私の100倍はきっちり生きているのに常に焦燥感を感じながら日常を過ごしている方のブログを読んでいる。
そのブロガーさんは私の100倍きちんとした人間であるわけだが、
勝手な妄想だが
私のダメダメ引きこもりの惨状を見ても「こいつ何やってんの」とは思わなそうなところも大変不思議である。
それともやっぱり「こいつダメダメだな!」って思われちゃうのかしらん。でもそこまで他人に興味なさそうにみえる。
誰から見てもちゃんと生きているのに、ひどく自罰的なのだ。
前からずっとその心の状態について不思議であったが、同様に感じているらしい方のポストを見かけた。
いいねやリツイ数からすると、どうやら感じている方は結構いらっしゃるらしい。
「はやく全部大丈夫になりたい」みたいな感情やよくわからない焦燥感がずっとあるけど、今が満たされていない状態だとして「大丈夫になれた」と感じる瞬間はいつくるのだろうか、そして自分はどんな状態を「大丈夫」だと認識しているのか
— すっごい愛をあげたい (@razbliut_x_) October 22, 2024
ところが引用リプライを見ていると、どれも皆違う心の状態を表しているようで、このポストの心情とはやや異なるように見える。
この方のもっていらっしゃる言語化できない焦燥感、不安感は何なのだろうか。
この現象に対しては、
半分大変そうだという気持ちと
半分羨ましいなという気持ちになる。
何が大変そうかというと、急ぐ必要のないときでも気が休まる時がないということであるわけで、やっぱり大変そうだ。
何が半分羨ましいのかというと、この方は自覚なさっている(自分はどんな状態を「大丈夫」だと認識しているのか)が、何か大丈夫な状態があるらしいことである。
私は自分の不全感を感じているが、私が完全な状態になることは決してない、ということも同時に自覚している。
実はもしかしたらまんまる(完全な状態)に人生のどこかでなれたのかもしれないが、向上心がないと言われれば確かにそのとおりでもあるが、今は欠けていて、誰に何と言われようと欠けた今の自分がsololoという私なのである、みたいな謎の確信がある。
ということから考えると、自分のまんまるへの可能性をまだ想定できるのは幸せなことであり、かつ、同時に大変そうでもある。
書いてて思ったが、これは自己同一性(自我同一性)というやつではなかろうか。
このサイト↓を読んでなんとなく納得した。
主体性、独自性、過去からの連続性、主観的実存的意識や感覚の総体のことで、いわば「これこそが自分自身である」といった実感を示す言葉です。
これだぁ。
欠けてても私は私という実感。
先のような現象は、アイデンティ拡散(クライシス)と呼ばれるものらしい。
拡散している人の対策としては色々あるらしい。
- 過去の自分を受け入れる
- 目標を見つける
- 本当の自分で接する(アサーティブコミュニケーション)
- 社会で役割を持つ
この辺は、本当に焦燥感を解消したければ対策をしたら良いと思う。
どうやら青年期だけではなくて、人生をかけたもので、中年期でも再構築が必要な場合があるらしいから、私もどこかで頭の片隅に置いておこうと思う。
あと、本人の自覚としては拡散していたとしても、周りから見たらその人の同一性はあるので、大丈夫だと思う。