中年おじさんの散策part2-2

東京以外の散策を紹介します。

埼玉-1351 甘棠院

2021-07-30 05:52:47 | 埼玉

20210303 久喜 史跡
埼玉県久喜市本町
              甘棠院
  永正16年(1519年)、久喜に隠退した足利政氏は自らの館を寺として永安山甘棠院とし、子の貞巖(ていがん)を開山とした。その後政氏に従ってきた家臣たちにより守られ、近世に入ってからも、徳川歴代将軍から朱印地100石を賜る格式を誇っていた。記録によると、政氏が館を寺に改めたのち、建物は天文17年(1548年)に火災により消失、翌年より再建に着手し、天文21年(1552年)に落成した。その後、天明2年(1782年)より4年がかりでさらに建て直しが行われている。さらに何回か手が加えられ、現在の本堂や庫裡は、昭和44年(1969年)からなされた大改修によって完成したものである。 歴代住職についてみると、円覚寺や瑞泉寺との関係が深い。

 

 

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埼玉-1350 幸手市本因坊烈元の墓

2021-07-30 05:49:40 | 埼玉

このブログは「中年おじさんの散策」2の継続版です

この企画は 私が引率します sosamu@ya2.so-net.ne.jp

参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ)

 

20210301   幸手 史跡
埼玉県幸手市上吉羽     
幸手市本因坊烈元の墓
江戸時代の囲碁の本因坊家第8世の伯元、第9世の察元、第10世の烈元の出身地は幸手です。
本因坊家は、囲碁の四つの家元の中で最も由緒があり格式の高かった家とされ、江戸幕府の庇護を受け、代々囲碁文化の継承に努めた家柄でした。
このように本因坊家の家督を三代にわたり同一自治体の出身者が継承した事例はほかになく、囲碁文化史をみても、とても稀なことで、郷土資料館の常設展示でも、幸手ゆかりの人物として本因坊を紹介しています。
市内には、伯元、察元、烈元の本因坊三代の墓石があり、当市と本因坊家との関わりを示す重要な歴史資料であることから、それぞれ市指定有形文化財に指定されています。
なお、本因坊家代々の墓は、現在東京都豊島区巣鴨の本妙寺にあるため、市内の墓石は、分骨か供養のために建立されたものとみられています。    

 

 

 

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