今朝は、テレビ体操もせず、ウサんぽにも行かないで、寝坊してしまった。起きたら9時過ぎていて、それから12時すぎまでベッドでゴロゴロしていた。
ゴロゴロしながら、1年半前は、絶対にこんな風に寝てられなかったなぁ、と考えていた。
だって、手術前は、朝4時ぐらいから、もう足が痛くて痛くて、痛みで目がさめていたんだもの。
立って歩くのは言うまでもなく、座っても、横になっても、左足を切り離したいほど痛かったのだから。
だけど、がまんができたのは、手術することを決めていたからで、人工にすればこの痛みから解放されると思うと、「あとちょっとの辛抱」だと、自分に言い聞かせていた。
だから、人工股関節の置換手術を受けることは、私にとって恐怖や心配でなく、むしろ楽しみであったのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そもそもこの病気とのつきあいは、教師になって3年目の時からで、かれこれ20年も抱えてきたことになる。
それまで、股関節が悪いと自覚したことも、お医者さんに言われたこともなかったのに、この年の春、バイクで転んで腰が痛くなって整形外科でレントゲンを撮ったところ、腰ではなく、股関節の軟骨の消滅を指摘されたのだった。
県病院で診察を受け、立ち仕事はご法度だと、休職を余儀なくされた。
1年生の担任になったばっかりで、子どもたちはカワイかったし、とても仕事が楽しかったので、すごく残念だった。
結局、7ヶ月ほど休んでも、原因も分からなければ、よくなりもしなかったので、無理して翌年の春に復職した。
そしてこの時、「変形性股関節症」という病名をいただき、人工関節以外に、治療法はないと言われたのでした。(つづく)
ゴロゴロしながら、1年半前は、絶対にこんな風に寝てられなかったなぁ、と考えていた。
だって、手術前は、朝4時ぐらいから、もう足が痛くて痛くて、痛みで目がさめていたんだもの。
立って歩くのは言うまでもなく、座っても、横になっても、左足を切り離したいほど痛かったのだから。
だけど、がまんができたのは、手術することを決めていたからで、人工にすればこの痛みから解放されると思うと、「あとちょっとの辛抱」だと、自分に言い聞かせていた。
だから、人工股関節の置換手術を受けることは、私にとって恐怖や心配でなく、むしろ楽しみであったのです。
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そもそもこの病気とのつきあいは、教師になって3年目の時からで、かれこれ20年も抱えてきたことになる。
それまで、股関節が悪いと自覚したことも、お医者さんに言われたこともなかったのに、この年の春、バイクで転んで腰が痛くなって整形外科でレントゲンを撮ったところ、腰ではなく、股関節の軟骨の消滅を指摘されたのだった。
県病院で診察を受け、立ち仕事はご法度だと、休職を余儀なくされた。
1年生の担任になったばっかりで、子どもたちはカワイかったし、とても仕事が楽しかったので、すごく残念だった。
結局、7ヶ月ほど休んでも、原因も分からなければ、よくなりもしなかったので、無理して翌年の春に復職した。
そしてこの時、「変形性股関節症」という病名をいただき、人工関節以外に、治療法はないと言われたのでした。(つづく)
闘病記録というより、その時々の気持ちを書くのも素敵です
エッセイを読むような感じで、楽しめます
私も真似していいかなあ?
教師という職業は肉体労働だと思いますが
よく頑張れたなあ、、そして今もよく頑張ってるなあと感心してます
私の仕事は子育てより楽なんです
だから皆子供はおばあさんや、保育園に預けて働きました
この病気との付き合いを、全部書くには、あまりに思うことが多すぎるよね。
長い付き合いだから。
yukiさんとは、思いも違うと思います。私の場合、後天性だし。
実はこのつづきは、もう書いてあるんだけど、まだ公開していないの。もう少し読み直して、推敲してから、UPしますね。