宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
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人間について(1)

2023-08-13 08:05:23 | 祈り
私のあまり広くない家の庭ですけれども、
庭には色んな花が咲いておりまして。
その花の生命といいますか、自然の造形の
美しさというものに見とれることが
しばしばあります。
そして、自然というものの持っている
霊妙な心といいますか、神の心を映した精妙さ
というものにしばしば感動することがあります。
花なら花の生命、木なら木の生命そのものにも
感動致しますけれども、やはり、その木を
生かしている、木が木であること、花が花
であること、ありのままのそのままの生命の
ままに咲いてるその姿に感動を覚えないでは
いられない訳であります。
人間というものも、生まれたての頃
といいますか、この地球に降りて
まいりました頃というのは、そのままの
ありのままの生命でありまして、こういう
業が今のように地球の内を蔽っていると
いうふうな、そういう世界でなかった頃
というのは、本当にやさしい言葉で言えば、
神様と人間がツーカーの間柄であった訳
であります。
ツーカーの間柄というのはどういうことか
というと、それこそ神様と直接話が出来て
というふうなそんな親しい間柄であった
訳であります。
それは、話しが出来て偉いとか何とか
じゃなくて、神様の心を心として生きる、
つまり、あるがままに生きるということが
出来た時代から、この地球世界というのは
始まっていった。

ところが、この地球世界というのは元々荒い
波動でありますから、何度も申しております
ように、いろいろな物質現象などを出現させて、
そして、人間もだんだんに肉体というものを
まとっていきませんと、この荒さの中では
生存が出来なかった。
その生きる、生きていく、毎日を競争して、
いろんな天敵なんかと、あるいは病気なんか
と戦って生き残ってゆく。
そのためには随分と工夫も努力も、あるいは
科学の発達も医学の発達もいろいろなものを
産み出していかなければならなかった訳ですね。
つまり、科学療法といいますか、対症療法
といいますか、そういうものを産み出して
ゆかないと、この肉体そのものを養ってゆく
ということが不可能になった。
そういう時代になって行った訳です。

そういう時代になるに従って何が薄れていった
かというと、神様とのつながり。
ね、自分の元々の本体が霊であって、霊なる
生命であって、そうして、その奥の体の自分と、
光そのものである自分と、神様からの愛
というものが本当に一つで、純粋無垢に一つで、
昔は赤子のように頼り甘え、対話も出来、
そういう時代があったんだということ自体
本心本体はわかっておりますけれど、肉体を
まとってしまって我というものを生まれ
させた人間からは、なかなか想像も出来ない
ような遠い世界のように思わせてしまった。
そういう時代がもう何十年何百年何千年何万年
と続いて今になっている訳であります。
           (つづく)