は、またいつか別に書きたいと思う)
今も、答は出ていない。模索中だ。
東京時代の私だったら、きっと今の私を見て軽蔑する。
なによ、旦那にインスタントやお総菜ばっかり食べさせて。
(オットは私の料理より今のとこそちらの方が好きなんです。まだ餌付けが出来てないんです)
ペットボトルが家のあちこちに転がってるし、どこに行くのも車だし
(東京時代のマウンテンバイク・・・蜘蛛の巣が張ってます)
大体白米や動物性蛋白食べてるから、体が疲れるのよ
(うちは毎朝御門徒がお米を持ってお詣りにいらっしゃるので、阿弥陀様のお下がりをいただくのです。玉子や魚もくださるのです。寺に住んでるものは、ある意味乞食なのです)
子どもに紙おむつ使うなんて、なんて駄目な母親!
(布製おむつカバー、パンツタイプでも上手に脱いでしまうのです・・・)
かつての「高尚な理想を抱いて実践していた私」と対話すると、今の私は「すみませんすみません」と、謝ることしかできない。言い訳するばかりの、文明社会の恩恵にどっぷり浸ったオバサンだ。
でも、私はここからスタートするしかない。
彼女になんと言われようと、この状況を選んだのだって彼女なのだ。
紙おむつ値上がりから、ついつい私には珍しく社会的なことにまで筆が及んでしまった追憶的自己回想。(実はいつもこんなことばかり考えてる。これが趣味といっても過言ではない)
たかがおむつ、しかしその吸水ポリマー分子の向こうに、広い世界が映し出されるているのだ。
あれ?小さいパックしかない・・・Lサイズ36枚入りか。
値段が付いてないけど、表に同じ大きさで990円と出ていたから990円だろうと思い、レジに持っていった。他にも色々買って。
支払いを済ませてレシートを見ると、あれ?おむつ、1500円になってる。
レジの薬剤師のお兄さんに「間違いじゃないですか」と問い合わせると、早速バイトらしき若者がおむつ棚に走り、すぐさま戻ってきて薬剤師さんとごにょごにょ話している。薬剤師さんはバイトくんと何度か相づちを交わした後、こちらに向き直り「すみません、おむつ値上がりになったんですよ」と説明してくださる。
石油値上がりの波が、おむつ業界にも押し寄せてきたのだ。
おむつ・・・乳幼児だけじゃなくて、老人福祉施設なんかの紙おむつ代も上がるんだろうなあ。
薬剤師さんは申し訳なさそうに、粉ミルクとベビーフードの割引券を下さった。うちはどちらも縁がないけれど、薬剤師さんの気持ちが有り難かったので、素直にいただく。それに次の子はミルク飲むかも知れないしね。
帰り途、ホームセンターに寄ると、まだ値上がりする前のLサイズ54枚入りパックが二つ残っていた。迷わず購入♪
しかし、36枚入りと54枚入りが同じ値段ということは、1.5倍の値上げですよ!これは、次の子は出来るだけ布おむつでしのがねばなるまい。
そわかんぼは自分でおむつカバーを外してしまうので、歩くようになってからはほとんどパンツタイプの紙おむつにせざるを得なかったのだけれど、なにか良い方法はないだろうか。
中東の戦争の波が、今の私たちの暮らしに様々な打撃を与え始めてる。
車のガソリン、様々な燃料費、それに伴う工業製品の値上がり、外食産業も値上げを検討せざるを得ないとか、テレビで言っていたような気がする。そのうちペットボトル飲料やプラスチック製品、ビニールハウスでの苗育成にも石油が使われるから農業・園芸業界にも値上がりの波が押し寄せることは間違いない。
現代日本の私たちの暮らしが、如何に石油燃料に依存しているかがよく分かる現象だ。どこの国が悪いとか、戦争の所為だとか(そりゃ戦争は絶対良くない・しちゃいけない)、だれかのせいにするのは簡単だ。
私が小学生だった子供の頃から、「石油は限りある資源です」と言われてきた。しかし、今の日本を含む先進国の暮らしぶりは、「限りある資源」石油を、「発展」という名の下に使い切らんとするばかりの勢いで突っ走っているように見受けられる。
私も、それに荷担している一人だ。
その中にどっぷりひたって生かされている一人だ。そのことを忘れてはいけない。
東京で自然食関係の仕事をしていたときは、ある意味迷いがなかった。
ペットボトル飲料も発泡スチロールに入った肉・魚を買うこともなかったし、ほぼ玄米菜食で、農薬・添加物入りの食べ物・市販の白砂糖を使ったお菓子は一切拒否、着るものはオーガニックコットン。合成洗剤は使わない。病気になっても病院には一切行かず、民間療法・自然療法で治す。リサイクルよりもリサイクルせねばならぬようなものを買わない。まさにエコロジー生活実践者。都会のナチュラリスト。(ヘビースモーカーであったことを除いては)自分でも、それを自慢にしているところがあったと思う。頭と口先から出てくることは自然派でも、心は不自然に歪んでいたような気がする。「エコロジー」を盾に、自分を正当化したかったのだろう。
勤めていた店のネズミ駆除(今の厚労省だか保健所の基準では食べもの関係の職場では、やらざるを得ないらしい)の現状を知り、その後『もののけ姫』をみたことで、自然と人間の共存は可能なのか、真剣に考えるようになって、現在に至る。(もののけ姫の話は、またいつか別に書きたいと思う)
今も、答は出ていない。模索中だ。
東京時代の私だったら、きっと今の私を見て軽蔑する。
なによ、旦那にインスタントやお総菜ばっかり食べさせて。
(オットは私の料理より今のとこそちらの方が好きなんです。まだ餌付けが出来てないんです)
ペットボトルが家のあちこちに転がってるし、どこに行くのも車だし
(東京時代のマウンテンバイク・・・蜘蛛の巣が張ってます)
大体白米や動物性蛋白食べてるから、体が疲れるのよ
(うちは毎朝御門徒がお米を持ってお詣りにいらっしゃるので、阿弥陀様のお下がりをいただくのです。玉子や魚もくださるのです。寺に住んでるものは、ある意味乞食なのです)
子どもに紙おむつ使うなんて、なんて駄目な母親!
(布製おむつカバー、パンツタイプでも上手に脱いでしまうのです・・・)
かつての「高尚な理想を抱いて実践していた私」と対話すると、今の私は「すみませんすみません」と、謝ることしかできない。言い訳するばかりの、文明社会の恩恵にどっぷり浸ったオバサンだ。
でも、私はここからスタートするしかない。
彼女になんと言われようと、この状況を選んだのだって彼女なのだ。
紙おむつ値上がりから、ついつい私には珍しく社会的なことにまで筆が及んでしまった追憶的自己回想。(実はいつもこんなことばかり考えてる。これが趣味といっても過言ではない)
たかがおむつ、しかしその吸水ポリマー分子の向こうに、広い世界が映し出されるているのだ。