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岩屋城跡 後編 2022.11.21 「78」

2024-01-08 18:43:56 | 歴史

岩屋城跡 後編 2022.11.21

Dinner/Nocturne - Yo Yo Ma plays Ennio Morricone

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

≪自害谷墓所の紹介≫
 
★エピソード・伝承 ◎忠臣 加藤と
 

天文13年(1544)岩屋城尼子の支配下にあった時、城主は中村大和守則治であったが、尼子 は副将格として芦田備後守正家をおく。その後尼子は衰退し毛利が美作に侵攻してきた時代となって岩屋城も毛利に従属した頃のこと、兼ねてより宇喜多直家は、戦略上作州進出を望み特に岩屋城に注目していた。
このことを知った正家は宇喜多になびかせようと永禄11年(1568)謀反を企て、正家は城内で城主中村則治を殺害し宇喜多直家に降り岩屋城主となった。一方家臣加藤伊豫守はこのことを知り、嘆き悲しみ自分は病身であり主君を守ることもできず、仇をも討つことができず無念に思い自害し果てた
。 今日岩屋城の南東に位置する麓に「自害谷」と呼ばれている地名がある、その箇所に数基の墓があり割腹した加藤伊豫守と他数人の忠臣のものと云われている。
主君の無念を思い共に散った忠臣 加藤伊豫守 を忘れることなく、伝承されている。

 

歴史索引 2021・2022

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