合気道の植芝先生というのは、私の体の中に
くい込んで、今も一緒に働いておられるんで、
私も生前から非常に親しくさせていただいて
いるんで、植芝先生の身も心もというか霊も
というか、そういうの全部わかっているつもりで
おりますけれど。
先生が、その合気道というものを通して、
つまり武道というものを通して、神様は愛
だというふうに、ああいう真理を悟られた
ことについては、先生の、この世だけ
じゃないいろんな修行の結果がある訳ですが…。
まあそれはさておいても、じゃあ合気道
というのは何なのかということになりますと、
私は祈りの方の立場の人間でありますので、
祈りの方に即して言いますと、語呂合わせでは
ありませんけれども、合気道のアイキという
のは、気の流れというものに対して、
いろいろな不調和なものを調和させて、
合わせて、そうして一致させて、そして
人間が生きていくための道しるべをそこでつくる。
そのための道が合気道なんだということ
なんであります。
もう少し砕いていいますと、合気のアイ
というのは、これはもちろん愛するという
ことにつながってゆくんでありますけれども、
ただ私どもが愛するということになると、
せいぜい人間同志が仲良くするとか何とか
というふうな次元に下ってしまいます。
ところが、この合気道のアイキという
この合わせるという字と気という字を、
ここから拡がってゆく実は霊的な世界
というものは、人間だけとかそういうもの
ではなくってですね、生命全体、地球にある、
宇宙にある、その生きとし生けるもの全部、
もうバクテリアから何から全部ですよ、
そういうもの合わせた生命の調和ですね。
生命が調和されるように、実は気の流れを、
気の流れというのは霊界神界からくる気の流れ
ですけれど、それを我々受け器である人間が
心のアンテナ本心のアンテナでその流れを
受けとめて、そうしてそれを流してゆく。
ね、気の流れを受けとって地上に流してゆく。
そういうことが一番大事なことなんだ、それを
やるのが合気道なんだ、そういう意味なんです。
そこで、そんなことを言いましても、精神だけ
のことでして、それが根本精神として、合気道の
中に流れてるということだけですと、「そんな
高邁な、先生、そんなすごいことは私どもには
出来ません。だったら合気道やめさせていただき
ます。」なんていう人が出てくるかもしれません
から、少し合気道そのものの、いわゆる道
そのものについて言いますと、いつかも私は
質問に答えて言ったと思いますが、ただ立つ
ということが即ち真理につながる。
合気道の場合はですね。
立つというのは何になるか。
立つというのは天地を貫いて立っている自分と
合体するということです。
あるいは、いつも植芝先生が言われた
“あ” という言葉、そこへ入る。
回帰する。
ということなんです。
元の元の根本の太源の生命に帰って、そこで
構えて愛を呼び寄せる。
そういうことなんですね。
だから気を集めるんじゃない。
気を合わせる。
気を集めるんだったら、これはただ単に
人気取りですね。
それだったら人間世界だけのことに
なるけれども、そうではない。
いろんな霊妙な気を集めて、そこに立って、
そこで構えて、受けた気を合せて、そうして
無心になって打ち込んでゆく。
(つづく)
くい込んで、今も一緒に働いておられるんで、
私も生前から非常に親しくさせていただいて
いるんで、植芝先生の身も心もというか霊も
というか、そういうの全部わかっているつもりで
おりますけれど。
先生が、その合気道というものを通して、
つまり武道というものを通して、神様は愛
だというふうに、ああいう真理を悟られた
ことについては、先生の、この世だけ
じゃないいろんな修行の結果がある訳ですが…。
まあそれはさておいても、じゃあ合気道
というのは何なのかということになりますと、
私は祈りの方の立場の人間でありますので、
祈りの方に即して言いますと、語呂合わせでは
ありませんけれども、合気道のアイキという
のは、気の流れというものに対して、
いろいろな不調和なものを調和させて、
合わせて、そうして一致させて、そして
人間が生きていくための道しるべをそこでつくる。
そのための道が合気道なんだということ
なんであります。
もう少し砕いていいますと、合気のアイ
というのは、これはもちろん愛するという
ことにつながってゆくんでありますけれども、
ただ私どもが愛するということになると、
せいぜい人間同志が仲良くするとか何とか
というふうな次元に下ってしまいます。
ところが、この合気道のアイキという
この合わせるという字と気という字を、
ここから拡がってゆく実は霊的な世界
というものは、人間だけとかそういうもの
ではなくってですね、生命全体、地球にある、
宇宙にある、その生きとし生けるもの全部、
もうバクテリアから何から全部ですよ、
そういうもの合わせた生命の調和ですね。
生命が調和されるように、実は気の流れを、
気の流れというのは霊界神界からくる気の流れ
ですけれど、それを我々受け器である人間が
心のアンテナ本心のアンテナでその流れを
受けとめて、そうしてそれを流してゆく。
ね、気の流れを受けとって地上に流してゆく。
そういうことが一番大事なことなんだ、それを
やるのが合気道なんだ、そういう意味なんです。
そこで、そんなことを言いましても、精神だけ
のことでして、それが根本精神として、合気道の
中に流れてるということだけですと、「そんな
高邁な、先生、そんなすごいことは私どもには
出来ません。だったら合気道やめさせていただき
ます。」なんていう人が出てくるかもしれません
から、少し合気道そのものの、いわゆる道
そのものについて言いますと、いつかも私は
質問に答えて言ったと思いますが、ただ立つ
ということが即ち真理につながる。
合気道の場合はですね。
立つというのは何になるか。
立つというのは天地を貫いて立っている自分と
合体するということです。
あるいは、いつも植芝先生が言われた
“あ” という言葉、そこへ入る。
回帰する。
ということなんです。
元の元の根本の太源の生命に帰って、そこで
構えて愛を呼び寄せる。
そういうことなんですね。
だから気を集めるんじゃない。
気を合わせる。
気を集めるんだったら、これはただ単に
人気取りですね。
それだったら人間世界だけのことに
なるけれども、そうではない。
いろんな霊妙な気を集めて、そこに立って、
そこで構えて、受けた気を合せて、そうして
無心になって打ち込んでゆく。
(つづく)