開会式後、一旦甲子園を出て、第3試合のために戻ってきました。
開幕試合(金光大阪vs倉敷工)が、延長戦のため1時間以上延び、私は19時40分のJALで松山に帰る予定だったので、ヤキモキ。(もしかしたら、試合を最後まで見られない?)
そのことを大阪で知ったのだけど、この後お腹がとんでもないことになり(昼のインデアンカレーが辛すぎたか?)、なかなか大阪を離れるわけにはいかない状況に苦しんでいました。
その間に第2試合(中京大中京vs神村学園)が、テンポよく進んだので、ラジオで試合経過を必死で聞きながら、「私が着くまでもうちょっと終わるの待ってほしい、でも早く第3試合が始まらないと飛行機に間に合わない・・・。」と、私は葛藤していました。
何度もいろんなトイレを掛け持ちして、冷や汗ダラダラ
真っ青になりながら、なんとか電車に乗り、第3試合の開始ギリギリに甲子園に到着して、今西のアルプス席券を受け取ることができました。
16時過ぎ、いよいよ試合開始。(お腹が痛くて集中できない・・・涙)
大戸クンの立ち上がりは決してイイとは言えません。
相手は東北の強豪光星学院だから、不安がよぎります。
2回表に先制点を入れられました。
「あーあ、だから言わんこっちゃない!」
↑えー、ワタクシ、試合を観戦している間は、ブツブツと文句ばっかり言う癖があります。
「なんしよん!」とか、「それでも4番バッターかね!」とか、叱咤激励の叱咤部分だけ言うので(←職業病?)、隣の人たちには迷惑だったろうと思う。(このキモチ、阪神ファンなら分かってくれると思う。応援しすぎるあまり、厳しいことばかり口にしてしまうんだよね。)
しかし、5回に追いつきましたー。
さすが、選手宣誓の高市キャプテン。かっこイイぞー。
(その昔、リリーズの『好きよキャプテン』という歌があったの、だれか覚えていますか?
♪好きよ 好きよ キャプテン テニス焼けの笑顔
遠い 町へ 行って もう帰らないの~ ♪)
ランナーを2塁に置いて、タイムリーヒット。2塁ランナーが果敢にホームを突いて、ホームイン。
アウトかと思ったけど、審判のセーフのコールの瞬間、周りにいた応援の人たちと手を握り合って喜びました。
打線は先発の相手投手六埜クンより、エースの下沖クンの方に、タイミングが合っていたような気がします。(ていうか、ラジオがそう言っていた)
途中から、新しくなったナイター照明が灯りました。(トップの写真)
それからも、今西は再三ピンチを迎えます。たいていノーアウトかワンナウトからランナーを出してしまい、バントで送られるというパターン(これはウチもそうだった)。
「もう、またやったー。」「何回おんなじこと繰り替えすんよ!」とまたまた私はブツブツ・・。
けれども、その度にピンチを脱し、大戸クンは危なっかしいながらも、追加点をやらない好投で、9回裏の攻撃を迎えました。
「頼む、飛行機に間に合わんなるけん、延長戦にはせんといて!」
「サヨナラでお願いします。」
という私の願いが通じたのか、絵に描いたようなサヨナラ劇!
このときも5回と同じような展開で、ワンナウトの後ラッキーな内野安打そして盗塁。
その後2死1・2塁というところで、バッターはピッチャー大戸。
ピッチングもがんばったけど、打つほうも絶対やってくれると信じていました。
タイムリーヒット。相手の外野は浅く守り、バックホーム態勢。
ホームへタイミングよく球が帰ってきたが・・・・・?
わずかにそれてセーフ!!
やったー!
サヨナラーーーーーー!!
飛び上がるアルプス席。そして私たちも、みんなでハイタッチ!
あーー、来てよかったよぅ(泣)。
毎日遅くまでがんばって仕事を終わらせ、風邪を無理やり治して、来て本当によかった。
夕暮れ迫るアルプスで、知らない人(たぶんみんなOB)たちと歌う校歌は、素敵でした。
↑ちょっと右のポールがじゃま。
今朝の朝日新聞では、5回と9回に好判断をしたサードコーチの羽藤クンのことが取り上げられていました。
試合前から相手チームの練習を見ていて、バックホームは必ず三塁手を中継していることを見抜いていたんだそう。スゴイ!
そして、試合後、たった一人泣いていたんだそうです。
羽藤クン談「最初は失敗したかと思った。でも、加納はよく走ってくれた。本当によかった。」
新聞では、『この役目にしかわからない重圧から解き放たれた涙だった』と書かれていて、ジンとしました。
さて、試合が終わってから急いで甲子園駅からリムジンに乗り、(遅れていたのでなんとか6時発のに間に合った)6時40分には伊丹空港に到着。
しかし、乗るはずのJAC19:40発は欠航と書いてあるじゃないですか!
えええええーーーーーーーーっ!?
幸い時間があったので、19:20発のANAに代えてもらって、無事松山に着きました。
もし、ギリギリに着いていたり、代替のANAがなかったりしたら、どうなっていたんだろう?新幹線で帰るか、1泊するか・・・。いずれにしてもちょっとしたパニックになっていただろうと思う。ラッキーだった。
20時にはもう松山に着いていたので、たぶん私は午後6時の時点でアルプスにいた人たちの中で、一番早く愛媛に着いた人だと思う。(なんの自慢にもなりませんけど)
いろいろあったけど、今日一日、何もかもがいい方向に運んだなと思う。40代最後のいい一日だった。