染物屋生活

神奈川県の住宅地(でも片田舎)の染物屋日記と、電気代が月1500円(原発反対なので)の節約生活を紹介「染め吉」と言います

「ぼくらの出航」を見つけた

2017-01-22 01:17:41 | 日々の政治・哲学
図書館で「ぼくらの出航」(那須田稔著)を見つけた。

講談社児童文学新人賞を取った作品。初版あとがきが1962年になっている。
やはりこの本だ。

この本を読んで、1964年か65年頃、小学生の柿沼一太君が感想文で何かの賞を取ったのだ。

柿沼一太君(仮名)は、兄の友人の一人だった。私のうちによく来ていた。

すごく頭のいい子だった。この作品で感想文を書いたときは、10才か11才ぐらいだったのではないか?

たしか、小学校は、途中で転校したのだから、感想文は、12才(小6)で書いたのではない。もっと下の学年だ。

なぜ、私が「柿沼君が感想文を書いたぼくらの出航」を覚えていたのか?

それは、彼がこの感想文で賞を取ったので、放送室でその作文を柿沼君が読み上げ、それを教室で、全校生徒が聞いたのだ。

私は、柿沼君よりいくつか年下だ。その校内放送を聞きながら、

「なんというつまらない話なんだ」「どうして柿沼君はこんな話で感想文を書いたんだ」

と思っていた。1945年の8月15日以降の満州で、両親と離れた11歳ぐらいの男子がさまよう話には、その頃の私は興味は持てなかった。

柿沼君は、自分の母親に聞いた戦後の混乱期の話を引き合いに出して「だから、主人公たちも、ものを盗むことを、あまり悪いと思わなかったのだろう」と結んでいた。

うまい感想文だった。
今回、私はこの作品を読み、どうして彼がこの小説に興味を持ったのか、解ってきた。

柿沼君のうちでは、ある朝父親が突然死してしまった。

200坪はある広い庭を持つ一軒家は、父親の会社のものだった。(子供部屋、図書室もあった)
それで、そこを引き払い、荷物をまとめて、母親の故郷に、柿沼君たちは帰ってしまったのだった。

柿沼君の家を片付けているとき、私は子供の目で、柿沼君が、そんなに裕福な暮らしをしていたのではないことに気がついた。

柿沼君にとっては、「ぼくらの出航」の主人公のサバイバル生活は、実際の生活と直結していたのではないか。

その頃の私が「サバイバル生活」と言えば漫画の「サスケ」だった。自然の中でのサバイバル生活である。

しかし、柿沼君は違った。彼は、中国人、ロシア人、韓国人、そして彼らの子供たちが、それぞれの利害関係でもって動き、自立している、あの小説に、何を見いだしていたんだろうか。
写真は、トイレの中の文字。「トイレットペーパーの持ち出しは犯罪だ」と、日本語と英語と中国語で書いてある。どこの国の人たちを想定しているのだろう?

追記。この本をかいた那須田稔氏は、あとがきでこういっている。

1945年、ハルビン中学1年生だった。大人たちから離ればなれになってしまった。中国や朝鮮の少年少女の一群の仲間になった。仲間たちは、どんなに疲れても、泣き言をいわなかった。難しいことにぶつかると、一晩中議論をした。僕はそれらのたくましい友人に元気づけられて、現実の荒波と格闘を始めた。

要約するとこんなことだ。「僕らの出航」に書いてあるのは、現実に作者に起こったことがもとになっているのだった。