sololoblog

適当に生きている適当な日常メモ(お返しイイネ&followご無用です🙏thanks!更新通知で読んでます)

本当に多様性?

2024-01-25 | つれづれ
1社目の年功序列型の古い会社に居たとき、年配の人は我々より奇天烈な人多いな!と思っていた。(ひょっとすると奇天烈な人しか残ってなかったのかもしれないが笑)

自分が年かさになるにつれて、下の世代には我らは空気の読めない奇天烈な世代だわと思われてるんだろうな、と思っていた。

逆からすると時代として、奇天烈であっても許容されるような余白が残っているかどうか、かもしれないな〜なんて、思っていた。

余白が少ない世界は生きづらい。

もちろん、グローバル化が進んだことによる多様性は広がったと思う。交わることのない異文化に関することは、情報化社会になれば皆慣れてくるし情報は得られるから忌避するものでもなくなる。

昔は差別がひどかった、という話がある一方で、今の時代のようにデジタルタトゥーが残る背景もなかったので、悪いことも良いことも程度の幅が広くて、良いか悪いかは別にして、余白みたいなものはあっただろうな、なんて感じる。
仕事しない人なんていっぱいいたしなぁ。

インフルエンサーとか、人への影響力が数値化されるようになってしまったことから見ても案外妥当な感じ方なんじゃないかな、とも思っている。

多様性、多様性っていうけど、本当に多様性が認められるようになったのかなぁ。
いろんなものがつまびらかになった、というだけで、公衆が受け入れる価値観としてはひょっとすると収斂していってるんじゃないかしらん、なんて。

良く分からないな。

今の時代で余白を味わうには、その土俵に乗らないことが一番なんじゃないかしらん、とも思っている。

難しいわぁ